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筒井康隆氏の「慰安婦像ツイート炎上事件」をどう捉えるべきか?

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・「不謹慎」時代への抵抗

中沢啓二氏の漫画『はだしのゲン』で、主人公中岡ゲンが、戦中翼賛体制に無批判に協力していた市井の人々が、戦後コロリと反戦平和を連呼し、似非平和主義者に転向する様を「欺瞞」と称して糾弾するシーンが何度もある。極めつけは、戦争中は体制側につき、軍国主義を吹聴して中岡一家を「非国民」呼ばわりして、その糾弾の急先鋒にいた町内会会長が、戦後「反戦平和」を唱えて議会選挙に立候補するその会場に殴り込みをかけるシーンである。

「さんざんわしらを非国民といじめやがって。日本が戦争に負けると今度は戦争に反対していた平和の戦士か。都合がええのう」

中岡ゲンのこの糾弾は、筒井文学の通底に流れる「空気」への抵抗、既存の権威への批判精神と同じものに思えてならない。私は、「従軍慰安婦など存在しなかった」などという、ネット右翼界隈の一部世論は歴史的に間違いなので異を唱えているし、彼女たちが軍の管理下にあった以上、「広義の強制性」という批判は、甘受するべきであろうと思う。

一方で、戦後日本は過去の内閣を通じて一定程度、誠実に謝罪と賠償の責を果たしてきたことに対し、韓国側があまりにも過小評価している実態は否めないと感じる。過ちは二度と繰り返さないという、戦後の平和日本の果たしてきた役割を、韓国側はもう少し理解してもよいと思う(しかしながらこの実績は、ことあるごとに日本側の閣僚や文化人によって毀損されてきたことも事実である)。そして当然、韓国側が今回の筒井氏コメントに怒り心頭であるという心情も、応分に理解できよう。

と同時に、「性に関する歴史的事実はいかなる時でも相対化して茶化してはいけない」という風潮にも、危険なものを感じる。「道徳とはかくあるべき」という風潮そのものを、さんざ唾棄し笑い飛ばしてきたのが筒井文学の底流なのだとすれば、今回の「炎上事件」とは、筒井文学の笑いの前衛という文脈すら、許容せぬ社会の不寛容のあらわれではないか。

おそらく筒井文学の流儀に従えば、「教育勅語」や「修身」の要素が入った教科書を一か所に集めてガソリンをかけて燃やしたり、教育勅語を暗唱しながら親殺しをしたり異性との乱痴気性行為に及ぶ、という処が王道なのであろうが、そのような内容のブログやツイートを筒井氏が行ったとすると、今度は途端に「右側」が猛烈に怒り出す塩梅となるのであろう。

「不謹慎」だけが先行し、道徳的至高だけを追い求める穢れ無き社会ほど、息苦しいものはないと思える。そういう道徳を笑い飛ばしてきたのが筒井文学なのに、それすら許容しえぬのならば、ますます想像力の可能性は閉ざされていくのではないか。どうで日本でSFが下火になっているのは気のせいではあるまい。

※Yahooニュースより転載

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