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- 2017年05月06日 21:00
安倍総理の9条3項改憲の狙いは安保法制合憲化だ! (前半)
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安倍総理は憲法記念日に、「9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければならない」とした上で、「1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という憲法9条改正を2020年中に行うべきと公言しました。
その理由として安倍総理は、「多くの憲法学者や政党の中には自衛隊を違憲だとする議論が、今なお存在している。「自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張ってくれ」というのは、余りにも無責任だ」との見解を示しています。
この安倍総理による9条3項改憲論は、実は、絶対の違憲立法である安保法制を合憲化してしまうとともに、同時に、日本が法治国家として存在していくことを未来永劫に不可能にしてしまう究極の蛮行です。
以下、そのことを分かりやすくご説明します。
平成11年5月20日、大森内閣法制局長官は「自衛隊は合憲である、しかし必然的な結果といいますか、同じ理由によって集団的自衛権は認められない」と国会答弁しています。要するに、安倍内閣以前は「自衛隊が合憲であるのはあくまでも自国防衛のためのみの組織だからであり、自衛隊は集団的自衛権を行使して他国を守る「他衛隊」となることは違憲の存在となるためできない」との憲法解釈で一貫していたのです。
また、これは同時に、「自衛隊員は絶対に、総理大臣の命令によって、集団的自衛権行使の戦争に命を張って戦い、戦死することはない。また、他の一般市民も、総理大臣が起こした集団的自衛権行使の戦争で戦死することはない」という、政府の9条解釈が立憲主義に立脚していることを意味していました。(立憲主義とは、「憲法は、武力行使(戦争)の発動などの国家権力のあり方を制限して国民の生命・人権を守るためにあり、それ以外のあり方は許されない」という考えです)
つまり、実は、自衛隊を集団的自衛権を行使する存在に変え、憲法学者どころか元内閣法制局長官にまで「違憲」と批判される事態を生み出し、自衛隊員を集団的自衛権行使という新しい戦争で戦死させるという立憲主義に反する暴挙を強行しているのは安倍総理自身なのです。
安倍総理の9条3項改憲論は、自衛隊員を始めとする国民を尊厳ある存在と全く考えず、また、法の支配や立憲主義という法治国家の至上の価値を何ら尊重しない、通常の人ではそもそも発想すらもできない戦慄すべきとんでもない暴論であることを、まずは皆さまと共有させて頂きたいと思います。
さて、憲法9条2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と明記してあるのに自衛隊が存在するのは不合理であるなどとして、憲法9条に新3項を設けて自衛権行使の根拠、すなわち、自衛隊の保持を明記すべきという主張は、以前より公明党の「加憲論」などがありました。(※1)
しかし、安倍総理が強行した安保法制が法律として存在する状況における新3項は安倍総理の主張する単なる「自衛隊の合憲化の確認」に止まらず、集団的自衛権行使など安保法制で解禁された違憲の軍事力の行使を合憲化することを意味します。
つまり、安倍総理の9条3項改憲は、違憲立法である安保法制の合憲化そのものなのです。
以下、具体的にご説明します。
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 3 前項の規定に関わらず、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない場合に、必要最小限度の自衛権を行使するための組織として自衛隊を保持するものとする。
さて、新3項に「自衛隊を保持するものとする」をいう文言を明記しましたので、これで、自衛隊が合憲であることは誰の目にも明らかになりました。 問題は、この自衛隊が一体何ができるのか? つまり、この自衛隊がどのような「自衛権の行使」ができるのかということです。
憲法改正を決定するのは国民の皆さんによる国民投票ですが、その前に、衆参の本会議で国会議員の2/3以上の賛成による憲法改正の発議があります。そして、この本会議で採決される憲法改正の原案は、その更に前に衆参の憲法審査会という委員会で審議されることになっています。
ポイントは、この憲法審査会及び本会議の審議の中で、当然に、憲法改正の原案を提案した自民党の議員に対して、「新3項の「自衛隊」は、個別的自衛権以外に集団的自衛権も行使できるという条文解釈なのか?また、米軍の戦闘のために弾薬提供などの後方支援や米艦防護などもできるのか?」という追及がなされるということです。
これは当たり前のことで、自民党の改正原案の提案者によって新3項の「自衛隊」の条文解釈が示されない、つまり、「新3項の自衛隊が何ができるのか?」が明らかにならなければ主権者である国民の皆さんは「その自衛隊の存在を憲法上に明記していいのかどうか」の国民投票の判断ができないからです。 歴史上の経験として、何だか得体の知れないものを条文に明記してしまい、後にそれが暴走して国民に大きな不幸をもたらした例は、明治憲法を始めとして世界の憲法や法律に数え切れないほど存在します。
つまり、新3項の「自衛隊」の条文解釈が「個別的自衛権しか行使できない!いや、集団的自衛権も行使できるのだ!」などといった玉虫色の解釈のまま、国民の皆さんの憲法改正の国民投票に発議されることなどあり得ないし、断じてあってはならないのです。
とすると、安倍総理と与党を始めとする改憲派は「集団的自衛権行使を含む安保法制は絶対に合憲だ」という主張ですから、自民党の提案者の条文解釈の説明としては、「新3項に明記される「自衛隊」は当然に集団的自衛権などを行使できる」というものしかあり得ません。
つまり、衆参で2/3以上を占める改憲派が強行するにしても、「自衛隊の存在を憲法上に明記するために9条に新3項を設けたいと思います。この新3項に明記される「自衛隊」は集団的自衛権行使を始め安保法制で認められているあらゆる軍事力を行使することができます。主権者である国民の皆さん、ぜひこの憲法改正を認めて下さい!」という説明による憲法改正の国会発議しかあり得ないはずなのです。
これは、単に自衛隊を9条に明記する改正に止まらず、「その自衛隊に何ができることを認めるのか」という9条の内容の変更を含む改正になります。
よって、安倍総理の主張する9条3項改憲は、そのあり方として、単なる自衛隊の存在の明記に止まらず、「集団的自衛権行使を始めとする安保法制で付与された自衛隊の違憲の軍事力の行使を合憲化する」という憲法改正にならざるを得ないものであり、安保法制に反対する全ての勢力は、何が何でも全力でこれを阻止しなければならないものなのです。
その理由として安倍総理は、「多くの憲法学者や政党の中には自衛隊を違憲だとする議論が、今なお存在している。「自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張ってくれ」というのは、余りにも無責任だ」との見解を示しています。
この安倍総理による9条3項改憲論は、実は、絶対の違憲立法である安保法制を合憲化してしまうとともに、同時に、日本が法治国家として存在していくことを未来永劫に不可能にしてしまう究極の蛮行です。
以下、そのことを分かりやすくご説明します。
1. 自衛隊を違憲の存在にしたのは安倍総理
最初に、安倍総理の9条3項改憲論が、その発言自体として、この世のものとは思えないほどに非常識で非論理かつ不合理な暴論であることを指摘します。平成11年5月20日、大森内閣法制局長官は「自衛隊は合憲である、しかし必然的な結果といいますか、同じ理由によって集団的自衛権は認められない」と国会答弁しています。要するに、安倍内閣以前は「自衛隊が合憲であるのはあくまでも自国防衛のためのみの組織だからであり、自衛隊は集団的自衛権を行使して他国を守る「他衛隊」となることは違憲の存在となるためできない」との憲法解釈で一貫していたのです。
また、これは同時に、「自衛隊員は絶対に、総理大臣の命令によって、集団的自衛権行使の戦争に命を張って戦い、戦死することはない。また、他の一般市民も、総理大臣が起こした集団的自衛権行使の戦争で戦死することはない」という、政府の9条解釈が立憲主義に立脚していることを意味していました。(立憲主義とは、「憲法は、武力行使(戦争)の発動などの国家権力のあり方を制限して国民の生命・人権を守るためにあり、それ以外のあり方は許されない」という考えです)
つまり、実は、自衛隊を集団的自衛権を行使する存在に変え、憲法学者どころか元内閣法制局長官にまで「違憲」と批判される事態を生み出し、自衛隊員を集団的自衛権行使という新しい戦争で戦死させるという立憲主義に反する暴挙を強行しているのは安倍総理自身なのです。
安倍総理の9条3項改憲論は、自衛隊員を始めとする国民を尊厳ある存在と全く考えず、また、法の支配や立憲主義という法治国家の至上の価値を何ら尊重しない、通常の人ではそもそも発想すらもできない戦慄すべきとんでもない暴論であることを、まずは皆さまと共有させて頂きたいと思います。
さて、憲法9条2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と明記してあるのに自衛隊が存在するのは不合理であるなどとして、憲法9条に新3項を設けて自衛権行使の根拠、すなわち、自衛隊の保持を明記すべきという主張は、以前より公明党の「加憲論」などがありました。(※1)
しかし、安倍総理が強行した安保法制が法律として存在する状況における新3項は安倍総理の主張する単なる「自衛隊の合憲化の確認」に止まらず、集団的自衛権行使など安保法制で解禁された違憲の軍事力の行使を合憲化することを意味します。
つまり、安倍総理の9条3項改憲は、違憲立法である安保法制の合憲化そのものなのです。
以下、具体的にご説明します。
2. 新3項の「自衛隊」は一体何ができるのか?
議論のために、安倍総理の主張を「忖度」ではなく推察して、9条3項の条文案を書いてみました。モデルは、違憲の解釈変更である7.1閣議決定にある集団的自衛権行使を可能にする「武力行使の新三要件」です。第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 3 前項の規定に関わらず、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない場合に、必要最小限度の自衛権を行使するための組織として自衛隊を保持するものとする。
さて、新3項に「自衛隊を保持するものとする」をいう文言を明記しましたので、これで、自衛隊が合憲であることは誰の目にも明らかになりました。 問題は、この自衛隊が一体何ができるのか? つまり、この自衛隊がどのような「自衛権の行使」ができるのかということです。
憲法改正を決定するのは国民の皆さんによる国民投票ですが、その前に、衆参の本会議で国会議員の2/3以上の賛成による憲法改正の発議があります。そして、この本会議で採決される憲法改正の原案は、その更に前に衆参の憲法審査会という委員会で審議されることになっています。
ポイントは、この憲法審査会及び本会議の審議の中で、当然に、憲法改正の原案を提案した自民党の議員に対して、「新3項の「自衛隊」は、個別的自衛権以外に集団的自衛権も行使できるという条文解釈なのか?また、米軍の戦闘のために弾薬提供などの後方支援や米艦防護などもできるのか?」という追及がなされるということです。
これは当たり前のことで、自民党の改正原案の提案者によって新3項の「自衛隊」の条文解釈が示されない、つまり、「新3項の自衛隊が何ができるのか?」が明らかにならなければ主権者である国民の皆さんは「その自衛隊の存在を憲法上に明記していいのかどうか」の国民投票の判断ができないからです。 歴史上の経験として、何だか得体の知れないものを条文に明記してしまい、後にそれが暴走して国民に大きな不幸をもたらした例は、明治憲法を始めとして世界の憲法や法律に数え切れないほど存在します。
つまり、新3項の「自衛隊」の条文解釈が「個別的自衛権しか行使できない!いや、集団的自衛権も行使できるのだ!」などといった玉虫色の解釈のまま、国民の皆さんの憲法改正の国民投票に発議されることなどあり得ないし、断じてあってはならないのです。
とすると、安倍総理と与党を始めとする改憲派は「集団的自衛権行使を含む安保法制は絶対に合憲だ」という主張ですから、自民党の提案者の条文解釈の説明としては、「新3項に明記される「自衛隊」は当然に集団的自衛権などを行使できる」というものしかあり得ません。
つまり、衆参で2/3以上を占める改憲派が強行するにしても、「自衛隊の存在を憲法上に明記するために9条に新3項を設けたいと思います。この新3項に明記される「自衛隊」は集団的自衛権行使を始め安保法制で認められているあらゆる軍事力を行使することができます。主権者である国民の皆さん、ぜひこの憲法改正を認めて下さい!」という説明による憲法改正の国会発議しかあり得ないはずなのです。
これは、単に自衛隊を9条に明記する改正に止まらず、「その自衛隊に何ができることを認めるのか」という9条の内容の変更を含む改正になります。
よって、安倍総理の主張する9条3項改憲は、そのあり方として、単なる自衛隊の存在の明記に止まらず、「集団的自衛権行使を始めとする安保法制で付与された自衛隊の違憲の軍事力の行使を合憲化する」という憲法改正にならざるを得ないものであり、安保法制に反対する全ての勢力は、何が何でも全力でこれを阻止しなければならないものなのです。



