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- 2008年09月25日 11:00
【赤木智弘の眼光紙背】不審者報道の悪癖
今月18日、福岡市の公園で小学1年生の男児が殺害された事件で、男児の母親が犯行を認めたという。
供述では、母親自身の病気や、子供の発達障害に悩んだ結果、衝動的に殺してしまったということらしい。
しかし、殺害後に発見され難い場所に遺体を隠してGPS携帯を廃棄、周囲の人に探索を頼み、さも被害者であるかのように装い、さらに警察の聴取に対しては不審者の存在をほのめかすなど、母親が殺人の罪から逃れるための工作を行っていたことは明らかである。
だが、決してその計画は綿密なモノではなく、事件発生直後から警察は母親の供述に不審を抱いていたという。
日常的に男児の殺害を空想しながら、ある程度の計画を考えていたのだろうが、計画を煮詰めるだけの冷血さはなく、最終的には衝動や苦悩を抑えきれずに、十分な隠蔽工作を思いつかぬまま、犯行を犯してしまったのだろう。
計画が杜撰なまま、それでも犯行を決行してしまった要因の1つに「不審者報道のありよう」があるのではないかと、私は考えている。
最近のニュース番組で「子供が何者かによって殺害された事件」を報じる場合、かならずといっていいほど「不審者による犯行の可能性」を一面に押し出す。周囲の住民に話を聞いて「どこそこに怪しい車があった」と
いう発言があれば、大げさに報じ、なんの意味があってそこにいるのか不明なコメンテーターが「最近は不審者による殺人事件が増えて大変だ。昔のように水と安全はタダとはいかない」などと無知をひけらかす。
そうした、さも多くの児童殺害事件が不審者の犯行であるかのような報道に普段から触れていれば、母親が「少し工作をすれば、警察も犯人は不審者だと思うだろう」と考えたとしても、無理ならぬことである。そう考えたからこそ、殺害後に「いかにも不審者による犯行っぽい」工作を行ったのだろう。
もちろん、工作は実らず、警察はしっかりと母親を疑ったからこそ、母親は罪から逃れることはできなかった。しかし、「犯人が罪から逃れられずに良かったね」ということにはならない。実際に子供は殺されてしまい、その命は戻らないのだ。
もし、この母親が「子供が自分のそばで死ねば、自分が真っ先に疑われる」という正しい自覚をしていれば、もしかしたら、子供は殺されずにすんだのではないかと、少しだけ思う。
確かに子供の傷害や母親自身の病気はあったのだろうし、殺害に至るまで追いつめた周囲の薄情さもあるのだろうから、そうしたさまざまな要因から「不審者のせいにできるかも」という考えだけを取り除いたとしても、犯行に至らざるを得なかったのかもしれない。
しかしそれでも、犯行をすぐさま不審者に結びつける報道が、母親の殺害に至る心情を少しでも軽くしていたのであれば、やはりそのような報道を行った側に責任の一端は存在するのである。
「殺人事件を報じるな」といいたいのではない。
ちゃんとしたニュースを正しく報じる上で、それに影響された犯罪が起きたとすれば、それは不可抗力だろう。
しかし、昨今のニュース番組における子供の安心安全に関する犯罪報道はそうではない。視聴率を上げ、広告収益による利益を多く得る為に、貧しい若者や、マンガやゲームを愛好する人たちといった、特定のパーソナリティーをもつ人たちに対する過剰な不審を煽り立て、なんら事実に基づかない不安言説を醸成させた結果、それが今回の犯行を犯した母親の逃げ道になってしまった可能性はある。
「ペンは剣より強し」という言葉がある。
ペンが剣よりも強いということは、言論は大きな範囲に強く影響を及ぼすということである。
報じる側にとっては、ペンは単なる金儲けの手段なのかもしれない、しかし、そうした報道は確実にどこかに影響を及ぼす。私はその責任を小さく見積もるべきではないと、私は考えている。
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国画像を見る」
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。
供述では、母親自身の病気や、子供の発達障害に悩んだ結果、衝動的に殺してしまったということらしい。
しかし、殺害後に発見され難い場所に遺体を隠してGPS携帯を廃棄、周囲の人に探索を頼み、さも被害者であるかのように装い、さらに警察の聴取に対しては不審者の存在をほのめかすなど、母親が殺人の罪から逃れるための工作を行っていたことは明らかである。
だが、決してその計画は綿密なモノではなく、事件発生直後から警察は母親の供述に不審を抱いていたという。
日常的に男児の殺害を空想しながら、ある程度の計画を考えていたのだろうが、計画を煮詰めるだけの冷血さはなく、最終的には衝動や苦悩を抑えきれずに、十分な隠蔽工作を思いつかぬまま、犯行を犯してしまったのだろう。
計画が杜撰なまま、それでも犯行を決行してしまった要因の1つに「不審者報道のありよう」があるのではないかと、私は考えている。
最近のニュース番組で「子供が何者かによって殺害された事件」を報じる場合、かならずといっていいほど「不審者による犯行の可能性」を一面に押し出す。周囲の住民に話を聞いて「どこそこに怪しい車があった」と
いう発言があれば、大げさに報じ、なんの意味があってそこにいるのか不明なコメンテーターが「最近は不審者による殺人事件が増えて大変だ。昔のように水と安全はタダとはいかない」などと無知をひけらかす。
そうした、さも多くの児童殺害事件が不審者の犯行であるかのような報道に普段から触れていれば、母親が「少し工作をすれば、警察も犯人は不審者だと思うだろう」と考えたとしても、無理ならぬことである。そう考えたからこそ、殺害後に「いかにも不審者による犯行っぽい」工作を行ったのだろう。
もちろん、工作は実らず、警察はしっかりと母親を疑ったからこそ、母親は罪から逃れることはできなかった。しかし、「犯人が罪から逃れられずに良かったね」ということにはならない。実際に子供は殺されてしまい、その命は戻らないのだ。
もし、この母親が「子供が自分のそばで死ねば、自分が真っ先に疑われる」という正しい自覚をしていれば、もしかしたら、子供は殺されずにすんだのではないかと、少しだけ思う。
確かに子供の傷害や母親自身の病気はあったのだろうし、殺害に至るまで追いつめた周囲の薄情さもあるのだろうから、そうしたさまざまな要因から「不審者のせいにできるかも」という考えだけを取り除いたとしても、犯行に至らざるを得なかったのかもしれない。
しかしそれでも、犯行をすぐさま不審者に結びつける報道が、母親の殺害に至る心情を少しでも軽くしていたのであれば、やはりそのような報道を行った側に責任の一端は存在するのである。
「殺人事件を報じるな」といいたいのではない。
ちゃんとしたニュースを正しく報じる上で、それに影響された犯罪が起きたとすれば、それは不可抗力だろう。
しかし、昨今のニュース番組における子供の安心安全に関する犯罪報道はそうではない。視聴率を上げ、広告収益による利益を多く得る為に、貧しい若者や、マンガやゲームを愛好する人たちといった、特定のパーソナリティーをもつ人たちに対する過剰な不審を煽り立て、なんら事実に基づかない不安言説を醸成させた結果、それが今回の犯行を犯した母親の逃げ道になってしまった可能性はある。
「ペンは剣より強し」という言葉がある。
ペンが剣よりも強いということは、言論は大きな範囲に強く影響を及ぼすということである。
報じる側にとっては、ペンは単なる金儲けの手段なのかもしれない、しかし、そうした報道は確実にどこかに影響を及ぼす。私はその責任を小さく見積もるべきではないと、私は考えている。
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国画像を見る」
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。



