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元・国立暴力団員から一言!

一般的に暴力とは「大した理由もないのに人を殴ったり、反対意見を大勢の力で抑圧したりするような、乱暴な行為」のことであり、装置とは「ある目的のために機材をその場所に取り付けたり、作りつけたりして、作動(効果を発揮)するようにさせること。またその機材」だとされている。また軍隊とは「一定の秩序を持って組織された軍人の集団」とされ、軍人とは「軍籍にある人の総称」だとされる。


仙谷官房長官が「自衛隊は暴力装置」だと“失言?”したのは、「軍隊ではない」自衛隊が「大した理由もないのに人を殴ったり、反対意見を大勢の力で抑圧したりするような、乱暴な行為」を働く「機材」だといったのに等しいから、現役自衛官、もちろんOBも彼に失望したのであろう。自衛隊が「軍隊」だったら、彼は決してこんな表現はしなかったに違いない。

今回の発言は、有力な大臣が“暴力装置”を統括する「シビリアン」としての資格に欠けていることを証明したようなもので、「暴力装置の使い道」も知らない人が、24万の強力な「暴力装置」を握っている事に国民は不安を感じたことであろう。

「暴力装置」という表現は、20世紀における法哲学や政治哲学において優勢となったドイツの学者・マックス・ヴェーバーが「職業としての政治」の中で唱えた主権国家の定義の翻訳からきているというが、この言葉は、国家の物理的強制機能を指す用語として、国家権力の象徴といえる警察力や軍事力を対象に、彼らのような権力に反抗した安保闘争時代のゲバ学生にハシカのように広がり信奉された。

主として岩波書店から発行されていることからもうかがい知れる。だから思わず彼も「青春時代」の癖が出たのであろう。

つまり、この言葉は「一定の領域において単独の主体(国家)が暴力に関する権威・権限を行使する状態を定義したものであり、領域もまたヴェーバーによって国家の特性として定義された」が、「重要なのは、このような独占が正統(正統性=Political Legitimacyを提供すること)のプロセスを介して生じなければならないこと」であり、「国家が暴力を使用することを正当化(正統化)するもの」と批判されることもあった。

しかし≪ロシア革命を主導したウラジーミル・レーニンが自著『国家と革命』の中で警察や軍隊を指して使った用語が、同じく「暴力装置」と日本語訳されているが、革命を妨げる機構という意味での「暴力」として使われており、ウェーバーのものと同義ではない≫にもかかわらず、≪安保闘争以降の日本では、マルクス・レーニン主義の左翼活動家により、レーニンの意図に近い揶揄の意味で「暴力装置」という表現が使用されてきた≫といわれ、≪ウェーバーは国家を「正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である」と述べているが、これは「すべての国家は暴力の上に基礎づけられている」というトロツキーの言葉を引用した上で「職業としての政治」の中で述べた言葉≫であり、レーニンの「政治権力とは必要な場合に暴力で強制できる能力である」という「国家の強制能力」に触れている点からも“左翼主導用語”として、かっての左派学生が好んで用いた常用語だったことが裏付けられる。

こんな「左派用語」を、「民間人であろうとも自衛隊の組織の中で、自衛隊員を相手にする行為には一定限度の制約がある」と航友会長発言を制限した官房長官自らが、「国会という組織の中」で「国会議員を相手に」発言するようでは、暴力装置の部品扱いされた「自衛隊員」も、たとえ訂正謝罪されたにせよ、不愉快極まりなかったに違いない。

あるブログにこんな意見が出ている。

≪自衛隊を毛嫌いし、警察を嫌悪した左翼運動というのが決定的に権力から遠かったのは、結局のところこの「支配の本質」を見誤っていたからに他ならず、もし自衛隊を非難する文脈で「暴力装置」と指した場合、これは「文字通り」の意味ではなく、「それをコントロールするところの政府」を婉曲に非難する言葉であり得るだろう。寧ろ、「暴力装置」たる「軍・警」の決定的離反ないし、少なくとも政府から一定の距離を置いた革命勢力との間の中立を保つならば、左派イデオロギーの勝利は一定の可能性を帯びてくるのであり、仙谷氏がマキャベリストであった場合、この意味合いは単なる「自衛隊批判」の「脳内お花畑」な言葉ではない別の色彩を帯びてくるのではないか?≫

仙谷氏がマキャべリストであるかどうかは知らないが、2005年10月3日に早稲田大学の大隈塾にて講演した際、「憲法に自衛隊が存在することの根拠を書」くべき、との文脈で以下のように述べたという。

≪私の感覚では、良いか悪いかは別として自衛隊の存在を国民の8割くらいが認めているのではないでしょうか。確かに暴力装置としての大変な実力部隊が存在し、法的に言えば自衛隊法や防衛庁設置法でもって定めているのです。それならば、これが違憲の法律だと言わないのならば、憲法に自衛隊が存在することの根拠を書かないというのは、憲法論としても法律論としても如何なものかというのが本当は論点の核心にならなければいけない。しかしながらそれは殆ど素通りをして、憲法の文言を変えて自衛隊を憲法上の存在とすることによって軍国主義化するとか、そうでないとか、戦争をすることになるか否かという議論ばかりが現在まで延々と続けられてきた。衆議院の憲法調査会を5年間やりましたけれども、そういう両極端の議論を100回繰り返しても物事は何も進まないと私も随分発言しましたけれども、それがまだまだ主流になってこない。≫

逆に当時の自公政権における石破茂・農水大臣は、≪「国家の定義というのは、警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義」と述べ、「暴力装置」という用語を使用して警察や軍隊などを説明した≫が、このシンポジウムに参加していた≪民主党の当時の副代表であった岡田克也ら複数のパネリストは、この現職の大臣である石破が警察や軍隊を「暴力装置」と表現した点について、特に誰からも問題視されなかった≫という。

それが与野党立場が逆転した今、この発言で国会は揉めている。いかに我が国では、軍事問題が「言葉の遊びに過ぎないか」、「自衛隊が政争の具(清掃具?)でしかないか」がわかろうというものである。

こんなことで一喜一憂していては自衛隊は国の安全を守れない。誰かがやらねばならない仕事である。たとえ「病気の豚や牛、鶏の始末」をさせられ3Kだと揶揄されても、危険手当もないまま世界の危険地帯に送り出されても、黙々と使命を果たしている「暴力装置」は、国民が信頼し支えてくれている「装置」であることは間違いない。

魚は頭から腐るもの、頭が信じられなくても、国民を信じて任務にまい進する、そんな「暴力装置」が日本に一つくらいあってもいいのではないか!

クラウゼヴィッツは、戦争の基本的要素についてこう言っている。

≪戦争とは、相手にわが意志を強要するために行う力の行使である。目標は敵の無力化である。戦争は政策の手段・道具である。

現実の戦争は、その概念通りの極限の暴力が行使される首尾一貫したものではなく、中途半端で、矛盾を抱えたものである≫。

≪政治が戦争を生み、また政策の表現に他ならないのだから(政治家は)主宰者であり、戦争は手段に過ぎず、軍事的視点は政治的視点に従属すべきであって、その逆ではない≫。

ここに「政治優先思想」すなわち「シビリアン・コントロール」の根源が出てくるのである。今回は、私がよく使う「シビル・アンコントロール」を証明したようなものではないか。

更にクラウゼヴィッツはこうも言っている。

≪とにかく人道主義の人々は、甚大な損傷を与えずに人為的に敵の武装を解除しうるし、あるいは敵を圧倒する事ができるとし、これが戦争術の本来の目的であると簡単に考えている。このような主張はいかにもよく見えるが、断じてこの誤りは粉砕されなければならない。なぜならば、戦争のような極めて危険な事態では、善良な心情から生じる誤りこそ最悪のものだからである。物理的力を全面的に行使するに際しても、知性の働きは決して失われていないので、この力を容赦なく、しかも流血をいとわず行使するものは、敵がそうしない限り優勢を得るに違いない。それによって彼は他に対して掟を定め、そして両者の力の行使は、戦争に固有の制限要因のほかに制限がない限り、極限まで達することになる。したがって、人は事実を正しく観察しなければならない。戦争の粗暴な要素に対する嫌悪から戦争の本性を無視することは、無益なことであり、本末を誤ったことである≫

前掲のブログはこう締めくくっている。

≪ここで間違えてはいけないのは、この「暴力を使うことのできる能力」というのは、国内における反対派へのそれだけではなく「国外からの侵略・浸透」においてもまた同様である、という点であり、それはすなわち「安全保障」であり、また別の場合は「先制攻撃」の場合もある。

似非市民派である菅首相はいざ知らず(彼が市民運動において大した役割を果たしていないことは指摘されている)、仙谷氏が徹底した左派であると過程した場合(また同時に「政治権力への姿勢」という点でマキャベリストであった場合)、これらのことを「知らない」訳がないのであり、自民党の“なんちゃって保守”よりよほど自覚的であるのではないか、と推察することはできるだろう。

ロシア革命後の革命政権に留まらず、中国・北朝鮮は言うに及ばず、旧東欧共産国家においても、軍というものが決定的に「重要な政治的基盤」であり、また「過剰な優先」を与えられていた(いる)ことを考えれば尚更である。そもそも彼らが打ち倒した(北朝鮮のような権力空白地は特別として)政府ないし権力が「軍・警」という決定的能力を喪失ないし弱体化させていたことは明白で、逆説的に言えば「いかに暴力を行使する能力」が「支配」にとって「決定的に不可欠か」を理解していたであろう≫

「元国立暴力団・戦闘機一家」に所属していた私は、誇りを持って現役諸官に申しあげたい。自衛隊が存立する根拠の「自衛隊法」第3条「任務」には「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略および間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持にあたる」とある。

また、第52条「服務」には、「…使命を自覚し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、強い責任感を持って専心その職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身を持って責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを期するもの」とされている。ばかばかしい妄言に振り回されている暇はない。

同時にシビリアン諸氏にも申し上げる。

防衛大や自衛隊観閲式典での「諸官に与えられた崇高な使命…」などと歯の浮くような美辞麗句は今後不要である。次回からはこう言ってほしい。「諸官は“暴力装置”としての任務をきっちりと果たせ!そのために必要な武器弾薬類は政府が必ず揃えてやろう!」と。

もっとも、「俺を誰だと思っているか!」などと、本物の“暴力団”顔負けのセリフを吐き、航空祭での祝辞を「問題だ!」としてチチクル卑怯者程度が集まった政党。失言妄言のオンパレードは当分続くだろうが、やがて進退窮まるだろう。

「常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、強い責任感を持って専心その職務の遂行に」あたっていない寄せ集め集団の先は見えている。

今日は、昨日一日かけて東京都庁研修をした「報告」をしようと思ったが、長くなったので次回にする。

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