- 2017年06月20日 10:06
行動経済学が教える 損しない感情コントロール術 - 友野典男(経済学者)
2/3感情は損が嫌い
システム1はバイアスを生じさせ易い。人の認知や判断はたいていバイアスがかかっていると言ってもよいが、その中の1つに「損失回避性」という、たいていの人が持っている性向がある。損失回避性とは、何かを得ることよりも、それを失うことに対する心理的な拒否感が強いことを言う。
たとえば、1万円もらえるのと1万円払わなければならない確率が半々であるようなくじがあるとすると、たいていの人はそのくじを引くのを拒否する。1万円という金額は同じであっても、それを得る場合と失う場合とでは、失う方がはるかに重く感じられるからである。
では、失う額が1万円である時、得られる金額がどのくらいであれば、くじを引くであろうか。行動経済学者の研究によると、2万円から2万5000円くらいである。つまり、失う金額がもたらす「痛み」は、同一の金額が得られる場合の満足より2倍~2.5倍の重みがあるのだ。これが損失回避性であり、何かを得ることよりも、それを失うことを避けたいという心理傾向のことである。
人類は、遡ること数万年から数十万年もの間、食料や物が不足する環境で生きてきた。そのような環境では、獲得した食料を失うことは、生命を直接危険にさらしかねない。食料をより多く得ても貯蔵はできないし、他人に取られてしまうかもしれないので、より多く獲得するより、あるものを失わない方がはるかに重要なのである。集団の中での自分の地位を失ったり、村八分にされたりすることも、同様に生存を脅かす避けるべき事態である。したがって、損失を避ける傾向はわれわれの心に染みついているのである。
物があふれ、余分な物までため込み、食料まで惜しげもなく捨てるようになった現代の生活からは想像しがたいのだが、そうなったのはごく最近のことである。サルやトリなどの動物でも同じ性向が見られることがわかっている。損失回避性は本能としてわれわれの脳や心に刻み込まれているのだ。すなわちシステム1は、「損失を避けろ」と直感的に命じるのである。
また私たちは稀少品、限定品、タイムセールなどに弱く、買っておかないと損だと思ってしまう。こういった宣伝文句や売り込みに接すると、つい飛びついてしまうのも、損失回避性のゆえである。
損失回避性は選択行動に大きな影響を及ぼし、さらに別のバイアスを生むことがある。「サンクコスト効果」という現象を考えてみよう。サンクコストとは、既に費やしてしまって、もう回収不可能なコストのことである。コストには金銭ばかりでなく、時間や労力も含まれる。合理的であるためには、サンクコストを無視して選択を行なうことが必要なのだが、もう取り戻せないサンクコストにとらわれてしまって合理的選択ができないのが、サンクコスト効果である。
たとえば、バイキング料理でついつい食べ過ぎてしまうことはないだろうか。バイキングに3000円払ってしまったら、もうこのコストは戻ってこない。そこで、合理的な選択は、この3000円のことは忘れて、どれだけ食べれば良いのかだけを判断して行動することである。カロリー摂取量を気にしていたり、ダイエット中だったりしたら、そこそこで止めればよいのに、つい食べ過ぎてしまう。元を取らないのは「損失」だと判断して、損失回避性が強く働くからである。
私たちは決まり切った同じことをすることが多い。同じ店で同じものを食べ、同じ通勤ルートを使い、同じ人と話す。ネットやスマホのプランを一旦契約したら、同じプランを続ける。仕事や趣味のように少しは違うことをすることもあるが、大きな変化はしないし、望まない。それが一番気に入ったものだから、そうするということもあるが、実際は慣れ親しんだものから離れられないのだ。私たちは変化を好まず今のままでよいと考えがちだ。
現在の状態から脱却して新しい状態に移ることには、リスクとコストが伴う。いつもの店ではなく、新しい店で食事をすることには、おいしくないかもしれないというリスクがある。つまり、変化にはコストやリスクが伴う。このリスクやコストは損失回避性によって過大評価されがちである。また、現在の状態を失うことはやはり損失と捉えがちである。ここでも損失回避性が働き、結局、変化しない、すなわち現状のままでいる方が選ばれることになる。このように現状維持を肯定したり、保守的になってしまうのも損失回避性が原因である。
- 文藝春秋SPECIAL 2017夏
- もっと言ってはいけない脳と心の正体



