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アルゼンチンで繰り返される新自由主義とポピュリズム マクリ大統領来日記念 土地との絆こそが国を左右する - 風樹茂(作家、国際コンサルタント)

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 海外の進出先を決めるには、経済、法律、インフラ、市場規模、為替などを調査することはもちろんだが、もっと大切で死活的な4要素がある。1.人は親切か? 2.民族問題が苛烈ではないか? 3.土地との絆はあるか? 4.国や地域の出自はどうか? 

 親切ということは他者を受け入れる余裕を示す。民族問題があれば、労務が複雑化するし、ひいては国が不安定になる。土地との絆、出自はひとことでは言い難い。アルゼンチンをケーススタディしてみる。

焼肉

 「アルゼンチンじゃ、ヨーロッパに子供を売っているんだよ。白人ばかしだから子供のいない夫婦の養子にはぴったりってわけさ」

 アンデスの山間の街サルタ出身のアレハンドロとは、ボリビアのポトシで出会い、4200メートルの高地をいっしょに歩き回った仲だった。つまり二人は他者ではなく友人になっていた。
何度か招待してくれた彼のアパートは、敵意を剥き出しにしているブエノスアイレスの中のオアシスだった。そして筆者を罵倒したおばさんも、もし知り合えば彼と同じように筆者を扱ってくれるに違いないのである(参照 アルゼンチンサッカーは憎悪の祭典だった)。

 アレハンドロの2LDKの部屋にはブエノスとは無関係なインカの伝説的な初代皇帝マンコカパックの素晴らしい銅画があった。彼は自分たちがヨーロッパ人ではなくラテンアメリカの一員だと気付き始めた一群の若いアルゼンチン人の一人。働きながら大学の経済学部に属し、ブエノスアイレス生まれの級友と同棲していた。

 台所を行ったり来たりしていたブエノス娘が、アルゼンチンの焼肉を「できた、できた」とテーブルに持ってきてくれた。牛肉こそが日本の寿司と同様に、アルゼンチンの燦然と輝く文化の一つの柱のはずだった。けれども、それは日本の普通の家庭で食べるものより量も質も明らかに劣っていた。筆者の目に悲しみの炎が点っているのに気が付いたのだろう。アレハンドロが言った。

 「この国じゃ、上等な肉はほとんど輸出用だからね。いい肉を買うのもひどく難しいんだよ」

 その後、本物の焼肉を求めて足を棒にしてブエノスアイレス市内をくまなく探し続けた。今度こそという期待は、何度となく裏切られ続けた。2週間の努力の末、やっと本物のアルゼンチンの焼肉(パリヤーダ)を出す店をタンゴの故郷といわれるカミニートのすぐそばで見つけた。

 肉は完璧だった。とりわけ焼肉の善し悪しを判断する最良の基準、黒い血の固まりは臭みがまるっきりなく、南米で食べたもののうち最高の水準だった。牛肉のヒレ、ロース、腸、胃、舌、心臓、血が山ほど来た。二人では余り、三人でちょうどだった。

 だがここに来ると焼肉の香ばしい匂いの中に、差別の嫌らしい匂いも嗅がねばならなかった。原因は中年の禿げのボーイだった。

 彼は筆者らの席にくると、必ず見下した態度で、フンと鼻を鳴らした。それが東洋人だからなのか、新興の商業資本家という理由(最初から資金を持って移民した)で当時忌み嫌われていた韓国人と思われたからなのか、それともあらゆる観光客を追い出して、地元のポルテーニョにだけに本物の牛肉を味合わせようという配慮の現れだったのかは、知るところではない。

 最初、何も言わずにチップを置かないことで対抗したが、3度目に訪問した時も、筆者らの席に来たので、「あんたじゃなくて、もう一人のボーイを呼んでくれないかね」と言うと、彼は蔑すみの目つきでふんと鼻を鳴らした。

 誤解してはならないが、ポルテーニョの差別は膚の色によるのではなく、あらゆる他者に対する差別なのである。意見が違うもの、別の政治信条を持つもの、利害が対立するもの、身内じゃないもの、その距離が遠ければ遠いほど、差別が強まる。ポルテーニョ自身もこの差別からは無傷ではいられない。

 ある日、ホテルに戻るためのバスの中で、中年のおばさんが、その友人にこう言っているのを耳に挟んだ。彼女は、バスの乗客みんなに訴えるために聞こえよがしに言っていた。

 「全くブエノスアイレスはどうしちまったんだろうね。昔はもっと明るくて楽しかったよ。今は、道を聞いても、答えてもくれないんだよ。手を振って向こうへ行けって合図をするだけなんだからね。誰も彼も目の中に憎しみをためて、ほんとに暗い街になっちまったよ」

 だが明るかった時代というのは、いつのことであろうか。

演劇と映画に見るアルゼンチン

 象徴的な演劇と映画を一本ずつ見た。

 演劇は、「偉大なる精神錯乱」という大仰な題名の作品で、内容はアルゼンチンを一つの家族に見立てたものだった。妻は美しいドレスを着たブエノス娘、夫は作業服を着た鉄道に勤めるイギリス人だった(もともと南米の鉄道はイギリスの投資事業)。

 妻は浪費の天才で、夫が定年するというのに、隠れて金を借りまくり派手な生活を楽しみ、質実を旨とする彼は、妻の浪費に我慢ならず喧嘩が絶えない。次女は夫につき、長女は母親につき、互いに争って、そのうち借金のおかげでピアノなどの家財道具も売り払らわなければならなくなり、最後は妻も改心するという筋書きだった。

 ヒロインはペロン大統領の妻エバペロン(=エビ―タ)を象徴していた。ペロンは第二次世界大戦後に労働者のためのポピュリズム政策を敷いた左翼独裁政権(1946~55、73~74)で、エビ―タは夫ともに知識人、マスコミ、土地貴族などの金持ちを弾圧し、貧乏な庶子でも贅沢三昧の生活をできることを示し、労働者に夢を与えた。結局ばら撒きの放漫財政で国庫を空にし、その後の20年近い混乱の時代の端緒を作った。

 映画は、「スル」というカンヌ映画祭にも出されたピーノ・ソラーナスの作品だった。描いていたのは、1974~76年のイサベル(=ペロン大統領の後妻。ナイトクラブの踊り子。ペロン死後大統領になったがクーデターで失脚)政権後の新自由主義軍事独裁政権下(1976~82)で、パタゴニアの監獄に何年と収容されていた青年が、恋人の元に戻ってゆく話だった。

 青年の回想と現在が微妙に錯綜し、暗いタンゴの音楽に乗って、「スル(南)」という題名が意味する、パタゴニアの荒れ地とサンテルモの石畳を舞台に、女たちが、恋人や息子や夫に二度と会えないことを宣告する、政府官吏の無言の拒絶や冷酷な言葉に、泣き、わめき、パタゴニアの開発を夢見る老革命家の夫婦が銃弾で蜂の巣になり、主人公の青年は走り、抱き、幽霊たちと語り、拷問は続けられ、そして恋人は、他の男のものになっていた。だが、拷問や虐殺は、軍事政権だけのものではない。

 エビ―タの時代からあったのである。

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