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- 2009年05月07日 11:00
【赤木智弘の眼光紙背】企業にムダな期待するべきではない
5月3日は憲法記念日ということで、憲法についてさまざまな議論が……といっても、おおよそ日本の憲法議論は「9条をどうするか」という点に集約されるところがあって、大半の国民にとっては「また政治屋がなにかやっている」というぐらいにしか思われないのではないか。
それはともかく。
大阪で行われた集会の中で、同志社大大学院の教授が、「外国人よりも日本人の雇用を優先する「愛国雇用」の兆候がある」と指摘、「差別や排除から平和が脅かされる」と論じた。
これに対して、「他国だって自国民を優先している」「まずは日本人の雇用を安定させるべき」などと、ネット上で批判が起こっている。
これまでの私の立場としては、ネット上の批判に賛成である。
私が「保守的なもの」に期待するのは、就職氷河期世代を始めとする、若い人の貧困に対して「日本人の若者をちゃんと育てなければ、日本の未来はない」と、保守的な視点から、企業や社会がおのずと変わってのではないかと考えるからである。
すなわち、現状の新卒採用偏重の日本型雇用に固執することなく、日本人をまんべんなく育てていくという形に、社会全体の意識が変化していくことが必要なのである。
そう考えればこそ、安直な外国人労働者雇用を促進しかねないこうした発言については、危機感を感じる。
しかし、その一方で私は、教授のような「平等な雇用を期待する」考え方も、ネットや、かつての私のような「日本人の雇用を期待する」考え方も、結局のところ「企業に対する過剰な期待」に過ぎないのではないかと、最近は考えるようになっている。
企業というのは営利のために存在するのであり、雇用に際しては「いかに企業にとって都合がいいか」を優先するに決まっている。
教授のいう「愛国雇用」だって、せいぜい会社の中核である幹部候補たる正社員を日本人で固め、労働者は安い外国人労働者や外国工場での生産で賄おうというレベルのことだろう。
これまで若者を散々見殺しにしてきた企業が、悔い改めて「人件費が高くとも、末端の労働者まで日本人の正社員を使おう」などと言い出すとは思えない。
仮にそうした企業があっても、しょせんは経営者の胸先三寸であり、会社の経営状態がきつくなれば、愛国心など関係なしに、従業員を追い出すしかないだろう。
企業の雇用とはあくまでも企業が利益を出せる範疇でしか行われない。であれば、そもそも企業の雇用に「平等」や「日本人雇用の安定」を期待してもムダなのである。
そうした企業に過剰な期待をして、企業にフリーハンドを手渡すことは、短期的な景気の上下に個人の運命を託すことに繋がってしまう。右肩上がりの経済成長が前提ではない経済状況において、そのような博打を行うことは、リスクが大きすぎるのではないか。
そうした意味で、企業に対する平等な雇用を求める教授も、それを批判して日本人の雇用を求める考え方も、同じ間違いを犯しているように、私には思える。
*1:護憲、改憲、大阪市内でそれぞれ集会 憲法記念日(朝日新聞)
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200905040001.html
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。
それはともかく。
大阪で行われた集会の中で、同志社大大学院の教授が、「外国人よりも日本人の雇用を優先する「愛国雇用」の兆候がある」と指摘、「差別や排除から平和が脅かされる」と論じた。
これに対して、「他国だって自国民を優先している」「まずは日本人の雇用を安定させるべき」などと、ネット上で批判が起こっている。
これまでの私の立場としては、ネット上の批判に賛成である。
私が「保守的なもの」に期待するのは、就職氷河期世代を始めとする、若い人の貧困に対して「日本人の若者をちゃんと育てなければ、日本の未来はない」と、保守的な視点から、企業や社会がおのずと変わってのではないかと考えるからである。
すなわち、現状の新卒採用偏重の日本型雇用に固執することなく、日本人をまんべんなく育てていくという形に、社会全体の意識が変化していくことが必要なのである。
そう考えればこそ、安直な外国人労働者雇用を促進しかねないこうした発言については、危機感を感じる。
しかし、その一方で私は、教授のような「平等な雇用を期待する」考え方も、ネットや、かつての私のような「日本人の雇用を期待する」考え方も、結局のところ「企業に対する過剰な期待」に過ぎないのではないかと、最近は考えるようになっている。
企業というのは営利のために存在するのであり、雇用に際しては「いかに企業にとって都合がいいか」を優先するに決まっている。
教授のいう「愛国雇用」だって、せいぜい会社の中核である幹部候補たる正社員を日本人で固め、労働者は安い外国人労働者や外国工場での生産で賄おうというレベルのことだろう。
これまで若者を散々見殺しにしてきた企業が、悔い改めて「人件費が高くとも、末端の労働者まで日本人の正社員を使おう」などと言い出すとは思えない。
仮にそうした企業があっても、しょせんは経営者の胸先三寸であり、会社の経営状態がきつくなれば、愛国心など関係なしに、従業員を追い出すしかないだろう。
企業の雇用とはあくまでも企業が利益を出せる範疇でしか行われない。であれば、そもそも企業の雇用に「平等」や「日本人雇用の安定」を期待してもムダなのである。
そうした企業に過剰な期待をして、企業にフリーハンドを手渡すことは、短期的な景気の上下に個人の運命を託すことに繋がってしまう。右肩上がりの経済成長が前提ではない経済状況において、そのような博打を行うことは、リスクが大きすぎるのではないか。
そうした意味で、企業に対する平等な雇用を求める教授も、それを批判して日本人の雇用を求める考え方も、同じ間違いを犯しているように、私には思える。
*1:護憲、改憲、大阪市内でそれぞれ集会 憲法記念日(朝日新聞)
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200905040001.html
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。



