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- 2017年04月30日 10:00
社会貢献と寄付
私の会社が経営するバンクーバーの商業不動産に入居するテナントの従業員から「お願いがあります」と。イスラム系の彼が所属する団体で寄付金集めの年次イベントが近く催されるのですが、それに寄付をしてくれないか、いう依頼です。「わかった。いいよ、協力するよ。」と気持ちよく受けて経理の方にその旨、指示をしました。
このような寄付の依頼は当地で仕事をしていると頻繁にあるものです。証券会社の担当が「前立腺がんの協会に寄付を」と言われれば喜んで、と受け、銀行の担当から「小児科病院の寄付を募っているのだが」とお願いされればもちろん、とニコニコひとつ返事で受けます。
「それじゃ、いくらあっても足りないじゃないか?」と言われるかもしれませんが、通常の寄付の金額はせいぜい一件100ドル(8000円程度)ですからこの位は必要経費の中で収まります。
それとは別にほぼ毎年行っている大枠の寄付の依頼もあり、これは予算付けしています。数十万円単位の額になります。
なぜそのような寄付を行うのか、といえば一つは社会の要請であるということでしょう。北米で富裕層はずるいという風潮がありますが、富裕層の寄付の金額も尋常ではありません。特にメディアなどでよく取り上げられる富裕層は逆に多額の寄付がその人の人格、名声を引き上げる役割を果たしたりしています。
ただ、一番重要なのはお金は廻るという考え方だと思います。日本でも宝くじに当たったり、競馬で勝ったら「ごちそうするよ」と言います。ゴルフでホールインワンを取ったらうれしさよりも出費の多さで頭が痛くなります。つまり、恵まれたり幸運であればそれをみんなにおすそ分けするという発想は万国共通なのでしょう。
最近のニュースで日本電産の永守重信会長が出身校や地元の学校に170億円以上の寄付をしていることが話題になりました。東日本大震災の際には多くの企業が億単位の寄付をしたことも覚えていらっしゃる方も多いでしょう。よく金持ちはグリード(貪欲)だと言われますが、そのような姿勢だと逆に社会から見放されてしまい、企業活動がしにくくなるものなのです。「寄付して」というのは「飯でも食おうか」ぐらいのノリなのです。
さて、私はお金で解決すればいい、という発想はあまり好きではありません。確かにお金という実弾はそれを必要としている人たちにとってもっとも使いやすい形ではありますが、寄付団体を通じて行うと団体の経費がかかるため、1割から4割程度は誰かわからない人の給与や事務所経費に消えてしまいます。私はこれがどうも好きではなく、なるべくなら直接的な寄付の方を好みます。(もっともこの場合税額控除のレシートを貰えない訳で節税対策としては面白みがないのですが、私は寄付を税金対策で行うという発想が二の次、三の次だと思っています。)
そこでもう一つの社会貢献として社会奉仕を積極的に行っています。社会奉仕といえば街の掃除をしたりそれこそ被災地にお手伝いに行くことがイメージされると思いますがそれだけではありません。私はカナダで25年以上、悪戦苦闘しながらも今日に至ったわけでその苦労から学んだことを次世代に伝えることは極めて有益だと思っています。それ故に経済系NPOに所属し、日本からの若者に時間を割いて様々なことを教えたり、依頼があれば高校生や大学生など若者向けの講演もしばしば行っています。
実は私は出身大学の校友会のバンクーバー支部長をしているのですが、当地の大学に交換留学している学生さん達と今期、初めて深い付き合いをいたしました。そこでの気づきは現役学生と校友会の接点を通じ、留学先の大学で学ぶだけではなく、校友会がバックアップし、もっと広く海外の見識を広げてもらおうと考えました。私は大学の事務部と掛け合い、次期以降の留学予定の学生との接点をつくるのに大学側の協力を得られるようになったのです。現役と校友会の繋がりはわが校では初めての試みのはずです。こういう活動も大事な社会貢献だと思っています。
お金を持っている人は寄付をして社会に還流させるという発想があると同時に経験や能力を若い人に伝授したり教えていくということも重要な社会活動であります。我々日本人はどうしても他人に対してやや壁を作る傾向があります。私は出来る限りそのハードルを低くし、社会が豊かになるために汗をかき、時間を割き、寄付も厭わないよう微力ですがお手伝いできるように前向きに進んでいます。こんな人を一人でも二人でも増やして社会をもっと豊かにできればと思います。
では今日はこのぐらいで。
このような寄付の依頼は当地で仕事をしていると頻繁にあるものです。証券会社の担当が「前立腺がんの協会に寄付を」と言われれば喜んで、と受け、銀行の担当から「小児科病院の寄付を募っているのだが」とお願いされればもちろん、とニコニコひとつ返事で受けます。
「それじゃ、いくらあっても足りないじゃないか?」と言われるかもしれませんが、通常の寄付の金額はせいぜい一件100ドル(8000円程度)ですからこの位は必要経費の中で収まります。
それとは別にほぼ毎年行っている大枠の寄付の依頼もあり、これは予算付けしています。数十万円単位の額になります。
なぜそのような寄付を行うのか、といえば一つは社会の要請であるということでしょう。北米で富裕層はずるいという風潮がありますが、富裕層の寄付の金額も尋常ではありません。特にメディアなどでよく取り上げられる富裕層は逆に多額の寄付がその人の人格、名声を引き上げる役割を果たしたりしています。
ただ、一番重要なのはお金は廻るという考え方だと思います。日本でも宝くじに当たったり、競馬で勝ったら「ごちそうするよ」と言います。ゴルフでホールインワンを取ったらうれしさよりも出費の多さで頭が痛くなります。つまり、恵まれたり幸運であればそれをみんなにおすそ分けするという発想は万国共通なのでしょう。
最近のニュースで日本電産の永守重信会長が出身校や地元の学校に170億円以上の寄付をしていることが話題になりました。東日本大震災の際には多くの企業が億単位の寄付をしたことも覚えていらっしゃる方も多いでしょう。よく金持ちはグリード(貪欲)だと言われますが、そのような姿勢だと逆に社会から見放されてしまい、企業活動がしにくくなるものなのです。「寄付して」というのは「飯でも食おうか」ぐらいのノリなのです。
さて、私はお金で解決すればいい、という発想はあまり好きではありません。確かにお金という実弾はそれを必要としている人たちにとってもっとも使いやすい形ではありますが、寄付団体を通じて行うと団体の経費がかかるため、1割から4割程度は誰かわからない人の給与や事務所経費に消えてしまいます。私はこれがどうも好きではなく、なるべくなら直接的な寄付の方を好みます。(もっともこの場合税額控除のレシートを貰えない訳で節税対策としては面白みがないのですが、私は寄付を税金対策で行うという発想が二の次、三の次だと思っています。)
そこでもう一つの社会貢献として社会奉仕を積極的に行っています。社会奉仕といえば街の掃除をしたりそれこそ被災地にお手伝いに行くことがイメージされると思いますがそれだけではありません。私はカナダで25年以上、悪戦苦闘しながらも今日に至ったわけでその苦労から学んだことを次世代に伝えることは極めて有益だと思っています。それ故に経済系NPOに所属し、日本からの若者に時間を割いて様々なことを教えたり、依頼があれば高校生や大学生など若者向けの講演もしばしば行っています。
実は私は出身大学の校友会のバンクーバー支部長をしているのですが、当地の大学に交換留学している学生さん達と今期、初めて深い付き合いをいたしました。そこでの気づきは現役学生と校友会の接点を通じ、留学先の大学で学ぶだけではなく、校友会がバックアップし、もっと広く海外の見識を広げてもらおうと考えました。私は大学の事務部と掛け合い、次期以降の留学予定の学生との接点をつくるのに大学側の協力を得られるようになったのです。現役と校友会の繋がりはわが校では初めての試みのはずです。こういう活動も大事な社会貢献だと思っています。
お金を持っている人は寄付をして社会に還流させるという発想があると同時に経験や能力を若い人に伝授したり教えていくということも重要な社会活動であります。我々日本人はどうしても他人に対してやや壁を作る傾向があります。私は出来る限りそのハードルを低くし、社会が豊かになるために汗をかき、時間を割き、寄付も厭わないよう微力ですがお手伝いできるように前向きに進んでいます。こんな人を一人でも二人でも増やして社会をもっと豊かにできればと思います。
では今日はこのぐらいで。



