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昔はそんなに美しい社会だったのか

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

「アメリカ・ファースト」を政権の基本に据えたトランプ大統領の登場以来、世界各地に「〇〇ファースト」という言葉が拡散している。日本でも小池東京都知事の「都民ファースト」に始まり、優先的課題を表現するのに「ファースト」を用いる政治家、ビジネス・パーソン、行政官などが増えた。

世界のマスコミやネット上で、「ファースト(First)」の文字が頻繁に見えるようになったのは、「Me First」の風潮が世界に広まったことを憂える人たちが、警鐘として使い始めたことだ。今のリーダーたちが好んで使う「ファースト」は、国民、市民の利益を尊重するといった意味合いになっているが、「○○ファースト」は、他の集団に属する人たちとの優先的な差別化を主張する時に使われることが多い。「Me First」が「我が身が一番」などと訳されるように、排他的利己主義を醸す言葉と言ってよい。

この語義から「アメリカ人だけ良ければ良いのか」、「都民だけ良ければ良いのか」、などと難しいことを言い出す人もいるだろう。

「Me First」と時を同じくして国際社会での使用頻度が多くなった言葉に、言い方にはいろいろあるが、「It Was Better Before」といった言葉がある。「昔は今より良かった」という思考だ。「It Was Better Before」は、特に政治の世界で幅を利かせている。「昔は良かった」という考えは、裏返せば今は満足できないとか、不満だという事であり、美化された過去を懐かしむ国民感情をうまく取り込み、自分の追い風にしようとたくらむ政治家も多い。

トランプ大統領の「アメリカを再び偉大な国に(Make America Strong Again)」という惹句は、平たく言えば「今のアメリカは弱体化したが、あらゆる分野で他国を凌駕していた頃のアメリカを取り返そう」という事だ。トランプ大統領が描く良き時代のアメリカとは、戦争で疲弊した主要国を横目に、政治、経済、軍事などの分野で突出したリーダーとなった第二次大戦直後のアメリカ、または米ソ冷戦に勝利して世界唯一の超大国として君臨した20世紀末のアメリカの姿だろう。

一方、冷戦に敗れたロシアのプーチン大統領も、最近は東欧、中央アジア、カフカス地方までを勢力圏にしていた旧ソ連邦時代の復活を夢見ている。プーチン大統領の夢は、旧ソ連を構成した共和国への影響力を再び取り戻し、軍事力を背景に再び世界の大国として復活することだ。すでにクリミア半島の武力編入など夢の実現に向けて行動を起こしており、今後の動きも不気味だ。

夢の復活という点では、中国はもっと積極的だ。2012年に習近平国家主席が「中華民族の偉大な復興」を「中国の夢」と呼び、以来、「強国の夢」が中国共産党の統治理念となった。習主席が復活を目指す中華民族の偉大な時代は、列強に主権を踏みにじられた19世紀のアヘン戦争以前の時代、さらにユーラシア大陸の通商秩序を支配した諸王朝時代の姿を指している。西安を起点に北欧に繋がる「シルクロード経済ベルト(帯)」、福州から欧州の都市にまで延びる「21世紀海上シルクロード(路)」、2つを合せた中国主導の大経済圏構想「一帯一路」の成功が夢の結実となる。5月14日からは世界110か国の代表を北京に集め、「一帯一路」に関する「国際協力フォーラム」も開かれ、日本の二階自民党幹事長も参加の予定だ。

4月の国民投票で大統領権の強化に成功したトルコのエルドアン大統領も、17世紀の最盛期、南カフカスからマグレブ地方、アラビア半島南端、東欧にまで版図を拡大したオスマン帝国の子孫としての自尊心を持つことを国民に訴えている。狙いは「新オスマン主義」の実行だ。安倍首相の「成長戦略(日本再興戦略)」も、世界経済の優等生だった20世紀後半の日本の活力復活を目指している点では、「It Was Better Before」の範疇に入るだろう。

政府の具体的な再興政策はないが、イギリス人は7つの海を支配した史上最大の大英帝国時代を「良き時代」だと思い、フランス人も欧州大陸の大半を治めたナポレオンの治政を懐かしむ。スペイン人だってイベリア半島から中南米を支配下に収めた16世紀末のフィリペ2世時代を国の栄華の時代と思っているに違いない。

だが、どの国もその頃、本当に夢の時代だったのだろうか。人間は後になって過ぎ去った日のことを考えると、苦渋に満ちた負の部分を忘れがちになる。いささか卑近な例になるが、森田公一とトップギャランのヒット曲「学生時代」の2番の歌詞を思い出して頂きたい。「青春時代が夢なんて、あとからほのぼの思うもの、青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」とある。確かに時が経つと青春時代を美しく思い出すこともある。だが、普通の人の青春時代は勉学に、恋に、将来の生活に、悩みの多い時代でもあったはずだ。

今、リーダーたちが再現すべき時代という栄華の時代も、富と権力を掴んで華やかな生活を楽しんだ一部の人がいた反面、権力層の抑圧に苦しんだ人たちも多数いる。過去の上澄み部分だけに目を留めず、底辺に存在した無名、無言の大衆の労苦にも心をやって、社会倫理から冷静に過去を見る目も必要だ。

未だに貧困から脱しきれない多くのアフリカやアジアの後発途上国の人たちは、今日より少しでも良い明日の生活を夢見て頑張っている。過去に執着する「It Was Better Before」より、「Tomorrow Will Be Better 」のほうが前向きで、私の耳には心地よく響く。

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