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劇団「シベリア少女鉄道」をなぜいままで見てこなかったのか

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2017年6月1日、赤坂RED/TEATERで「シベリア少女鉄道 vol.28 たとえば君がそれを愛と呼べば、僕はまたひとつ罪を犯す」を観た。公演を観劇後、ただならぬ後悔の念にかられ、それが染みついて消えない。

(なぜなら自分は、「シベリア少女鉄道」を観るのが、これが初めてだったからだ。)

シベリア少女鉄道
「シベリア少女鉄道」は、2000年に旗揚げ、現在に至る。作・演出は土屋亮一。脚本家としてテレビ東京の「ウレロ」シリーズ(2011年~)や「SICKS〜みんながみんな、何かの病気〜」(2015年)等のコント作品を手掛けている。

自分は遅ればせながら「SICKS」を機に土屋亮一と「シベリア少女鉄道」を知り、今回、初めてその舞台公演を観た。すでに公演は終了しているが(再演・放送・DVD化などがあるかもしれないので)、ネタバレにならないことを心掛けつつ、どんな内容だったのか記してみる。

舞台は、前方とセンターが平場。左右それぞれに一段上がりの場が組まれ、それぞれに白いベッドが置かれている。センター奥には肩高の場が組まれ、その上もステージとなる。枠と壁はシンプルな四角を基調とした幾何学模様があしらわれ、グレイに塗られている。

主人公は二人の若い男女、澤井美奈子(篠塚茜)と里山雄一(加藤雅人)。舞台は雄一のモノローグから始まる。


<「シベリア少女鉄道 vol.28 たとえば君がそれを愛と呼べば、僕はまたひとつ罪を犯す >より

雄一NA 「ただ、きっかけを待っている――」
SE   (スマホ呼び出し音が鳴り、すぐに切れる)
美奈子  「非通知 ワン切り 海浜公園・・・」
M~BG  ♪カノン

「ただ、きっかけを待っている――」という言葉は、公演のチラシにも綴られていたメインコピーだ。それがそのまま、物語の幕を開けるファーストフレーズになっていた。

美奈子のスマホに届いた非通知は、雄一からの呼び出しの合図だった。美奈子は夫の目を忍ぶようにして、約束の場所である海浜公園で雄一と落ちあう。かつて恋人同士だった美奈子と雄一だったが、結婚に踏み切るきっかけを失い、美奈子は病弱の姉を支えるため、財力のある職場上司と結婚していた。

美奈子は、「非通知」があるたびに激しく心を惑わせる。
雄一は、自身の「愛」に罪悪感を抱き、「愛」という言葉に接するたび「なら、この行為は罪だ」と自らを責める。

物語はこの「美奈子と雄一の不倫」、「高校教師だった雄一の生徒が命を絶った、5年前の事件の真相解明」が主軸となり、愛とサスペンスのストーリーが綴られていく。

―――という、この、愛とサスペンスの、昼ドラ的な、韓流的な、別段新しいわけではない、どれだけ待っても上戸彩も斉藤工も出てはこない物語が淡々と続く。主題曲の「カノン」は度々リフレインし、「束の間の幸福」「悲劇の予兆」など、この手の物語にありがちな場面には、ピアノとストリングスの劇伴音楽がいかにもという調子でシーンを盛り立てる。

要するに、わざわざチケットを買ってまで劇場で観る必要のないストーリーが、それなりのボリュームで、それなりの時間をかけて繰り広げられているのを前に、「(いったいこの展開はいつまで続くのだろうか)」と、不安にさいなまれてしまった。

(なぜなら自分は、「シベリア少女鉄道」を観るのが、これが初めてだったからだ。)

この不安に負けぬよう、「(大丈夫、これ終わったらビール飲む)(ビールのあとはハイボール飲む)(ハイボールのあとは濃いハイボール飲む)」と、退屈をやり過ごすための呪文を唱えながら観続けた。

舞台上では、主人公の美奈子が、自身と他者の運命を先へ促すように、つぶやいていた。


<「シベリア少女鉄道 vol.28 たとえば君がそれを愛と呼べば、僕はまたひとつ罪を犯す >より

美奈子NA 「誰もがそのきっかけを待っている」


そして、自分の目には退屈凡庸にしか映らなかった前半約50分が過ぎたあたり、白衣の陽気な看護師がごく小さな勘違いを起こすという、とくにおかしいわけではない場面で、観客のごく一部、十数人ぐらいの人がクスクスと笑った。とくにおかしなシーンでないのに、なぜ笑っているのだろうかと不思議に思った。

(それは後から思えば、おそらくこの公演をすでに観ていた熱心な観客だったのだろう。その場面の意味を先に知っていたから笑ったのだ。)

だが、それから程なく、そのシーンがなぜおかしかったのか、うなずけるようになっていく。この演劇に仕組まれた仕掛けが、ひとつひとつ明かされていく。凡庸にしか見えなかった愛とサスペンスの物語が、その台詞が、動きが、小道具が、音楽が、芝居自体が、周到に組み込まれた意味のある時間であったことを思い知らされていく。

なにより、冒頭から幾度か繰り返されていた言葉「きっかけ」が、この舞台そのもののキーワードだったことに体が熱くなる。

舞台上で繰り広げられる、愛とサスペンスの退屈な物語は止まることなく続いている。なのに、前半には一切無かった笑いが、次から次へと姿を現す。仕組まれた笑いのパーツはやがて結合し、増殖し、拡散し、怒涛の氾濫となる。つい先ほどまで、退屈だ、と思っていた自分にする言い訳を後回しにして、ただただ笑い転げる。

そしてラスト、混乱、混線、混沌、の果て、舞台はバカバカしさのパンデミックと化す。その光景は、封印されていたいわくつきの邪教画のように禍々しい。いたずらに過ちを繰り返し救われぬ人々を、彼らが住む受難の世界を、「パッヘルベルのカノン」が包み込んでいく。追複する旋律は、聖母が捧げる終わらない祈りのようだ。

そして、この呪われた世界に、「きっかけ」が持つもうひとつの言葉の意味が姿を現すと、神の意志に触れたかのように敬虔な思いに覆われて、舞台に釘付けとなる。「きっかけ」が大きな動体へと変容していく想像外のクライマックスに、最高潮の拍手が送られる。その片隅で客席が暗いのをいいことに、自分も涙を流して笑いながら拍手を送った。

幕が降り、拍手が波引くと、追複するカノンの調べに、いつしかもうひとつの旋律が立ち上がっていることに「あっ」となる。そのアンサンブルは美しく、とことんくだらない。客出しの音楽なのに劇場を出るのが惜しくなる。音響、照明、舞台、制作、諸々、職人的献身的な仕事がこの公演を支えていたのだろうと思いながら、劇場の外に出た。

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