- 2017年06月01日 19:30
もう「3才の天使」ではない~不登校の思春期の子をもつ母の苦しさ(田中俊英)
■「疑いの世界」
僕は当欄では社会派エッセイあるいは哲学的よくわからないエッセイばかり書いているのでその立場が伝わっていないかもしれないが、基本的には子ども若者支援者、特に「ひきこもり・不登校」支援者としてふだんは仕事をしている。
仕事の半分は法人マネジメント(戦略や事業選択)や機能別マネジメント(人事や財務や広報)ではあるが、半分は現場で「面談/カウンセリング)仕事を今もしている。
時には若者へのカウンセリングも行なうが、メインは、不登校の子どもやひきこもりの若者をもつ親御さん、特に母親たちとの面談支援だ。
不思議なもので、実際にひきこもりや不登校の当事者の子ども若者と出会わなくても、保護者への地道な面談の継続で問題は解決の方向に向かうことが多い。
そうした面談の中で、思わず「切ない」と思ってしまうのが、思春期に突入した子どもの意識のあり方と乳幼児時代の子どもの映像を引きずっている母親との意識のズレだ。
不登校やひきこもり当事者の子ども若者は、いつのまにか思春期に突入し本格的に自我が生まれ、ということは本格的に「孤独」感につつまれ身のまわりの事象のすべてに疑問を抱くようになる。
とはいっても不十分な言語量のため(ということは彼女ら彼らが実感する「世界」そのものもまだまだ狭いため)、反感を抱く世界すべてに対してまずは警戒しひきこもる。
そして、その「疑いの世界」の身近な代表者である自分の親に対しても、従来の接し方とは違う態度を探すのだが、その具体的手法がわからないため、とりあえずは沈黙する。
それらの子どもたちの多くは、2才時までに必要とされる「愛着=アタッチメント」が形成できている。つまりは「他者」を信頼している(対して、児童虐待被害の子どもたちはこの基本的他者への信頼が欠落しているため、徹底的にしんどい)。
アタッチメントが形成され他者を基本的には信頼しているが、思春期に突入し世界そのものを自分の力で構築する過程に入り、ついでに学校世界とのくだらない摩擦のため不登校になり不特定多数の他者との出会いとふれあいが寸断されてしまった不登校・ひきこもり当事者の子どもたちは、世界の入り口にいる大人=自分の親を残念ながら警戒する。
その、「警戒」の意味が親たちにはわからない。
■問いつつ、入る
だが多くの親たちは必死になってこれまでの態度を改めようと努力する。これまでの言葉づかいや考え方を変えようと挑戦する。その努力はけなげだ。
子どもからするとそうした努力そのものが「うざい」のであるが、内心は喜んでいる。自分=子ども中心の世界に戻ってきた親を見てうれしくない子はいない。親からは残念なのは、子が思春期に入ってしまうと、幼児の頃のようによろこびを素直に表現してくれないことだ。
が、親たちは、ひねくれた態度をとる思春期の子に対しても粘り強く接する。それまで発していた「地雷」的言葉(学校や仕事、親の定年、近所の幼馴染の動向等)をできるだけ慎み、子の「段階」(近所を外出できる、公共の不登校支援施設に通える等)に応じた接し方を意識するようになる。
そして徐々に子の状態はよくなっていき、時間の経過もあり、それぞれの「社会」(通信制高校やサポステ等の就労支援施設)に入っていく。
思春期という「世界への問い」の時期に存在しつつも、徐々にそれぞれが入っていける世界へと移行する。問いつつ、入る。ここでは不登校やひきこもりを例にあげて書いているが、10代のヒトの成長とは、こうした「問いつつ、新しい世界に入る」を、段階的にスモーステップを踏みながら反復していくことだと僕は捉えている。
■親が苦労する最大の時期は、子の乳幼児時代
不登校やひきこもりはやがて解決する。
その解決のスピートに取り残されるのは、皮肉なことに親のほうだったりする。いや、取り残されるというよりは、乳幼児時代の残像がいつも親を覆う、といったほうが近いか。
子がひきこもりになろうが、親が苦労する最大の時期は、子の乳幼児時代だ。子が病気になったり事故に巻き込まれそうになったり発達段階でつまづいたりと、乳幼児期には毎日何かある。
そして同時に、毎日、自分の子の「笑顔」に癒やされている。
子がつくる笑顔、声、ダッコに伴う安心等に、実は子以上に親のほうがやすらぎを得ている。そのやすらぎは、自分のその子以外からはやってこない。
唯一無比のやすらぎは、自分の(乳幼児である)子の笑顔であり皮膚の感触なのだ。
まさにそれは、
天使、である。
そうしたことを、今日も複数の親たちと面談しながら僕はぼそっと語っていたが、どの母親も大きくうなづいていた。
母は、「天使時代」の子が基準にある。だから、不登校の子がやがて社会に再参加するようになったとしても、そして思春期なゆえに親があまりかまわないほうがベターだったとしても、過剰に関わり世話をしてしまう。
その過剰な世話/ケアの源泉は、「天使」時代に遡る。
皮肉なことに、この天使時代の記憶を抱きつつ、そこから親が距離をとれるようになると、本格的に子は社会に入り始める。つまり親から自立する。
子は、もはや3才の天使ではない。それを意識し、実行できるとき、親は子から離れることができる。
その、天使時代を忘れる絶好の契機が「不登校」だとも言える。★
※Yahoo!ニュースからの転載



