- 2011年11月08日 20:54
2011/11/07 ダライ・ラマ法王自由報道協会記者会見
1/3会見で法王はメディアに対し、『誠実でバイアスのかからない目で報道していただくことが大切です』と語った。
(動画の後に文字起こしを掲載しています)
法王「おはようございます、遅くなって申し訳ございません。
今日はこのような多くのメディアの皆さんにお目にかかれましたこと非常にうれしく思っております」
唐橋「では、冒頭ダライ・ラマ法王よりお話をしていただきます。よろしくお願い致します」
【ダライ・ラマ法王 講和】
まず最初に今回の訪日の目的についてお話申し上げたいと思います。
今回は高野山における法話も行いましたしまた、もう一つの大きな目的と致しまして、地震津波に遭われました被災地を訪問させていただき、そしてまた被災者の皆様の悲しみを共有したいというふうに思いました。そしてそこで皆様と私の考えを共有させていただき、またこれから、今度は前を向いて歩きましょうというお話についてもさせていただきました。今こそ家を建て直し、そして町を復興していこうではないか。そういう決意をするときではないかというお話をしました。
こうやってメディアの皆様にお目にかかるときには常に、私は次の二つの点についてお話をしております。特に私が大切だと思っていることなんですが。
まず一つが『ヒューマンバリュー、人間の価値』ということです。我々はこのところ様々な問題に直面をしております。これは私たちが自分で作り出したものでもあると言えるわけです。そういった意味で『こういった人的な問題をできるだけ軽減するにはどうしたらいいか』ということです。そのためには、Self discipline、つまり自己規律。そして責任を持つということ。そして他を思いやるという気持ちです。
先ほど私はヒューマンバリュー、人間の価値というお話を致しました。これは私たちが謙遜の心を持ち、そしてまたそのためには慈悲の心を持ち、愛情を持つということが大切だと思います。そしてまた、他人のために尽くすという、そういう意思の力というものも大切だと思っております。これは単に宗教的なものから起こるのではなく、宗教がないところでも人間の本質として、人間の質として元々あるものであるというふうに思います。
私たち人間が生まれたときに、そこに既に『人の愛』というものはあるわけでありまして、そういった意味では。確かに宗教があればその力を強めてくれますが、しかし、宗教がないところでも、つまり世俗的なところにおける倫理というものでもあると思います。
ということで、最初の私の申し上げたかったことといいますのは、やはりまず人間として私がお話をする場合に、まず人間としての価値ということです。これはどういう宗教であろうと、あるいはお金持ちであろうと、貧しかろうが、あるいはどういう国民であろうが、あるいはまた教育を受けていようがいまいが、やはり私たちは社会的動物としてこの世に存在しております。そしてそのためには、やはり社会に対して慈悲の心を持った家族を作り、社会を作っていくことが大切だと考えております。
私も人権がありますので、あまり強いフラッシュはお避けいただきたいと思います(笑)
それからまた、伝統というものがございます。宗教にもありますし、それからまた宗教にはそれに伴う哲学的な背景というものがございます。どの哲学においても共通していることは『愛』であり、そして『慈悲心』であり、そしてまた『ゆるし』であり、そして『自己規律』であり、そして『正直であること、信頼をもたれる人間であること』であります。確かにこの世界というのは物質的にはかなり進んだ、開発された地域となってまいりました。しかしやはり私たちは人間として愛情や、寛容な心、そしてまた人を助けるという心が必要だというふうに思います。そういった意味では、人の内なる価値といういうものが大切であり、そういうものを育てていくことにより、より我々は豊かな世界に暮らすことができると思います。
そういった意味で私は仏教徒として、宗教人として、宗教間での調和というものを一つ掲げて、私の大きなテーマとしております。これはやはり、どのような宗教であっても、宗教そのものが持つものが共通しているわけですから、調和が必要である。宗教の名の下で行われている様々な対立というものもやはり目にすることがあります。北に行けばカトリックやプロテスタント。同じキリスト教の中でも対立がありますし、またイスラム教の中ではスンニとシーアとの対立も見られるわけです。
なぜ私がこの二つの観点、そして私の決意について皆さんにお話をするかといいますと、ここにお集まりのようなメディアの方々はとても大切な役割を担っていらっしゃるからです。人間の価値そして宗教における調和というものを進めていく中で、確かに個人レベルでは祈りやそれから、瞑想というものもあります。しかし、これが社会のレベルになれば、やはり多くの方々に対する認識というものはとても大切になってくるわけです。そういった意味でメディアの方々が今、近代社会においてもこれらの価値というものが共通に見られ、大切なものであり、そしてだからこそこういった価値というものを是非とも伝え広めていっていただきたい。個人レベル、家族レベル、そして地域のレベルでこういうものが大切なんだという意識を向けていただき、皆様のお仕事メディアを通して是非ともそれをやっていただきたいと思うからです。
そしてまた、メディアの皆様、特にこのような現代社会、それからまた民主主義の社会においてはメディアの方々は大切な役割を果たしていらっしゃるわけです。特に現実を伝えるという大きなお仕事をお持ちになっていらっしゃいます。皆様各々が長い鼻。象のような長い鼻を持って、そして各々の現実に対して前からも後ろからも匂いを嗅いでください。私も含めてそうでありますが、現実がいったいどういうものなのかということをご自分自身でしっかり認識をしていただいて、そしてそれを一般の方々にお伝えいただく。そういうことがとても大切だというふうに思います。そして現在社会、我々の中にある腐敗やヒポクラシー(hypocrisy)といったものをできるだけ排除する。あるいは軽減していくことに皆さんが貢献されるべきではないかと思います。当然そのためには、やはり皆さんが誠実でバイアスのかからない目で報道していただくことが大切であります。
以前私はチベットにおける苦難に対して様々な責任を負っておりました。しかし今年の3月からは公的にも政治的な指導者の立場を降り、そして選挙によって選ばれた政治指導者へとその主権をお渡しすることにしました。ということで私は今もう政治的な指導者としての役割はまったく持っておりませんので、普通の人であります。だからと言ってダライ・ラマを辞めたわけでは非ず、未だにダライ・ラマであります。ただ過去を振り返りますと、ダライ・ラマ1世から4世におきましては宗教的な指導者であって、政治的な指導者の役割は一切果たしておりませんでした。ダライ・ラマ5世のときから現在に至るまでが、宗教的、政治的両方の責任を負うことになったわけですが、しかし私は今ダライ・ラマの座位にありまして、過去400年の政治的宗教的両方の責任を果たすというものの中で、政治的な責任を降りると、委譲するという形を喜んでそしてまた私の意思として行うことを決めたわけであります。私はやはり、日本もそうでありますが、民主主義というのもすばらしいと思っております。そして当然日本は民主主義のみならず産業発展もしてきたわけでありますが、この民主主義というのはすばらしいものがあり、そして『チベットにおいても是非とも真の意味での民主主義というものを作り上げていきたい』というふうに考えています。それからまた、日本においてはすばらしい伝統が過去あったというふうにお伺いしています。確かに今もあるのでしょうが、その中の一つに例えば年長者を敬うという気持ちがありました。例えば、バスや電車を待つときも年長者の方を立てて、『お先にどうぞ』とか席が空いてればあるいはお年寄りが乗ってきたら高齢の方に『どうぞ』と言って席を譲るというようなこともあった。という話です。最近はどうもその意識が薄らいでいるようですが、そういう良い伝統というのは是非ともまた思い出していただいて、大切に育てていただきたいというふうに思っております。そういった意味で、真の民主主義というものを私はこれからはますます進めていける体制にしてきたというふうに思います。(00:23:00)
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