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- 2017年04月01日 13:49
88歳高齢者によって引き起こされた児童の死という現実をいつまで放置するのか 高齢者に妙に「遠慮」する日本社会
昨年10月に横浜で起きた高齢者による自動車事故。その結果、8人の児童が死傷しましたが、運転車は認知症ということで責任能力なし、不起訴処分になりました。
この不起訴処分は、当然といえば当然のことです。判断能力がなければ刑事責任なしというのが近代刑法の当然の常識だからです。
この亡くなった児童の父親がコメントを発表しています。
「横浜児童ら8人死傷 死亡小1の父が発表したコメント全文」(毎日新聞2017年3月31日)
全体として非常に格調が高いものです。とても考えさせられました。
不起訴処分になったことに対する憤りが示されていますが、遺族感情としては当然のものなのですが、その後に高齢者ドライバーに対する厳格規制を求めるこのコメントの流れは、その通りだと思いました。
私としては、順次、高齢者の運転免許は一律に取り消すべきという意見です。
「高齢者に対する運転技能検査を導入するか、一定年齢以上の高齢者の免許を取り消す時期がきた」
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自動車の安全機能が向上しているとか言われることがありますが、今、起きている事故が防げるわけもないのですから、完璧なものができてから言ってもらいたいものです。
少なくとも現状では安全機能は副次的なもので、そもそも安全機能に依存しなければならないような人に運転免許を与えることの方が間違っています。
私は、このような免許規制がなかなか進まないのは、自動車産業に慮ってのことかと考えていましたが、どうもそればかりではないようです。
「相次ぐ高齢者による交通事故 このまま放置しておいて良いのですか。自動車業界に媚びるのではなく、車優先社会を転換させませんか」
何故か、高齢者に「遠慮」しているとしか思えない状況も浮かんできます。
高齢者の運転なんて危なくて仕方ないのに放置されているのは、そういった高齢者への「遠慮」があるようにも見えるわけです。
地方にいけば、こうした高齢者層が自民党の支持基盤でもあるのですが。
80歳以上の免許は取り消していく、順次、75歳まで引き下げていくということにした場合、恐らく大抵の高齢者は受け入れていくことと思います。公共交通機関の高齢者パスの整備(導入)も必要ですが、多くの高齢者にとって免許を手放す一つの理由ができるのです。
しかし、実際には不満が出たらどうしようとか、下らない「遠慮」をしているようにしか見えません。
特に高齢者に対する「遠慮」という面でいえば、例えば、介護の場面で、高齢者によるセクハラ行為に対して黙認状態のように見えるからです。セクハラ行為の中にも身体を触られたというような犯罪の域に達しているものもありますが、刑事事件として立件されたものなど聞いたことがありません。
相続人のめに給付しているような高額な年金はどうにかならないものでしょうか。
何故、そこまで「高齢者」に遠慮するのですか。
目上に対しては無条件で敬えという戦前のような発想が抜けていないのでしょうか。
高齢者による自動車事故が引き起こされている現状を放置してはなりません。
次の犠牲者が出るまで放置しますか。
それとも次の犠牲者が出ても放置しますか。
この不起訴処分は、当然といえば当然のことです。判断能力がなければ刑事責任なしというのが近代刑法の当然の常識だからです。
この亡くなった児童の父親がコメントを発表しています。
「横浜児童ら8人死傷 死亡小1の父が発表したコメント全文」(毎日新聞2017年3月31日)
「最愛の息子との突然の別れから5カ月が過ぎました。2016年10月28日朝、家の前で私とキャッチボールの練習をし、いつも通り小学校に送り出した息子がほんの数分後に天国へ旅立つとは夢にも思いませんでした。
高齢者ドライバーによる事故に巻き込まれ、たった6年の短い生涯を終えた息子の無念は筆舌に尽くし難いものがあります。小学校に入学し、新しい習い事にもチャレンジをし、これからの希望に満ちあふれた人生の全てを一瞬にして奪い去られ、更にその運転手の罪を問うことができないという判断は到底納得のできるものではありません。
息子の死を無駄にしないためにも、高齢者ドライバーに対する厳格な規制作り、運転免許証自主返納制度の認知向上、またそれに伴う社会全体の高齢者に対する生活支援の強化を強く望みます。また自動車開発メーカーに対しては、衝突防止技術等の安全機能の更なる技術開発と早期の標準装備化を望みます。
息子の事故報道がきっかけで、交通安全に対する意識が向上し、同じような痛ましい事故が二度と起きないよう切に願っております。
最後になりますが、優を想ってくださり、日ごろより我々家族を励まし続けてくださる全ての方に感謝いたします。」
全体として非常に格調が高いものです。とても考えさせられました。
不起訴処分になったことに対する憤りが示されていますが、遺族感情としては当然のものなのですが、その後に高齢者ドライバーに対する厳格規制を求めるこのコメントの流れは、その通りだと思いました。
私としては、順次、高齢者の運転免許は一律に取り消すべきという意見です。
「高齢者に対する運転技能検査を導入するか、一定年齢以上の高齢者の免許を取り消す時期がきた」
自分の子が轢かれたとしたらどう思いますか?
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自動車の安全機能が向上しているとか言われることがありますが、今、起きている事故が防げるわけもないのですから、完璧なものができてから言ってもらいたいものです。
少なくとも現状では安全機能は副次的なもので、そもそも安全機能に依存しなければならないような人に運転免許を与えることの方が間違っています。
私は、このような免許規制がなかなか進まないのは、自動車産業に慮ってのことかと考えていましたが、どうもそればかりではないようです。
「相次ぐ高齢者による交通事故 このまま放置しておいて良いのですか。自動車業界に媚びるのではなく、車優先社会を転換させませんか」
何故か、高齢者に「遠慮」しているとしか思えない状況も浮かんできます。
高齢者の運転なんて危なくて仕方ないのに放置されているのは、そういった高齢者への「遠慮」があるようにも見えるわけです。
地方にいけば、こうした高齢者層が自民党の支持基盤でもあるのですが。
80歳以上の免許は取り消していく、順次、75歳まで引き下げていくということにした場合、恐らく大抵の高齢者は受け入れていくことと思います。公共交通機関の高齢者パスの整備(導入)も必要ですが、多くの高齢者にとって免許を手放す一つの理由ができるのです。
しかし、実際には不満が出たらどうしようとか、下らない「遠慮」をしているようにしか見えません。
特に高齢者に対する「遠慮」という面でいえば、例えば、介護の場面で、高齢者によるセクハラ行為に対して黙認状態のように見えるからです。セクハラ行為の中にも身体を触られたというような犯罪の域に達しているものもありますが、刑事事件として立件されたものなど聞いたことがありません。
相続人のめに給付しているような高額な年金はどうにかならないものでしょうか。
何故、そこまで「高齢者」に遠慮するのですか。
目上に対しては無条件で敬えという戦前のような発想が抜けていないのでしょうか。
高齢者による自動車事故が引き起こされている現状を放置してはなりません。
次の犠牲者が出るまで放置しますか。
それとも次の犠牲者が出ても放置しますか。



