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「勉強の哲学」vs.「七回読み勉強法」 - 千葉雅也(哲学者)×山口真由(元財務官僚)

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勉強は裏切らない

千葉:ぼくはさっき勉強を手段としては割り切れない、といいましたが、思い返せば、ぼくも高校受験までは、受験勉強を完全にゲームとして捉え、合理的効率的に取り組む受験マニアの中学生でした。宇都宮に住んでいて、通えるあてもないのに、都内最難関の東京学芸大学附属高校を力試しで受けました。合格したんですが、自分の実力を確認したことで満足し、結局、公立の宇都宮高校に進学しました。でも、あのとき山口さんのように上京して、学芸大附属に通っていたら、どうなっていただろう、と今でも考えますね。

学芸大附属には行きませんでしたが、合格したことは、その後のぼくの進路に大きな影響を与えました。ぼくの両親は二人とも美大出身だったこともあり、中学までは美術作品を作っていて、芸大に行きたかったのですが、学芸大附属に受かったことで、「東大行けるな」と思ってしまい、美術を創作する側から批評する側にどんどんシフトしていきました。美術館の展覧会について書いた批評が褒められたりするようになり、読むものも、ロラン・バルトのようなフランス現代思想になっていきました。でも、それらを読んでいたおかげで、受験の現代文は楽勝でした。教養教育は、受験にも有用なんです。大人の勉強についても、「大は小を兼ねる」「教養は実学を包含する」と考えているのは、その個人的体験があるからかもしれません。

それから、ぼくが高校二年になった一九九五年は、ウィンドウズ95、エヴァンゲリオン、オウム事件の年でもあります。インターネットに衝撃を受けたぼくは、「リアリティとヴァーチャルリアリティ」をテーマに勝手にボードリヤールなんかを読みながら、高校の卒業論文を書きはじめ、受験勉強そっちのけで、高三まで、ひたすらそれに没頭していました。それまで、ぼくの作ったものや書いたものに何らかの反応を示していた両親も、だんだんノらなくなってきた(笑)。

文藝春秋

山口:親をドン引きさせるのは、大事かもしれませんね。私はまだその機会がないから、今でも親の期待にはちゃんと応えたいと思ってしまいます。でも、そう思う反面、今の東京で生活し、父が体現する「古き良き時代」の常識から脱皮したいと思う私もいて、引き裂かれています。

千葉さんは受験勉強でも、横にズレていくというか、余計なことをやってしまうタイプだとしたら、私は余分なことは排除して、石を積み上げていくタイプですね。さらに言えば、その先に神を見てしまうんです。

千葉:神?

山口:私は人智を尽くしたんだから、人智を超えるものは必ず私に味方する、という感覚です。

千葉:なるほど。でも、ぼくにはその感覚を決定的に喪失させる苦い出来事がありました。ぼくは中学受験もしていて、宇都宮大学附属中学を受けたんですが、残酷なことに試験の後にクジがあるんです。それでぼくは試験には受かったのに、クジで落ちてしまった。一日中、大泣きしましたよ。いくら勉強しても、その努力が運ですべてがパーになる非情な現実を知ってしまった。

山口:人智を尽くしても、それが全部ダメになることが世の中にたくさんあることは私も認識しています。だから、正確にいうと、人智を尽くして神が味方しなかったとしても、私、勉強なら受け入れられるんです。勉強は、私を裏切らない。裏切られたとしたら、自分の努力が足りなかったからだ、と。

でも、財務省で働いていたときも、弁護士になったときも、私は国家や法には絶対、神を見ないだろうと思いました。その神を大学院の「学問」には見られるんじゃないか、と期待しているんです。

アメリカで見つけた「こだわり」

千葉:大学院は、山口さんがこれまで、ああなってはいけない、と思ってきたキモい人が集まっている場所ですから、「入院おめでとうございます」という言葉を贈りたいと思います(笑)。浮くことを恐れていた山口さんが、キモくなってもいい、と思ったきっかけは何だったんですか。

山口:2015年から一年間、ハーバード大学のロースクールに留学して、LLMというインターナショナルな学生のためのプログラムを卒業したことかもしれません。ハーバード大学の女の子たちって、一昔前の学生がマルクスにはまるみたいに、みんなアメリカのフェミニズム法学者の大御所であるキャサリン・マッキノンにはまるんです。彼女は早熟の天才で、イェール大学在学中に書いた論文は、セクシャル・ハラスメントに関する法律を刷新しました。性差別の概念を整えたのも彼女です。

文章も、キレッキレッで、論理も明晰。だから、だいたいの人は一回ははまってしまう。その熱が収まると、クラスでは「マルクス主義が他の考えと並び立たないように、マッキノンもこの世は男に支配されている、という一つの論理で世界のすべてを説明しようとした。他の考えを受け入れる余地がなかったから、多数派になれなかったのよ」なんて議論が始まる。日本に帰ってきて、そんなことを飲み会で話したら、ドン引きじゃないですか。でも、日本でも大学院では、アメリカで出会ったのと同じノリで、みんなが話しているのが嬉しかった。

千葉:大学院では何を研究するつもりなんですか。

山口:総合法政という専攻で、家族についての法律を研究しようと思っています。ハーバードで私がこれまで異常にこだわってきたのは、「家族」だったんだ、と気づかされたからです。

さっき少し話しましたが、私は高校進学のために札幌に両親と妹を残して上京し、祖母の家で暮らし始めました。すごく仲のいい家族なのですが、離れて暮らしているから、生々しさがない。だから、毎日、家族に電話をかけて、「元気?」と声を掛け合っていることが、かえって「家族」というフィクションを演じているように思えてきてしまった。と同時にフィクションではない、家族のリアルな生々しさや嫌な部分を置いてきてしまったのではないか、という後ろめたさを感じるようになりました。

その負い目が、両親の持つ規範に、つまり、彼ら世代のあるべき家族像や結婚観に応えるべきだと私に促し、私の価値観を縛っています。本を書くときにも、両親が必ず読みますから、「親を悲しませるようなことは書きたくない」という思いにとらわれます。でも、ハーバードで勉強するうちに、私を縛ってきた、この規範から解放されたい、それを全部ばらばらに分解したい、と思うようになったんです。

そんなとき、ハーバードの指導教授の「家族や結婚には、象徴的な意味は一切ない。全部、権利と義務の束で表せる」という言葉と出会いました。ですから、大学院では、家族や結婚、親子関係から象徴的意味をいったんはぎ取ってみて、法学の言葉で権利と義務の束として表現する試みに取り組むつもりです。

たとえば、2015五年にアメリカの連邦最高裁判所は同性婚を承認する判決を出しましたが、この判決には、結婚を崇高なものとするイデオロギーが満ちていて、私には違和感がありました。要は結婚は尊い、異性婚と同性婚は平等だ、ゆえに同性婚も尊い、という論法の判決です。でも、私は結婚に「人と人が互いに高め合う尊い関係」といった深遠な意味は不要だと思うんです。社会が結婚に与えている、そういう象徴的意味をはぎ取り、権利と義務からなる契約、つまり事実婚としたうえで、異性婚と同性婚に平等な権利を認めればいいと考えています。

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