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不快感にこそ幸せのヒントがあった なぜ最貧国ボリビアのほうが日本よりも幸福感が高いのか? - 風樹茂 (作家、国際コンサルタント)

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 かつて最貧国だったボリビアに住んでいるときが一番幸せだった。なぜだろうか? また、6年ほど前から国連が幸福度の国別ランキングを発表しているが、信頼に足るものなのだろうか? 地球の裏側から報告する。 

文明は最低限を満たせば、幸福とは無関係か

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ボリビアの子供たち「旅行者を案内して小遣いもらっているけど、パパの友達だからお金はとらないよ」

 住んだのは、押し寄せる広大な緑の中で孤立した島のような何もない村だった。だが歯医者以外、最低限のものは揃っていた。教会、病院(派遣医1人)、小学校、雑貨屋、鉄道の駅、バスケットコート、サッカーグランド、フットサル競技場。

 人々の住む住居は草木の間に点在していた。家々の庭には、京都の寺院の結界を思わせる棒や柵があったが、いつでも乗り越えることができた。電話もインターネットもないのだから、用事があれば実際に家を訪問し、人と会う必要があった。 

 家の中の居間にはベッドとラジカセがあるだけだった。テレビを持つ家は一軒だけだった。だが、電波が届かなかった。パラグアイかブラジルの放送局の電波をまれに捉えるのだが、画面に無数の縦線が入ってジージーと雑音がした。だから、口コミとラジオが外の世界との窓口だった。

 昼は暑かった。村人は家の前の縁台に座って夕涼みをした。夜の帳が落ちると、電気がない村の天空いっぱいに、星屑がまたたく間に銀河を作った。日本ではかつて見たことのない夥しい星々に夜空が白く塗り込められていた。76年振りで現れたハレー彗星を肉眼でわずかにとらえることができた。

 土日の夜になるとディスコティックや酒場が開いた。同世代の職場の友人たちと連れだって訪れた。給料日のあとは賑わっていた。ただし、夜10時には村の電気が消えた。

 人々の生活は単純だった。友人や家族との語らい、酒、音楽、踊り、恋愛、サッカー。人にとって他に何が必要だろうか?  長い年月、この素朴さが幸せの源泉だと思っていた。

国連の世界幸福度レポートを嗤う

 国連が世界幸福デー(3月20日)に発表した幸福度ランキングの上位7カ国までは寒い北の国々である。1位から順に、ノルウェー、デンマーク、アイスランド、スイス、フィンランド、オランダ、カナダ。日本は51位、ボリビアは58位。両者のポイントは、5.920、5.823と誤差の範囲である。

 幸福度レポートの背景を調べてみると、「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク (Sustainable Development Solutions Network:SDSN)」(潘基文国連前前事務総長が2012年8月に設立)が支援し、コロンビア大学のジェフリー・サックス教授の指導のもとで運営されているという。調査資料を作るのは、ギャロップ社である。

 ジェフリー・サックスは筆者が滞在していた時代にボリビアを一層貧困化させた元凶を作った研究者である(今は反省しているようだ。「自由主義の終焉はアマゾンの小村で30年前に予言されていた」参照)。

 さて、幸福度を図る指標となっている6つの項目のうち、1人当たりGDP、社会的支援、健康寿命は適切かもしれないが、人生の選択の自由度、寛容さ、腐敗の認識は、次の理由で不適切か的外れである。

1.人生の選択の自由度(人生で何をするかの選択の自由に満足しているか)

 選択肢がたくさんあるから幸せとは限らない。選択肢があり過ぎると逆に困ることもあるだろうし、結局は親を継いで良かったということもある(家元、政治家、芸能人、農家、漁業者、窯元、開発を拒否するアマゾンの先住民など)。さらに親が子に生活のための技能を伝えるのは、もともとの人類の本来の姿だったのだから、子が家業を継ぐことは、親の幸福度を高める。

2.寛容さ(過去1カ月の間にチャリティ等に寄付をしたことがあるか)

 キリスト教徒やイスラム教徒や小乗仏教徒には寄付の習慣がある。教会に行くと寄付のための籠が回され、オフィスには時々何かの寄付の依頼が回ってくる。日本でいえば町内会費に近い感覚だ。カタールドーハの筆者の定宿はスーク・ワキーフといわれる地区にあった。ワキーフとは、「貧者への財産の寄進」を意味していた。また、ミャンマーでは、友人の若い女性は早朝に起きて、托鉢僧のためにご飯を作っていた。これは幸福度を高めるであろうが、ある意味義務でもある。寄付は、寛容さの国際比較の指標としては今一つ不適切である。

3.腐敗の認識(政府に腐敗が蔓延しているか)

 あまりに腐敗が蔓延すると、国民は不幸になるだろう。けれども政府の腐敗度が限りなく高いベネズエラで、知人運転手がこう言うのだった。「チャべスの文句をいうのは良くないよ。だってぼくらはチャべスのプロジェクトでチャべスのお金をもらっているのだから」

 ベネズエラのお金(国民の税金)であるのだが、大統領のものという認識なのである。このように道徳観は国によって全く違う。腐敗に頼って生活し、幸福になっている人間もたくさんいる。

 国連の幸福論は、世界の多様性を無視しているようだ。比較の項目を変えれば、順位は簡単に動く。カナダに留学していたコロンビアの友人は「寒い、友人や恋人もネットで見つけるしかない、面白くない、何もない、住みたくない」と忌み嫌っていた。

 国の所与の条件は不公平になるので入れたくないのだろうが、気候、天変地異、景観、そして食、治安、職場環境、恋愛、冒険などを比較項目とすれば、幸福度の表は様相が激変する。

 調査方法も気になる。1人当たりGDP、健康寿命以外の項目は、0~10の値を選ぶアンケートらしいのだが、悲観的か楽観的か見栄っ張りか控えめかなど、国民の気質により回答の振幅は大きい。

 結局誰のためのレポートかといえば、(筆者はコンサルタントなのでよくわかるが)毎年同じ形態の仕事ができるので、手離れがよく、関係する調査機関や大学などは、効率よく収益をあげることができるといえよう。だから、携わっている人や組織は、ある程度幸せになれる。

日本VSボリビア

 両国の幸福を測る項目のうち、アマゾンの村を再訪する前に、気がついていた目立った相違点は3つある。

地縁・血縁 

 国連調査の社会的支援(困ったときに頼ることができる親戚や友人がいるか)に相当する。

 筆者は日本でホームレス、自殺未遂者、殺人事件などを取材してきたが、「寄る辺ない」という言葉をよく聞いた。とりわけ郊外に住むサラリーマンは地縁がない。親戚や友人は遠方に住み、簡単には会えない。何か問題が起こると、家族(妻)に過度の負担がかかる。縁が少ないと、最後に頼るのは行政機関である。だが行政はしばしば恣意的な対応となる。生活保護を受けられずに自殺するなど、全く救われないこともある。

 一方、アマゾンの小村は狭く、傍らに友人や血縁や名付け親や恋人がいる。クモの巣のようにセーフティネットが張りめぐらされている。

利便性

 おそらく日本は世界一便利である。けれどもコンビニやウォシュレットに代表される日本の利便性は、生きる実感を乏しくさせる罠のひとつともいえる。さらに、ヤマト運輸に見られるように消費者の利便性を極大にするためには、それを実行する労働者に過度の負担を強いることになる。利便性は、もろ刃の剣である。電気がないから幸せだとさえ言える(「日本人はなぜやめた? アマゾンに残る夜這いの文化」参照)。

時間―スローライフ

 ボリビアのスローライフの象徴は列車だった。当時ブラジル国境と大都市のサンタクルスを繋ぐ列車は、1日遅れ、2日遅れということも珍しくなかった。どこかで脱線し復旧に遅れているからだった。1時間遅れで列車が到着すると、イライラするどころか、「ラッキー、時間どおりだ」と幸運を感じるようになった。

 しかし、これ以上に大切な幸せの源泉があったのである。

不快感にこそ幸せのヒントがあった

 20数年という星霜を経て、村を訪れ、友人たちの消息を尋ねた。村を出る当日に、子供たちと、滝壺に遊びに行き、夜には子供の親でもある友人のクッシ―と会った。因縁のある男で、ある意味会いたくなかった。

 彼は当時食堂の助手として働いていたが、遅刻が多く、素行も悪かった。しかも性病にかかり、何日か仕事を休んだ。食堂の責任者の依頼もあって解雇の手続きをした。だが、彼は当時筆者が付き合いのあった女性の義理の兄だった。

 ある夜、クッシーはディスコの前で「なんでおれを首にするんだ!」と殴り掛かってきた。だが、彼は小柄だった。足をかけて押し倒し、逆に殴りつけた。苦い思い出である。

 そのクッシーは彼の家の庭の椅子に座って妻といっしょに待っていた。筆者を見るなり言った。

「なんだ、随分年取ったな。ひげが白いじゃないか」

 彼とは同年だった。

「ああ、苦労しているからな」

「いま、ベネズエラにいるんだって」

「うん、そうだよ。まもなく日本に帰る」

 彼は、道路掃除の仕事をしていると言った。子供は5人だ。12歳の少年のあだ名は、トウキョウである。

 列車が来る前に村に一軒しかない雑貨屋でビールを何本も購入し、外で飲んだ。近況を語り、当時の思い出に浸った。筆者には殴り合った記憶が棘のように心に刺さっていた。

 列車が来たので腰を上げた。クッシーが言った。

「なあ、ちょっと金をくれよ」

 彼は何ら悪びれる様子も見せずに金をせびってきた。普通はせびることに苦痛を感じるはずだが、そのような様子はまったくない。せびられるほうが苦痛なだけだ。カーニバルのときに流行した陽気な歌にこんなのがあった。

 もう金を貸してくれなんていうなよ。これが最後だから、もう2度と顔を見せないでくれ!

 アマゾンの友人は再び苦い思いを筆者に抱かせた。持つ者と、持たざる者、それを彼は意識させる種類の人間だった。けれども視点を変えるとそれも微妙だった。彼は大きな庭のある家を持って、子供を5人も育てている。

 しかもボリビアには「Okinawa」と「San Juan」という日本人移住地が2つもある。戦後の貧しい日本から多くの移民を受け入れてくれたのだ。今だって、筆者を含め、援助や投資の名目で日本人や日本企業が進出する。裕福ならば国内に留まっているはずだ。

 迷ったが、求められるままに彼に金を手渡した。不快だ。くさくさした気分だ。2度と会わないと決め、列車に乗り村を離れた。

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