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- 2008年01月31日 11:00
【赤木智弘の眼光紙背】自殺を考えること 社会を考えること
時事通信が報じるところによると(*1)、秋田大学が大学院の博士課程に、4年間の自殺予防学コースを設置するという。秋田は厚生労働省の統計で、自殺率が12年連続ワーストワンとなってしまっている。
国全体の自殺者数の年次推移をみると、1998年(平成10年)にそれまで20,000人台であった自殺者数が、32,000人まで、一気に跳ね上がり、そのままの水準を維持している。(*2)
この急増の要因が、経済要因であることは疑いようがない。それは企業倒産数の年次推移(*3)とのシンクロを見ても、明らかである。
で、時事通信の記事をみると、精神医学や社会学、そして法律や経済などと、トータルで自殺予防を目指すコースとなるそうだ。
私は別にこうした研究を否定するつもりはない。先ほどのデータにもあるように、年間の自殺者数が3万人を超える異常事態に対して、いままで社会はあまりにも冷淡すぎた。増えてもいない若者の凶悪犯罪が盛んに急増したと報じられ、各地で防犯対策が講じられる一方で、確実に急増した自殺者数については、反応は芳しくなく、適切な扱いを受けてこなかった。そうした意味で、大学が現状に対応しようというのは重要なことだし、遅すぎたとも思える。
しかし、手放しで賛同するわけにもいかない。「自殺を予防しよう」という考え方は、ともすると個別の対処療法にとどまり、経済という最大要因を見逃す可能性が高いからだ。
たとえば、心理学によるケアは、自殺を「心の問題」と考えて、お金がなくて生活が苦しい人に「お金がなくても、楽しく生きる方法を考えましょう」などと対応し、結果、貧困を肯定してしまう。
もちろん、心のケアで一時を凌いだことで、それからの生活が成り立つのなら構わないが、かつてのように「今は苦しくとも、がんばればいつかは楽になる」ような経済成長は、もはや前提とすることはできず、貧困者は今後も貧困のままである可能性が高い。結果、自殺を予防することが、単に苦しみを引き伸ばすだけのことになりかねない。
このように考えた時に、最終的には「自殺予防とは何か」とか「自殺を予防するということは正しいのか」という、根源的な問題にぶち当たることになるし、そこにぶち当たらないようなカリキュラムであれば、学問としては失敗だろう。
私が考えるに、自殺予防学というのは、ただ自殺を予防するということではなく、人間の尊厳ということをトータルで考えなければならない学問になる。それは人間が生み出した「社会そのもの」を考えることに等しい。決して道は平坦ではないが、そこで学ぼうという学生たちには、本当にがんばってもらいたい。
*1:http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-13X432.html
*2:http://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm
*3:http://www.president.co.jp/pre/20030303/001.html
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か」
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。
国全体の自殺者数の年次推移をみると、1998年(平成10年)にそれまで20,000人台であった自殺者数が、32,000人まで、一気に跳ね上がり、そのままの水準を維持している。(*2)
この急増の要因が、経済要因であることは疑いようがない。それは企業倒産数の年次推移(*3)とのシンクロを見ても、明らかである。
で、時事通信の記事をみると、精神医学や社会学、そして法律や経済などと、トータルで自殺予防を目指すコースとなるそうだ。
私は別にこうした研究を否定するつもりはない。先ほどのデータにもあるように、年間の自殺者数が3万人を超える異常事態に対して、いままで社会はあまりにも冷淡すぎた。増えてもいない若者の凶悪犯罪が盛んに急増したと報じられ、各地で防犯対策が講じられる一方で、確実に急増した自殺者数については、反応は芳しくなく、適切な扱いを受けてこなかった。そうした意味で、大学が現状に対応しようというのは重要なことだし、遅すぎたとも思える。
しかし、手放しで賛同するわけにもいかない。「自殺を予防しよう」という考え方は、ともすると個別の対処療法にとどまり、経済という最大要因を見逃す可能性が高いからだ。
たとえば、心理学によるケアは、自殺を「心の問題」と考えて、お金がなくて生活が苦しい人に「お金がなくても、楽しく生きる方法を考えましょう」などと対応し、結果、貧困を肯定してしまう。
もちろん、心のケアで一時を凌いだことで、それからの生活が成り立つのなら構わないが、かつてのように「今は苦しくとも、がんばればいつかは楽になる」ような経済成長は、もはや前提とすることはできず、貧困者は今後も貧困のままである可能性が高い。結果、自殺を予防することが、単に苦しみを引き伸ばすだけのことになりかねない。
このように考えた時に、最終的には「自殺予防とは何か」とか「自殺を予防するということは正しいのか」という、根源的な問題にぶち当たることになるし、そこにぶち当たらないようなカリキュラムであれば、学問としては失敗だろう。
私が考えるに、自殺予防学というのは、ただ自殺を予防するということではなく、人間の尊厳ということをトータルで考えなければならない学問になる。それは人間が生み出した「社会そのもの」を考えることに等しい。決して道は平坦ではないが、そこで学ぼうという学生たちには、本当にがんばってもらいたい。
*1:http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-13X432.html
*2:http://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm
*3:http://www.president.co.jp/pre/20030303/001.html
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か」
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。



