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なぜ「正義」はこぼれ落ちるものを同時に生むのか~ネトウヨをこれ以上増やさないために

■20代の編集者時代

あれは僕が23才の時、友人の松本くんが「市民目線の医療雑誌をつくろう! 」と燃えて僕も同調し、さいろ社(当時は別名だったが)という独立系出版社を共につくった。今風に言うと、出版社を「起業」した。

広告を一切載せず読者からの購読料のみで運営したため経営はたいへんだったが、スポンサーを意識せずに好きな特集を組めるため、さいろ社は徐々に評価され始めた。

雑誌の特集では、看護師不足や脳死臓器移植問題を取り上げ、全国紙やNHKにとりあげられもした。それらは単行本になり、さらに話題を呼んだ(看護婦はなぜ辞める?四つの死亡時刻 阪大病院「脳死」移植殺人事件の真相)。

当時、僕は編集者として不登校問題を取材し、記事にしていった。そのなかから「自己決定」を題材に単行本もつくったが(『子どもが決める時代』→残念ながら絶版)、その取材活動がきっかけとなり、20代後半ころには僕は編集者から支援者へとシフトしていった。

また、「自己決定」というテーマは僕に長年とりつき、やがては大阪大学の大学院で「臨床哲学」(なんと、鷲田清一先生が主任教授でした)を徹底的に勉強することになった。

その意味でも、さいろ社での活動、20代の編集者時代は、僕にとって「原点」なのだ。

■「愛と汚辱」

看護師不足や脳死臓器移植、あるいは延命医療や院内感染、また不登校やひきこもりの問題について、その問題のなかで苦しむ人々を取材し記事にしていくと、理不尽な社会のあり方についてふつふつと怒りのようなものが湧いてくる。

これでもかこれでもかと取材し書いていくと、医師や製薬会社や厚生・文部行政等だけが悪者ではないと思えてくるようになり、そうした構成要素を産んでしまうこの社会そのもの、日本そのものに対して怒りというよりはある種の諦めのようなものも抱き始める。

その怒りや諦めは誰にぶつけていいのかわからない。が、患者や看護師や不登校の子どもや延命医療の当事者やその家族の話を聞くに連れ、「これではいけない」と思う。

その素朴な思いが、たぶん「正義」だ。あるいは、コレクトネス、正当性の根拠だ。

だから我々は(編集長の松本くんのパワーはすごかった)、超貧乏でありながらも、また世の中がバブル経済で浮かれまくっている雰囲気をかいくぐるようにして、全国を取材し(地方病院の空いている病室に一泊させてもらったこともあった)、潜在化するマイノリティの声を聞いて回った。そして、書き、本にした、

自分たちでは十分注意したはずだけれども、結果としてあれらは「情熱的なポリティカルコレクトネス」になっていたのだと思う。マイノリティ擁護/代弁のために我々は熱く語り書いたが、不思議なことにその行為は、「何か」をこぼれ落とす。社会制度の理不尽さを訴える我々の言葉は、同時にそれが正義であればあるほど、人間の持つ複雑な魂のようなものをすべてカバーできない。

その「何か」は、笑いだったりズルさだったり嘘だったり秘密だったり諧謔だったり皮肉だったり、人間のもつあらゆる面を含む。それらはおそらく、「正義」としては表象しきれないもので、アートや文学としてのみ表象することができる。ピカソやG.マルケスや岡本太郎やジョニ・ミッチェルやパティ・スミスやボブ・ディランやサリンジャーの作品がもつ「愛と汚辱」(サリンジャー短編「エズミに捧ぐ」のサブタイトルです)のなかに、その「何か」は大量に含まれる。

■「銭湯評論家」に

僕はやがて青少年支援者に転身し、さいろ社編集長の松本くんはさいろ社を地道に続けながらもいまや「銭湯評論家」として有名だ。彼は銭湯本を2冊も書き(レトロ銭湯へようこそ 関西版)、ラジオ等のメディアにも度々出演して日本の失われた「サードプレイス」の代表格である銭湯文化の素晴らしさを笑いとともに発信し続けている。

最近では、町中の大衆食堂にも注目し、地味~なサイトに延々と全国の「激渋食堂」を紹介している(激渋食堂メモ)。

さいろ社時代、我々はなぜか自分たちの雑誌の中にお笑いコーナーをつくり、本編の特集以上に力を入れて記事をつくった。それは、「病院ぐるめ(病院食堂食べ歩き)」や「究極のくつろぎタイム(多忙な看護婦/師のためにスペシャルな時間を提供する)」といったコーナーだったが、これがハードな特集に並んで人気があった。

今から思うと、病院食堂食べ歩きや看護師たちと毎月おもしろ体験する(たとえばアニメ好きの看護師と「ドラゴンボール」アテレコスタジオを見学し、野沢雅子さんたちと記念撮影したりした)のは、「正義」からこぼれ落ちる何かをひたすら拾い集めていたのかもしれない。

正当性や正義は、真面目に伝えれば伝えるほど、余計なものを削ぎ落とし、それは科学や統計の名の下に人々の感情を振り落とす。

正義の言論はだから、時々暴力的になる。

現在の若者たちが思想的には保守的になり、人によっては「ネトウヨ」化しているのは、若者たちがこうした「正義が生む暴力」の気持ち悪さを無意識的に感じているからだと僕は解釈している。

正義は反論できない狭さとなり、その狭さは若者にとって窮屈で、若者とは、サリンジャーの作品で常に描かれるように、正義から溢れる「愛と汚辱」のなかで生き、イノセントな部分をいくらか引きずる人々なのだ。

それら、愛と汚辱とイノセントには、正義は狭すぎて荒っぽすぎる。

■スッキリ

サードプレイス探しやぐるめ探索だけにとどまらず、たとえばマツコ等のクィア的お笑いや、Facebook動画を用いてのDJ的語り(僕のタイムラインで最近「ワイルドサイドを歩けDJ!」というのを始めた)や、表現以前のプライベートな感情、たとえば亡きペットへの悼みなどは、すべて「正義以前」「正義の手前にある何ものか」である。

あげだしたらきりがないこれらに常にこだわり続けることが、正義が暴力になってしまうことを防ぐ手法だと思う。人々はまだこれらを無意識に展開している。

さいろ社をつくって30年、だいぶ時間がかかったが、50代のテーマにたどり着けて、この頃の僕はスッキリしている。★


松本くんの銭湯本。銭湯は日本の代表的サードプレイスで、「正義」はここに変身した。

※Yahoo!ニュースからの転載

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