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「国民的基盤」論の危い匂い

司法改革や、弁護士会のあり方をめぐって、法曹界の議論のなかで、度々登場してきた「国民的基盤」という切り口には、共通したある匂いを感じてきました。それは、さも正当な、大前提として語られるこの言葉のなかに、現実の国民の意思のようなものが、現実的にどこまで汲み取られてるのかが見えない、その危さの匂いです。

 そもそも「民主主義国家」であるわが国では、朝野を問わず、「国民」を冠した政策決定や主張には、当の国民として疑ってかかった方がいいような、ご都合主義的なものが存在してきましたが、法曹界の「国民的基盤」論にも同様のことがいえる、といっていいかもしれません。「上からの」と付けたくなるような一方的な期待と、勝手な民意の忖度に、国民の意思がどこまで反映されているのか、現実を本当に視野に入れて、実現可能性は語られているのか、要はどこから逆算された決定・主張なのかが分からないという話です。

 2001年の司法制度改革審議会最終意見書の中で、この「国民的基盤」は、国民の司法参加、要は結果的に裁判員制度導入を正当化するための文脈で登場します。
「国民主権に基づく統治構造の一翼を担う司法の分野においても、国民が、自律性と責任感を持ちつつ、広くその運用全般について、多様な形で参加することが期待される。国民が法曹とともに司法の運営に広く関与するようになれば、司法と国民との接地面が太く広くなり、司法に対する国民の理解が進み、司法ないし裁判の過程が国民に分かりやすくなる。その結果、司法の国民的基盤はより強固なものとして確立されることになる」
 「そもそも、司法がその機能を十全に果たすためには、国民からの幅広い支持と理解を得て、その国民的基盤が確立されることが不可欠であり、国民の司法参加の拡充による国民的基盤の確立は、今般の司法制度改革の三本柱の一つとして位置付けることができる」
何を言いたいのかはもちろん分かりますし、「国民からの幅広い支持と理解」が民主主義国家で、もはや錦旗のように掲げられても、そのこと自体、もちろん間違っているとはいえないし、抵抗感を覚える人もほとんどいないかもしれません。しかし、ここで展開されるような形、つまりは「改革」が描いたようなシナリオで、司法が「国民的基盤」を構築したり、直接参加によって司法への理解が進むということそのものを、国民はどこで受け入れたのでしょうか。

 あえていえば、昨日まで専門家への信頼を前提に、その養成のための税金も投入し、司法に正当な法的判断を委託し、期待していた側が、逆に彼らに期待される側となり、ひいてはこれまでの、その信頼を前提とした関係性を「お任せ司法」だ「統治客体意識」だと、心得違いのようにいわれることは、果たしてどうなのでしょうか。

 その結果こそが、はじめから現在に至るまで、国民に背を向けられている裁判員制度の現実というべきです。あえて皮肉をいえば、これこそが、国民の意思、国民が求めているものを視野に入れない、上からの一方的な「国民的基盤」構築論の結果です。

 弁護士会内の法曹一元や、弁護士自治をめぐる議論で登場する「国民的基盤」論にも同様なものがみてとれます。裁判官の任用に「国民的基盤」が求められ、弁護士がキャリア裁判官よりも、その「国民的基盤」を有しているという前提。弁護士自治は「市民の理解と支持」という基盤のもとに存在しなければならず、その基盤のうえに存在し続けるべきという前提――。

 法曹一元については、臨時司法制度調査会の議論から、弁護士を給源とする根拠となる弁護士の優位性をめぐり、なぜ、弁護士だけがそうした「基盤」をより持っているという前提に立てるのかで、弁護士側は反論にさらされてきましたし、また、今、弁護士側が社会に当時よりも、この前提を説得力をもって証明しているとも言い難い。司法改革路線は結果的に、法曹一元実現を現実的に遠ざけたともいえます(「激増政策の中で消えた『法曹一元』」)

 前記司法審最終意見書と同じ年に日弁連が採択した総会決議では、前記「市民の理解と支持」のもとに弁護士自治を維持・発展させる努力がうたわれました。これ自体、ともすれば多数派市民の理解が持ち出されることで(権力側にそう利用されることで)、自治本来の意義である権力対峙性を揺るがすことを懸念する見方が示されました。(「『国民的基盤』に立つ弁護士会の行方」)

 しかし、もし、この決議が意味してしまうような「多数派市民」の理解が自治の前提になるというのであれば、そもそもその「多数派市民」が積極的に弁護士自治の存続をその本来的意義を理解して求めているという現実が存在しているとは思えないし、多くの日弁連の会員自身がそのことを確信しているようにもみえません。自治の本来的な意義を社会に伝え、むしろ権力との対峙を余儀なくされた少数者にとっての最後の砦となることから、その理解の基盤を作っていく努力自体はもちろん肯定されていいと思います。しかし、前記決議を日弁連が採択する本音は、むしろそういう方向ではなく、「多数派市民の理解」の上に乗っかっていけば、見離されないであろうという期待の方です。

 どこまでいっても、「国民的基盤」を無視していいことにはならない、という反論もありそうです。しかし、国民が何を求めているのか、何を求めてきたのかという視点を欠いた期待感を、前提としてしまう政策・主張には、結局、それなりの結果が待っている、と理解しておくべき、といわなければなりません。

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