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- 2007年11月26日 11:00
【MiAUの眼光紙背】第4回:著作権と、表現と情報(北島哲郎)
今回は「著作物に含まれる情報と表現の分離」という話。
よく知られているように、著作権は情報を保護する法律ではなく、具体的な表現を保護する法律です。しかも、著作物となる「具体的な表現」には創造性が求められており、「一定の情報を元に、誰が書いても同じことになる」ような表現には著作権が発生しません。ここまでは著作権概念の基本。
しかし、問題の「著作物」に「情報」と「表現」の両面があると、いろいろと面倒なことが起きます。実例を一つ見てみましょう。
最近の話題から。ごく最近、「楽譜版の青空文庫」を志向した海外のプロジェクト "ISLMP" が一時閉鎖しました。復活の見通しは立っていないようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/International_Music_Score_Li... (日本語版:スタブ)
http://en.wikipedia.org/wiki/International_Music_Score_Li... (英語版)
ここには、著作権上の問題がいろいろと潜んでいます。
原因となったのは、オーストリアにある楽譜出版社、ユニヴェルザール社からの法的圧力でした。「版面権」による主張だそうです。
……版面権って?
日本の著作権法には存在しない権利ですが、一部の国にはこんな権利が存在します。つまり、「出版物のページの見た目」を保護する権利です。この権利があると、楽譜の世界でどんなとんでもないことが発生してしまうか、具体的に見てみましょう。
とりあえず、大きな楽譜屋に行ってみましょう。で、「ベートーヴェンの月光ソナタ」の楽譜を探してみましょう。たぶん、いろいろなバージョンの楽譜が並んでいると思います。これらの楽譜は、元はといえばベートーヴェン自身が手書きで五線紙に書き下ろした自筆譜が元々の出発点です。
当時の著作権法/システムとの差異に触れるのも面倒くさいので、ベートーヴェンの時代からいまと全く変わらない著作権法があったということにして議論を続けてしまいます。ベートーヴェンが五線譜に月光ソナタを書き下ろした時点で、ベートーヴェンは「月光ソナタ」に関する著作権を取得しました。で、この権利はしばらくの間ベートーヴェン自身が保持します。
数十年〜数百年後。ベートーベンが亡くなってからン十年がたって著作権が消滅、さらに百年単位の時がたちました。ベートーヴェン自身の著作権はなくなり、いろいろな楽譜が出版されました。
音楽の著作権が消えることそれ自体は、たぶんみなさん制度・あるべきシステムのどちらの面からも同意してくださると思います。没後ン百年もたっているのに著作権が残るというのはさすがに異常です。
……さて。作曲者の権利が消えてからも出版され続けている楽譜には、どのような著作権が発生しているのでしょうか?
出版楽譜が、ベートーヴェンが書いた自筆そのままのコピーなら、すでにどういう観点から考えても著作権はなくなっているはずです。かくして、コピーし放題。
で。
現実に世に出ている出版楽譜は、基本的にプロの手によって清書されたものです。ごく最近はコンピュータでの清書も増えてきましたが、楽譜の清書がコンピュータの手に負える作業になったのは、本当に最近のこと。出版楽譜はほとんどプロのスタッフが清書(専門的には「浄書」といいます)したものだったのです。…… では、その「プロ」の人には著作権は発生しないの?
もし浄書した人/出版社に著作権が発生するとすれば、それは「ベートーヴェンの表現を清書した」ことに対する著作権のはずです。浄書行為が創造的であるとすれば、そこに権利が発生してもいいかもしれません。けれども、浄書行為ではベートーヴェンの書いた「情報」、つまり「音符の並び」はまったく書き換えられていません。
(ベートーヴェン自身のミスを修正するのは「校訂」段階の仕事です)
さて、著作権はどうなるのでしょうか?……そこに出てくるのが、「版面権」です。
よく見ると、この例でもし出版された楽譜に著作権が発生しているとすれば、「情報としての楽譜」が保護対象になっているようにも見えます。
楽譜は「音楽表現の一固定形態」でもありますが、「情報」でもあります。伝統的な範囲で言えば楽譜の持つ情報は具体的な表現には依存しない(ある音符に与えられた幅が1cmでも2cmでも、音符の効力は変わらない!!)ので、楽譜にとって(そして演奏家にとって)決定的に重要なことは「どのように楽譜が表現されているか」ではなく「楽譜がどのような情報を持っているか」です。
あれ、著作権って情報を保護する法律だったっけ?創造的な表現を保護する法律じゃないの?
「額に汗」の部分に著作権を規定してしまったことで、「額に汗」によって整理された情報それ自体に著作権が出現したような状態になってしまいました。
ISLMPは(少なくとも一部の国では)作品そのものの著作権の消えた楽譜のみを扱っており、出版社の圧力は「版面それ自体」に対する権利が大前提のものとなります。
作品自体の権利が切れているのに、「出版物としての」改訂作業を繰り返すことで事実上著作権を半永久的に持ち続けることができる、というのは奇妙ではないでしょうか?しかも、この件では権利を保有しているのは作曲家ではなく、出版社です。作曲者の権利は順調に没後50年なり70年なりで切れているのに、出版社が勝手に作曲者の権利を引き継ぎ、さらにはパブリックドメインとなった「作品」の利用を妨害し続ける。この構図は、なにかおかしいのではないでしょうか?
さらに言えば、海外出版社の一部は「自らが絶版扱いとした楽譜に対しても」著作権が切れるまでの期間、版面権を主張し続けているようです。
百歩譲って版面権の存在を認めた上で、自分の都合で「正規に権利を処理する(=購入する)ことができなくなる」ようにしておきながら、第三者が権利を侵害 (=コピー)したら怒り出す、というのはさすがに筋が通らないでしょう。もしこの出版社以外から購入できない楽譜でこのような事態が起きたとすれば、著作権を理由とした「情報の封殺」が起きていることになります。
ここまで見てきたように、著作権を「悪用すると」「情報」自体に権利が発生するかのようなふるまいを作り出すことができてしまいます。もちろん「情報自体に権利が発生する」類の知的財産権も存在しますが、その多くは特許権のように「権利を主張するには何らかの代償が必要」、かつ「権利期間はさほど長くない」という形になっています。著作権のように異常に強い権利が事実上「情報」に対して発生してしまうのは、決して良いことではないはずです。
いま、著作権システムの趨勢としては「額に汗」、つまり誰かのかけた手間を著作権を使って保護する傾向があります。しかし、著作権はそもそも「額に汗」を保護するための法律として、成立してきたものではありませんでした。そこに、システム全体から見ても異質な「額に汗」を加えてしまうことで、今見てきたような弊害が発生しうることを見てきました。
これからも、一部の声の大きな企業・業界の声にばかり耳を傾けずに、「あるべき著作権システム」を考えていく必要があるのではないでしょうか。(北島 哲郎)
プロフィール:
MiAU 2007年設立。ネット上の世論を集約し、政策提言などを行う団体。著作権法関連の動きについて、ネットユーザが意見表明するためのサポートを行っていくことを目的として設立された。
公式サイト:MiAU
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。
よく知られているように、著作権は情報を保護する法律ではなく、具体的な表現を保護する法律です。しかも、著作物となる「具体的な表現」には創造性が求められており、「一定の情報を元に、誰が書いても同じことになる」ような表現には著作権が発生しません。ここまでは著作権概念の基本。
しかし、問題の「著作物」に「情報」と「表現」の両面があると、いろいろと面倒なことが起きます。実例を一つ見てみましょう。
最近の話題から。ごく最近、「楽譜版の青空文庫」を志向した海外のプロジェクト "ISLMP" が一時閉鎖しました。復活の見通しは立っていないようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/International_Music_Score_Li... (日本語版:スタブ)
http://en.wikipedia.org/wiki/International_Music_Score_Li... (英語版)
ここには、著作権上の問題がいろいろと潜んでいます。
原因となったのは、オーストリアにある楽譜出版社、ユニヴェルザール社からの法的圧力でした。「版面権」による主張だそうです。
……版面権って?
日本の著作権法には存在しない権利ですが、一部の国にはこんな権利が存在します。つまり、「出版物のページの見た目」を保護する権利です。この権利があると、楽譜の世界でどんなとんでもないことが発生してしまうか、具体的に見てみましょう。
とりあえず、大きな楽譜屋に行ってみましょう。で、「ベートーヴェンの月光ソナタ」の楽譜を探してみましょう。たぶん、いろいろなバージョンの楽譜が並んでいると思います。これらの楽譜は、元はといえばベートーヴェン自身が手書きで五線紙に書き下ろした自筆譜が元々の出発点です。
当時の著作権法/システムとの差異に触れるのも面倒くさいので、ベートーヴェンの時代からいまと全く変わらない著作権法があったということにして議論を続けてしまいます。ベートーヴェンが五線譜に月光ソナタを書き下ろした時点で、ベートーヴェンは「月光ソナタ」に関する著作権を取得しました。で、この権利はしばらくの間ベートーヴェン自身が保持します。
数十年〜数百年後。ベートーベンが亡くなってからン十年がたって著作権が消滅、さらに百年単位の時がたちました。ベートーヴェン自身の著作権はなくなり、いろいろな楽譜が出版されました。
音楽の著作権が消えることそれ自体は、たぶんみなさん制度・あるべきシステムのどちらの面からも同意してくださると思います。没後ン百年もたっているのに著作権が残るというのはさすがに異常です。
……さて。作曲者の権利が消えてからも出版され続けている楽譜には、どのような著作権が発生しているのでしょうか?
出版楽譜が、ベートーヴェンが書いた自筆そのままのコピーなら、すでにどういう観点から考えても著作権はなくなっているはずです。かくして、コピーし放題。
で。
現実に世に出ている出版楽譜は、基本的にプロの手によって清書されたものです。ごく最近はコンピュータでの清書も増えてきましたが、楽譜の清書がコンピュータの手に負える作業になったのは、本当に最近のこと。出版楽譜はほとんどプロのスタッフが清書(専門的には「浄書」といいます)したものだったのです。…… では、その「プロ」の人には著作権は発生しないの?
もし浄書した人/出版社に著作権が発生するとすれば、それは「ベートーヴェンの表現を清書した」ことに対する著作権のはずです。浄書行為が創造的であるとすれば、そこに権利が発生してもいいかもしれません。けれども、浄書行為ではベートーヴェンの書いた「情報」、つまり「音符の並び」はまったく書き換えられていません。
(ベートーヴェン自身のミスを修正するのは「校訂」段階の仕事です)
さて、著作権はどうなるのでしょうか?……そこに出てくるのが、「版面権」です。
よく見ると、この例でもし出版された楽譜に著作権が発生しているとすれば、「情報としての楽譜」が保護対象になっているようにも見えます。
楽譜は「音楽表現の一固定形態」でもありますが、「情報」でもあります。伝統的な範囲で言えば楽譜の持つ情報は具体的な表現には依存しない(ある音符に与えられた幅が1cmでも2cmでも、音符の効力は変わらない!!)ので、楽譜にとって(そして演奏家にとって)決定的に重要なことは「どのように楽譜が表現されているか」ではなく「楽譜がどのような情報を持っているか」です。
あれ、著作権って情報を保護する法律だったっけ?創造的な表現を保護する法律じゃないの?
「額に汗」の部分に著作権を規定してしまったことで、「額に汗」によって整理された情報それ自体に著作権が出現したような状態になってしまいました。
ISLMPは(少なくとも一部の国では)作品そのものの著作権の消えた楽譜のみを扱っており、出版社の圧力は「版面それ自体」に対する権利が大前提のものとなります。
作品自体の権利が切れているのに、「出版物としての」改訂作業を繰り返すことで事実上著作権を半永久的に持ち続けることができる、というのは奇妙ではないでしょうか?しかも、この件では権利を保有しているのは作曲家ではなく、出版社です。作曲者の権利は順調に没後50年なり70年なりで切れているのに、出版社が勝手に作曲者の権利を引き継ぎ、さらにはパブリックドメインとなった「作品」の利用を妨害し続ける。この構図は、なにかおかしいのではないでしょうか?
さらに言えば、海外出版社の一部は「自らが絶版扱いとした楽譜に対しても」著作権が切れるまでの期間、版面権を主張し続けているようです。
百歩譲って版面権の存在を認めた上で、自分の都合で「正規に権利を処理する(=購入する)ことができなくなる」ようにしておきながら、第三者が権利を侵害 (=コピー)したら怒り出す、というのはさすがに筋が通らないでしょう。もしこの出版社以外から購入できない楽譜でこのような事態が起きたとすれば、著作権を理由とした「情報の封殺」が起きていることになります。
ここまで見てきたように、著作権を「悪用すると」「情報」自体に権利が発生するかのようなふるまいを作り出すことができてしまいます。もちろん「情報自体に権利が発生する」類の知的財産権も存在しますが、その多くは特許権のように「権利を主張するには何らかの代償が必要」、かつ「権利期間はさほど長くない」という形になっています。著作権のように異常に強い権利が事実上「情報」に対して発生してしまうのは、決して良いことではないはずです。
いま、著作権システムの趨勢としては「額に汗」、つまり誰かのかけた手間を著作権を使って保護する傾向があります。しかし、著作権はそもそも「額に汗」を保護するための法律として、成立してきたものではありませんでした。そこに、システム全体から見ても異質な「額に汗」を加えてしまうことで、今見てきたような弊害が発生しうることを見てきました。
これからも、一部の声の大きな企業・業界の声にばかり耳を傾けずに、「あるべき著作権システム」を考えていく必要があるのではないでしょうか。(北島 哲郎)
プロフィール:
MiAU 2007年設立。ネット上の世論を集約し、政策提言などを行う団体。著作権法関連の動きについて、ネットユーザが意見表明するためのサポートを行っていくことを目的として設立された。
公式サイト:MiAU
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。



