- 2017年07月05日 15:15
NMB須藤凜々花的な"優秀な若手"の対処法
1/2(クリエイティブディレクター サカタカツミ)
今年で9回目となったAKB48グループの選抜総選挙で、NMB48の須藤凜々花さん(20)が「結婚します」と宣言した。「恋愛禁止」というルールを破る行為として、戸惑いや批判の声もあがったが、そこには最近の「優秀な若手社員」によくみられる「ある傾向」が読み取れるという。人事採用に詳しいサカタカツミ氏が分析する――。アイドルといえば松田聖子か中森明菜かという世代なので、いくら世間が盛り上がろうとも、これまでまったく興味がわかなかったAKB総選挙。しかし、ふと目にした須藤凜々花さんの結婚宣言に関するニュースを見て、私はびっくりしてしまった。最近の採用や社員育成の現場で起きている、上司たちの戸惑いと悩みの原因が凝縮されていたからである。
画像を見る■優秀で素直だが「違和感のある若手」
最初にお断りしておくが、須藤凜々花さんとは当然面識はないし、今回の騒動(?)で、初めて名前を知ることになった。なので、このコラムも、あくまでマスメディアで報道されている彼女の発言をベースに、人事的視点で考察をしたにすぎない。
実際の彼女はまるで違う人なのかもしれないし、すべての事情が公になっていないだろうということも理解し、さらにいうとエンターテインメントの世界の話であるという前提にも立って、このコラムを書いている。それでもなお、一連の話はとても興味深いのだ。
発言や振る舞いを見る限り、彼女はここ最近、採用や育成の現場で見かける、“優秀で素直だが違和感のある若手”の典型例に見える。頭がよくて一見優秀だし、性格もいいけれど、どうもつかみどころがない。指導をすると返事はいいが、のれんに腕押しというか、言うことを聞いているようでいて、実際は聞く耳を持っていない人材……。こう書くと「あ、そういう若手、確かにいる!」と、膝を打つ人は少なくないだろう。
われわれ旧世代から見て、こうした違和感のある若手をひもとく最大のキーワードは「天動説」である。そう、宇宙の中心に地球が静止、その周りを他の天体が回転しているとする説、あれだ。
須藤凜々花さんの言動を見ていくと、(1)「自ら考えて行動する」(2)「思いがすべて(天動説)」(3)「聞き分けがよく、意志が強い」人物であることが分かる。こう書くと、「それってとても優秀な人材なのでは」と思わないだろうか? 現場の上司たちは、「一見優秀な若手」のどんなところに困っているのか。上記の3つの特徴から、彼女の言動をひもといてみよう。
■特徴1:自ら考えて行動する~恋愛禁止は、自分の判断に任せると“認識”する
彼女は総選挙後に、今回の件に関して記者会見を開いている。その発言はネットでも読むことができる。興味深い発言をいくつか拾ってみたい。
まずはAKBグループの「恋愛禁止」というオキテについて。エンターテインメント的な要素として、このグループにとって恋愛禁止という約束事は重要である。
それを破ることによってペナルティーを課されるメンバーもいる、とされている。これを読んでいる皆さんの会社でも、明文化されていないけれども、厳然と存在するルール、いわゆる暗黙の了解がある、というところは少なくないだろう。彼女は、会見で「恋愛禁止は頭にありましたか?」と問われて、次のように答えている。
「私の個人的な意見は(AKBの)恋愛は自分の判断に任せるものと認識していました」(日刊スポーツ、6月22日 https://www.nikkansports.com/entertainment/akb48/news/1843946.html)
「恋愛禁止」という言葉には、当然、「自分の判断に任せる」という意味は含まれていない。「明文化されていないことは、自分の判断に任せるということだ」と、勝手に“認識”することにより、判断は自分でしていい、と行動に移したのかもしれない。
会社での出来事に例えれば、上司や先輩に指導されたが、その指導に疑問を持ち、指導自体が明文化されていないから、自らで判断すると“認識”し、別の行動をとってしまった、という感じだろうか。もちろん、上司や先輩の指導が絶対的に正しいとは限らない。なので、疑問を持つこと自体は別に悪いことではない。自分の判断に任せると勝手に“認識してしまっている”ところに、この話の難しさがある。
今の若者、特に優秀な人材の多くは「自ら考えて行動することが大事である」と、ずっと教え込まれて育っている。「他人に言われてから行動するようではダメだ、もっと自分の意志を持て」と。ということは、彼女のような行動をするタイプが採用面接にやってきたとしたら、かなり魅力的に見えるはずだ。
「扱いづらい」と判断する採用担当者もいるかもしれないが、「個性がある」、さらにいうと「意志が強いタイプ」と評価される場合もあるのだ。
けれども、仕事での指示を「私の個人的な意見ですが、自分の判断に任せるものと認識」され、自らの意思だけで判断されると、組織としては困ってしまうのは、当然だろう。さらに興味深いのは、この短いセリフの中に「私」「個人的な」「自分の」と、3度も自分について触れている点である。まさに、この騒動における中心は「私」であり「個人」であり「自分」なのだ。
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