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カダフィの側近が語る独裁者の最後(36)

現在リビアのミスラタに拘束されているカダフィの側近で、カダフィと最後まで行動を共にした警備最高責任者の一人であるマンスール・ダオMansour Dao氏:(下)が最後の数週間についてインタビューに答えた。

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独裁者で裕福で、贅沢な生活に浸っていたカダフィの最後は、反政府軍の侵攻の中で、電気もTVも何も無い状態で、ごみの中から食料を探し、提供された家で見つけた本を読み漁っていた。

首都トリポリに反政府兵士が迫ってきたとき、カダフィは彼に予期せぬ計画を言い出した。カダフィの生まれ故郷のシルトの西20キロにあるJaref村に逃げようと言うものだった。彼はそれに反対したが、カダフィは非常に困惑し狼狽していた。カダフィは行く事を熱望し、恐らくそこで最後の日を迎える事を希望したのだろうが、カダフィはそれでもまだリビアの統治は可能だと思っていたようで、「42年の長期に渡り独裁者だった彼には無理からぬ事だった」と側近だった彼は語る。

カダフィが彼に、「政権維持の上で今後悔している部分がある」と言ったとき、彼はカダフィに、「自分は全てに後悔している、今こうして生きている事もだ。人間後悔することもできるが、不幸にも全てが遅すぎた」と答えたという。

ダオ氏は、1996年の アブ・サリム刑務所Abu Salim prisonでの政治犯の虐殺など、リビアの闇の部分の真相を知っている人物と言われ、衰退したカダフィ政権末期に傭兵導入の指揮をしたと言われているが本人は否定している。彼は以前のインタビューで、カダフィは戦闘の指揮は一切せず、全ては息子達に任せていたと語っている。

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カダフィの最後の日、彼はカダフィと同じトヨタのランドクルーザーに同乗し、一行はシルトからの脱出を試みたが彼もカダフィも空爆で負傷し意識不明のうちに捕獲され、その同じ日カダフィは殺害された。彼はカダフィに対し「すまないことをした。逃げ延びて暮らす事も出来たのに、彼は事態を過小評価していた」と言い、側近としての感情を今も持ち続けているようだ。カダフィ、息子の最後:カダフィ、息子の死に疑惑、再調査 リビア(33)

images生存中のシルトでは、空爆の中、4日に一度は居場所を変え、戦闘はカダフィの五男 Mutassim(生きて捕まったが密かに処刑された:右)が指揮していたが、当初の350名程の兵士は、戦死や脱走などで減り続け、最後は150名ほどになっていた。カダフィは極度のストレスから怒ったり、落ち込んだりを繰り返していたが、逃亡中に彼が首都トリポリは反政府側に制圧されたと告げてもまだカダフィは、民衆は自分を慕っていると信じていたようだったと答えている。参照記事より抜粋抄訳 左はカダフィ一行が逃げ回ったシルト市街 空爆で街は瓦礫になっている。

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