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- 2017年04月04日 09:53
リクライニング「一声、掛ければいいだけのこと」 本当にそうですか。自分の意思の押し付け「タバコ吸ってもいいですか」と同じ発想
先日、リクライニングについての記事を書きました。
「リクライニングをマックス倒すなんて、どれほど自己中心的、我が儘なのか」
賛否両論でしたが、批判的なご意見も多くありました。
批判意見の中で、夜行バスだとか、国際便の話を持ち出すのは、あきれます。
想定されていない別の場面を持ち出して、この場合はどうなのという批判は、批判にもなっていません。
夜間、みんながリクライニングを倒して休むということであれば、逆に一人だけ倒さなければ迷惑な話です。そんなことは常識でしょうし、その程度のことであるに、夜行バスを持ち出して、昼間の利用を云々するあたりで、自身で破綻しているのです。
このリクライニングの使用の是非の問題点について、本当にわかっていないんだなと思います。
あるいは、身体的な問題を持ち出しての批判ですが、誰もが身体的な問題を持っているわけではないでしょうに、そういう方の場合には、特別に配慮すれば足りる話で、それをもって全体がダメだというのは、これまた言い掛かりのレベルです。
こういったすり替えレベルの批判もそうですが、根本的に「倒れるんだから使って当たり前」という発想があります。
そこにはいささかも後ろに座っている人への思いやりも全く感じられず、多くの人が不快に思っているという現実をどう考えるのかという視点が全くなく、あまりに厚顔無恥と言えましょう。
その中で、「一言、後ろの人に声を掛ければ済むことだ」という意見が少なくないことにも驚きました。
さて、この場合の一言とは、どういう一言でしょうか。考えたことがありますか。
「倒してよろしいでしょうか。」
「倒しますので」
後者であれば、相手に有無を言わせぬやり方であり、声を掛けている内には入りません。これで配慮しているつもりだったら、ちょっとその発想に問題があります。
では、前者ならどうでしょう。これは一見、相手に断れる余地があるようにも見えます。
しかし、それは文字を読むからです。
実際にそのような聞かれて方をして、どれだけの人が断れると思っているのですか。
というよりも、「倒してよろしいでしょうか」などと言いながら、言う側は断られることなんて全く想定していません。断られたらムッとするに決まっています。
同じようなシチュエーションがタバコの世界でもあります。
「吸ってもいいですか。」
この一言です。このタバコを吸おうとしている人は、以前であれば「配慮」しているということになっていました。以前は人前であろうと、タバコをぷかぷかして当たり前という状態だったからです。
それからみれば、「吸ってもいいですか」は一歩前進と言えなくもないのですが、、しかし、現実は違います。聞かれた相手が断れないことを前提にしていたからです。
今でこそ、「嫌です」と言える時代になりつつありますが、聞く側は、「断れまい」という魂胆から敢えて聞くという手法をとったということです。しかもあたかも「配慮してやってんだぞ」と言わんばかりにです。
「タバコを吸っていいですか? いいえダメです。」
断った以上、堂々と吸えるということになるのです。
リンク先を見る
リクライニングについても同じです。最初から断られることなんて想定していないのですから、一言、言えば済むなどというのは詭弁でしかありません。
「断られたら止めるよ」
この程度の発想なら、本当に思いやりのない人ということがよくわかります。
嫌なら断ればいい、断れないやつが悪いんだ、自己責任だと言っているようなもので、結局は図々しい人ほどやりたい放題という構図です。
世の中には、そんなふうに言われても断れない人だっているのです。断ればいいなんて、実際には、迷惑に感じる人もいると認識(自覚)しているっていうことでしょう。認識していながら、そういうことをするんですか。
もしリクライニングを使って楽に座りたいなら、ランクの上のグリーン車やファーストクラスを使って下さい。
安い料金で乗るということは、みながそれぞれが狭い中に押し込められ、その狭い空間をみなで共有しているのです。その狭い共有の空間はみな同じ料金を払ってその空間を利用しているのですから、自分だけ広い空間を使いたいなんてやめて頂きたいものです。
「リクライニングをマックス倒すなんて、どれほど自己中心的、我が儘なのか」
賛否両論でしたが、批判的なご意見も多くありました。
批判意見の中で、夜行バスだとか、国際便の話を持ち出すのは、あきれます。
想定されていない別の場面を持ち出して、この場合はどうなのという批判は、批判にもなっていません。
夜間、みんながリクライニングを倒して休むということであれば、逆に一人だけ倒さなければ迷惑な話です。そんなことは常識でしょうし、その程度のことであるに、夜行バスを持ち出して、昼間の利用を云々するあたりで、自身で破綻しているのです。
このリクライニングの使用の是非の問題点について、本当にわかっていないんだなと思います。
あるいは、身体的な問題を持ち出しての批判ですが、誰もが身体的な問題を持っているわけではないでしょうに、そういう方の場合には、特別に配慮すれば足りる話で、それをもって全体がダメだというのは、これまた言い掛かりのレベルです。
こういったすり替えレベルの批判もそうですが、根本的に「倒れるんだから使って当たり前」という発想があります。
そこにはいささかも後ろに座っている人への思いやりも全く感じられず、多くの人が不快に思っているという現実をどう考えるのかという視点が全くなく、あまりに厚顔無恥と言えましょう。
その中で、「一言、後ろの人に声を掛ければ済むことだ」という意見が少なくないことにも驚きました。
さて、この場合の一言とは、どういう一言でしょうか。考えたことがありますか。
「倒してよろしいでしょうか。」
「倒しますので」
後者であれば、相手に有無を言わせぬやり方であり、声を掛けている内には入りません。これで配慮しているつもりだったら、ちょっとその発想に問題があります。
では、前者ならどうでしょう。これは一見、相手に断れる余地があるようにも見えます。
しかし、それは文字を読むからです。
実際にそのような聞かれて方をして、どれだけの人が断れると思っているのですか。
というよりも、「倒してよろしいでしょうか」などと言いながら、言う側は断られることなんて全く想定していません。断られたらムッとするに決まっています。
同じようなシチュエーションがタバコの世界でもあります。
「吸ってもいいですか。」
この一言です。このタバコを吸おうとしている人は、以前であれば「配慮」しているということになっていました。以前は人前であろうと、タバコをぷかぷかして当たり前という状態だったからです。
それからみれば、「吸ってもいいですか」は一歩前進と言えなくもないのですが、、しかし、現実は違います。聞かれた相手が断れないことを前提にしていたからです。
今でこそ、「嫌です」と言える時代になりつつありますが、聞く側は、「断れまい」という魂胆から敢えて聞くという手法をとったということです。しかもあたかも「配慮してやってんだぞ」と言わんばかりにです。
「タバコを吸っていいですか? いいえダメです。」
断った以上、堂々と吸えるということになるのです。
リクライニングの使用と同じ構図
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リクライニングについても同じです。最初から断られることなんて想定していないのですから、一言、言えば済むなどというのは詭弁でしかありません。
「断られたら止めるよ」
この程度の発想なら、本当に思いやりのない人ということがよくわかります。
嫌なら断ればいい、断れないやつが悪いんだ、自己責任だと言っているようなもので、結局は図々しい人ほどやりたい放題という構図です。
世の中には、そんなふうに言われても断れない人だっているのです。断ればいいなんて、実際には、迷惑に感じる人もいると認識(自覚)しているっていうことでしょう。認識していながら、そういうことをするんですか。
もしリクライニングを使って楽に座りたいなら、ランクの上のグリーン車やファーストクラスを使って下さい。
安い料金で乗るということは、みながそれぞれが狭い中に押し込められ、その狭い空間をみなで共有しているのです。その狭い共有の空間はみな同じ料金を払ってその空間を利用しているのですから、自分だけ広い空間を使いたいなんてやめて頂きたいものです。



