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時間が歩み爺婆の孤児生まれる

家内の母親が他界した。これで僕ら2人にとっての父母が皆無になった。僕の父が93年9月、母が88年3月、家内の父が90年10月、母が95年11月である。ここまで生きれば十分だろう。

僕の母親はともかく(女性の平均寿命は87歳)、他の3人は長生き過ぎたかもしれない。前にも書いたが、僕の父親から「長生きしすぎて友達がいなくなった」と何回か嘆きを聞いた。友達が生きていたとしても、お互いに訪ねる気力と体力がない。しかも、ネットの時代に生きていないから、連絡を取るのも大変である。耳も遠いから、電話さえ難しい。

子供の立場からしても、長生きされるのも困りもの、自由な時間が奪われると思う時があった。とはいえ、誰もいなくなると、いよいよ自分達の順番だと思ったりする。

見方を変えると、我々から両親がいなくなったということは、孤児と同じだ。80代も後半以降の両親に、何かを頼んだ覚えはない。しかし、親戚の昔話を聞けたりする。実際、もう少し聞いておくのだったと思うことも、今となってはいくつかある。

子供の頃(小学校の高学年になった頃か)、父親の稼ぎで家族が生活していることを理解するようになると、片親だけになるのが怖かった。両親とはぐれて迷子になる夢も時々見たし、今でもその場面を覚えている。

この年齢になり、状況的には孤児になったわけだが、生活の問題も、迷子になる心配もない。そんなこんなを考えていると、時間の着実な歩みが同じ出来事の実質的な意味合いを大きく変化させていることを悟る。何故なのだろう。僕らが変質した(たとえば肉体的に爺や婆になった)からか、両親が変質したからか、それとももっと別の理由からなのか。

この年になって孤児になることが良いのか悪いのか。ごちゃごちゃ書いたように、複雑な気分であることだけは確かである。

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