- 2017年05月10日 16:35
福島における甲状腺がんをめぐる議論を考える――福島の子どもをほんとうに守るために - 服部美咲 / フリーライター
1/2震災・事故後、確かな歩みを進めてきた福島の情報が、十分に伝わっていないという現状があります。「STOP!福島関連デマ・差別」がお届けするシリーズ「福島関連報道を検証する」では、その背景にある福島をめぐる報道のあり方を検証していきます。
「福島でがん増加はない」が専門家の常識
2017年4月19日、諏訪中央病院医師の鎌田實氏の記事「福島県で急速に増え始めた小児甲状腺がん」が注目を集めた。これまでも、一部新聞や週刊誌、テレビ番組などで、「東電福島第一原発事故の影響で、福島では小児甲状腺がんが増えている」という趣旨が繰り返し報じられてきた。
また、「原発事故の影響で甲状腺がんを発症した子どものため」と標榜する基金も設立され、著名な学者やタレントなどが名を連ねている。こうした煽情的な報道やキャンペーンなどを受け、「福島では子供の甲状腺がんが増加しているのではないか」という不安の声が県内外を問わずあがっている。
しかし、実は国内外の専門家の間では、「福島では、放射線の影響による甲状腺がんの多発は確認されていない」という意見が大多数を占めている。つまり、専門家の見解が「放射線の影響で小児甲状腺がんは多発していない」という点でほぼ一致しているにもかかわらず、小児甲状腺がんが多発しているかのように思っていたり、あるいは「甲状腺がんが多発していると考える派」と「多発していないと考える派」に専門家の見解が二分されているかのように考えていたりする人が少なくないという、専門家とわれわれ一般人との間の認識の乖離が起こっている現状がある。
本稿では、原発事故後の福島における小児甲状腺がんをめぐる経緯を整理し、この乖離の実態と弊害を明らかにしてみたい。
「小児甲状腺がん」議論の背景
1986年、ウクライナ(旧ソ連)で起きたチェルノブイリ原発事故の際、飛散した放射性ヨウ素により小児甲状腺がんが増えた。この歴史的な経験から、福島第一原発事故当初、子供の甲状腺がんの増加が懸念された。このため、福島県は、原発事故当時18歳以下だった全県民および2011年内生まれの乳幼児を対象に、2011年10月から現在まで大規模な甲状腺検査を実施している。
検査を実施している福島県立医科大学の発表データによると、2011年10月から2015年4月までの間に1巡目の検査を実施し、102人が甲状腺がんと診断されて手術を受けた。2014年4月から2巡目の検査を開始し、このときは44人が甲状腺がんと診断されて手術を受けた。この、1巡目と2巡目をあわせて146人が甲状腺がんと診断されたことが、「福島では放射線の影響で子供の甲状腺がんが多発している」という報道につながっている。
しかし、ここでまず注意しなければならないのは、「甲状腺がんは、もともと一定の割合で発生する」という事実だ。つまり、原発事故にかかわらず、福島でも他の地域でも、甲状腺がんを発症する子供は一定の割合で必ず見つかる。したがって、原発事故後の福島で146人が甲状腺がんの診断を受けたからといって、すぐさま全員が原発事故影響だと決めつけることはできない。まずはこの146人の甲状腺がん患者が放射線の影響による発症かどうかを確認する必要がある。
このことを確認するためには、原発事故の前後での甲状腺がんの発生率を比較すればよい。ところが、これまで、症状が出る前の小児甲状腺がんに関して、ここまでの大規模な検査は世界でも行われたことがなく、事故前後での甲状腺がん発症率の比較データが存在しない。小児甲状腺がん多発の是非をめぐる問題がいまだに完全には決着していないことには、前提としてこのような背景がある。
専門家グループは「放射線の影響とは考えにくい」で一致
福島の甲状腺検査を統括するために専門家が構成している「県民健康調査検討委員会」は、福島で行われた甲状腺検査で見つかった小児甲状腺がんについて、「放射線の影響とは考えにくい」「放射線の影響の可能性は小さい」と評価している。その理由として、以下の4点を挙げる。
1.甲状腺被曝線量がチェルノブイリ事故と比べて総じて小さいこと。下掲:チェルノブイリと福島における小児甲状腺がんと事故当時年齢との関係グラフ(発症年齢ではなく事故当時年齢)参照。
2.チェルノブイリ原発事故後に甲状腺がんの増加が見られ始めるまでの期間に比べて、2011年3月の原発事故による放射線被曝から1巡目の甲状腺がん発見までの期間が短いこと。下掲、チェルノブイリと福島との甲状腺がん発症年齢の違いグラフ参照。
3.地域別の発見率に大きな差がないこと。
4.1巡目の検査では、事故当時5歳以下だった幼い子供にがんが見つからなかったこと。
甲状腺はヨウ素をため込む性質があり、国連科学委員会の2008年の白書によれば、チェルノブイリ原発事故後に住民に出た健康被害は小児甲状腺がんのみである。したがって、この場合に問題となるのは事故直後に飛散し、およそ8日で半減期を迎えてすでにない放射性ヨウ素であるといえる。
チェルノブイリ原発事故の際に飛散した放射性ヨウ素の量は、福島第一原発事故と比較しておよそ7倍とされている(注1)。また旧ソ連は牛乳の放射性ヨウ素の基準値を3700Bq/kgに定め、基準値を超えた分の原乳は牛乳として流通しないようにしたが、乳児用の粉ミルクやその他の乳加工品の基準値を定めなかったため、3700Bq/kgを超えた原乳が乳児用の粉ミルクとして流通した(注2)。
(注1)チェルノブイリフォーラム「環境」
(注2)東京大学大学院農学生命科学研究科食の安全研究センター「畜産物中の放射性物質の安全性に関する文献調査報告書」2012.3
しかもこれは飽くまでも大規模農家に向けた対策に留まり、当時の旧ソ連の政治体制では、小規模農家や個人の農家には基準値などの情報が十分に伝わりにくかったという問題もある。また、ウクライナは内陸部であるため、海藻などを日常的に摂取する習慣がなく、ヨウ素欠乏による甲状腺腫がもともと風土病として蔓延していた。そのため、放射性ヨウ素を吸収しやすかった可能性も指摘されている。
一方、福島第一原発事故の直後2011年3月17日、それまで輸入食品にしか存在しなかった食品中の放射性物質に関わる基準値が暫定的に定められ、牛乳および乳製品については300Bq/kgとされた。同時に乳児暫定基準値も定められ、乳児用の牛乳や粉ミルクに関しては100Bq/kgとされた(※2012年4月以降は、それぞれ大人用乳・乳製品で100Bq/kg、乳児用乳・乳製品で50Bq/kg)。また、海が近い日本では海藻などからのヨウ素摂取が日常的であり、過度の放射性ヨウ素吸収は起きにくい状態だった(注3)。
(注3)「甲状腺がんと放射線障害」(大津留晶他、日本内科学会雑誌104:593~599, 2015)
チェルノブイリ原発事故の被災地では、「初期被曝線量が高かった」「5年以上経過してから甲状腺がんが多発した」「乳幼児の患者が多かった」という傾向があったが、福島ではこれらの特徴は見られなかった。4点目に関しても、2巡目以降に「事故当時5歳以下だった子供」の患者が見つかっても、年齢が上がるにつれすべてのがんの発症率は上がるため、例外にはならない。また、福島第一原発に近い地域と遠く離れた会津地方との間にも発症率の有意差がなかった。
これらの「県民健康調査検討委員会」の見解に異議を唱える声もあるが、国際原子力機関(IAEA)は2015年に公表したレポートで「事故による放射線被曝の影響とは考えにくいことを示唆している」としている。このIAEAそのものに関して「原子力推進側だから信用できない」という人もいるかもしれないが、国際的な専門家がつくる国連科学委員会(UNSCEAR)も、2016年に公表した白書でこのIAEAの見解を踏襲し、その上で、この見解に異を唱えた論文は世界で1本のみ(岡山大学津田敏秀教授が発表したもの)とし、「放射線によって甲状腺がんの発見率が増加したことを実証したと主張しているが、この調査には重大な欠陥があることが判明している」と切り捨てた。
このように、国際的な専門家の間では、「福島で見つかった小児甲状腺がんについては、原発事故による放射線被曝の影響とは考えにくい」という見解ですでに一致を見つつある。



