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カジノへの屈折した感情を解明する――能楽から考える「ギャンブルの哲学」 / 法哲学者・能楽評論家、土屋恵一郎氏インタビュー

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明治大学4年生の私、白石がいままでずっと気になっていた先生方にお話を聞きに行く、短期集中連載『高校生のための教養入門特別編』も、この第8弾でついに最終回。そんな最後のインタビューでは、私が通っている明治大学の学長・土屋恵一郎先生の素顔に迫ります。

法哲学が専門でありながら、能楽評論家でもあり、なおかつ能のプロデューサーでもある土屋先生は、いったい何者なのでしょうか? そして、大学のトップである学長の目には、いまの世界はどのように映っているのでしょうか? 法哲学、カジノ、同性愛、能、イノベーション……ありとあらゆるお話を聞き尽くしました。(聞き手・構成/白石圭)

もはや現実の事件は、法律だけの問題ではない

 

――法哲学とはどのような学問なのでしょうか。法学のなかでも異色のジャンルだと思うのですが。

まず、法律というのは学問ではないんです。これは法社会学者の川島武宜さんの言葉です。法律は民法であれば契約、刑法であれば犯罪など、非常に生々しくてリアルな出来事を扱います。また、最近であれば法律の問題であっても裁判を開かずに、弁護士を通じて当事者同士で解決することも多くあります。そのため数学や経済学のような、厳密な理論としての法律というのはなかなか成立しないんです。

現実の社会は法律が想定している範囲よりも遥かに広く、複雑です。裁判員制度はまさにそういった現実の動きを捉えるための制度ですね。法律の専門家ではない人が裁判に関わるわけですから。そこでは法律の知識ではなく、むしろ常識の範囲内でどのように判断するかが問題になります。

それはそれでとても大切なことなのですが、じゃあ逆に法律とは何なのかということも問題になりますよね。そこまで考えると、法律というのはその時々の問題を解決するための処方箋にすぎず、実は学問としての体系なんてものはない、とも言えるわけです。

当たり前ですが、法律というのはどの国・社会にもあり、それぞれまったく別の形で制定されています。また、時代によっても度々改正されていきますよね。つまり法律は普遍的なものではなく、その国や社会の文化や歴史の影響を受けて不定形なままに存在しているわけです。

そのため国際的な問題を解決する時には、不定形な法律同士が入り交じるなかで、なんとか共通点を探していかなければなりません。この共通点を探す作業というのは、実際には理論というよりも議論や交渉です。そういうことを指して、法律は学問ではないと川島武宜さんは言ったんですね。

――確かに法律って決まりきったルールのように考えがちですけど、制定する時も適用する時も議論が紛糾しますよね。

だからこそ法律は面白いんです。たとえば何十年も前からある議論ですが、コンピュータに事件の要点を入力すれば自動的に判決を下すことができるシステムも考えられるかもしれない。特に自動車事故などは、要件が非常に限定されていて判決もパターン化されているので、実はほとんど機械的に判決が決まっているんです。そのため交通裁判は必要ない、という人もいます。確かにAIが発達した現代であればありえないことではない。

でも実際には相手の心理や文化、歴史を読んだ上で交渉するのが法律であり裁判です。法律は理論だけではなく、人間全体を理解しないと分からない。そういう意味でとても哲学的なんです。有名な例だと脳死の判定や安楽死の是非などですね。ここまでくると死生観・宗教観まで関わってくる。もはや現実の事件は法律だけの問題ではないんです。

それから最近では同性愛の問題や中絶の是非も有名ですね。これはアメリカでも州によって認められていたり認められていなかったりするわけです。なぜある州は禁じ、ある州ではOKなのか。地域ごとの文化的価値観によって法律は屈折するんです。それは逆に言えば、法律を見ることで地域の歴史や文化が分かるということでもあります。

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カジノ法案から考える「ギャンブルの哲学」とは?

 

――ではたとえば、日本とアメリカの間で法律が屈折している例はありますか?

カジノがそうです。カジノはアメリカではもちろん、海外ではおおむね認められています。日本では、昨年12月にカジノ設置を推進する法案が可決されたばかりで、今後カジノを本当に設置するかどうかが問題になっています。これも法律が屈折している例ですよね。なぜカジノが問題になるのか。それは日本人の価値観の問題なんです。もっと言うと、日本人の運命観の問題だと思うんです。ギャンブルはまさにチャンス、運の問題です。日本人が運命をどう考えるかが、日本のカジノへの抵抗感に表れていると思うんです。

――カジノの話から一気に哲学的な話になりましたが、どういうことでしょうか?

私は能楽をヨーロッパ演劇と比較した評論もしているのですが、ヨーロッパ演劇というのは運命の劇です。自分がどんな悲劇に見舞われようと、運命に対する愛情を感じる。そしてそれがプラスであってもマイナスであっても、自分が生きていくためのエネルギーとして感じる。中世の宗教劇では、最後に「デウス・エクス・マキナ」(機械仕掛けの神)が降臨して、運命的にストーリーを終わらせるという演出が典型になっています。つまり、すべては神が定めたことであり、それは人間の力ではどうすることもできない、ということを確認して終わるんですね。

一方で日本の演劇には、神が天から降臨してくるということはありません。能においては、神は人間の姿をして橋を渡ってやってきます。これを「シテ」というのですが、シテは過去の自分の苦しみ、もうすでに起きてしまったことをただ語って、帰っていくんですね。能における神はストーリーを終わらせません。そのため日本の場合は運命をあまり主題化してきませんでした。自分ではどうにもならないことを受け止める、ということを考えないのです。「しかたがない」とは思うけれども、「これは神が決めたことだから」という巨大なドラマとしては捉えない。

この世界観の違いが、ギャンブルに対する態度にも表れています。カジノに対して日本人が恐れを抱くのは、運命と向き合う姿勢がないからだと思うんです。運命が決まって、それを受け入れた上でどうやって生きていくのかという思想がないんですね。つまりヨーロッパのような、運命と戯れることの楽しみ、あるいはセンスのようなものが日本人には欠けているんです。日本でベンチャー企業やイノベーションが活発でない理由も、そこにあると思います。

そもそもギャンブルと言えばパチンコや競馬などは認められている。それなのにカジノは認めないというのはおかしいです。法哲学というのは、このように法律だけでは議論が行き詰まる問題を、人間が持っている複雑性のなかでもう一度考えるということなんです。そこで新しい解決方法や説得の方法が見えてくるかもしれない。

――ヨーロッパは神による運命を受け入れた上で頑張るけれども、日本は神による運命を受け入れるという世界観がないので、カジノも受け入れられないと。そうなると、やはり日本人も運命を受け入れるような考え方をしたほうがいいんでしょうか?

これは私の友人で人類学者の中沢新一さんが言っていたことですが、人間というのはニューロンの組み合わせによってつくられてきた。そしてこのニューロンの組み合わせというのは完全に確率の問題で、ギャンブルなんです。ほかにも男に生まれるか女に生まれるかというのもギャンブル。ホモ・サピエンスがここまで高度な知能をもったのも、たまたま運が良かったから。

もっと分かりやすく言えば顔つきだってギャンブルです。どんな容姿で生まれるかは自分では決められないですよね。でもそれは受け入れるしかないじゃないですか。受け入れた上で頑張るんですよ。人生とはそういうものです。そしてそれはカジノのギャンブルでも同じなんですよね。

私はギャンブルの哲学について考えたいんです。実は過去の哲学者もギャンブルについて語っています。フランスの哲学者のパスカルは『パンセ』という本のなかで、神を信じるか信じないかの賭け率のことを述べています。彼は、神が存在するかどうかはともかく、神はいると信じた方が得だと言っているんです。もし神がいなかったとしても特に失うものはないのだから、それであれば生きる意味を得るために神を信じたほうが期待値は大きい、という論理です。

つまりパスカルによれば信仰の問題もギャンブルであるわけです。神がいるかどうかは分からない。その上で信じるかどうかを決断しなければならない。そこで人間の意志が問われる。パスカルが面白いのは、神が存在するかどうかの話はしていないところです。神を信じるか信じないか、どちらを選択したほうが賭け率が高いかという話だけをしているんです。パスカルはギャンブルの哲学者ですよ。

たとえ世界中を敵に回したとしても、誰かを守るのが法律の役目

 

――なるほど。ギャンブルの話になってしまいましたが、先生は法律を学ぶ意義はなんだと思いますか?

法学の役割は単に条文を解釈するだけではありません。法律が人間の欲望や生活とどのような関わりのなかでつくられて、そして変化していったのかということを考えるのが法哲学の役割です。人類は長い歴史のなかで、法律という武器をつくりだしました。法律は人間が人間のためにつくったものなんです。

だからもし全人類から批判される人間がいた時に、その人の味方になることができるのは誰か。それは唯一、弁護士だけなんですよ。たとえ極悪非道と言われる人であろうと、弁護士はその人の横に立たなければならない。そしてその人を批判する人々の価値観を受け止めつつも、「いや、この人にも生きる価値がある」と言わなければならない。全人類に立ち向かって、たった一人で「彼を救え」と説得するわけです。それは言い換えれば、未来の価値を守るということなんですね。イエス・キリストは、大罪人として殺されているわけです。その横に弁護士がいたら、と考えてみてください。

――先生は哲学者であり法学者でもあるジェレミ・ベンサムについての本を書かれていましたが、ベンサムもそうですね。同性愛という、かつては異端視されていたものの価値を功利主義の立場から守ろうとして文章を書いていました。

そうですね。ベンサムはイギリスの人ですが、イギリスでは同性愛行為を行った者は1840年代までは死刑に処せられていました。それからは刑法が改正されて死刑ではなくなったけれども、犯罪ではあった。犯罪でなくなるのは1970年代です。つい最近ですよね。

なぜ同性愛は犯罪なのか。レズビアンは何も言われなかったのに、なぜゲイは激しい批判を受けたのか。これはいわゆる法律家には解明できない問題です。イギリスが形成してきた文化のなかでのセクシュアリティの問題を考えなければならない。これも法哲学が必要とされる領域です。

似たような話で言うと、同じイギリス出身でベンサムの功利主義の後継者であるジョン・スチュアート・ミルは、モルモン教という宗教を擁護しようとしていました。モルモン教は一夫多妻制で、当時は新興宗教ということもあり、19世紀に激しい迫害を受けました。また、イギリスからも多くの信者がアメリカに勧誘されており、イギリスからするととても注意すべき宗教でした。

でもミルはモルモン教を擁護した。なぜなら、なんら人の権利を侵害していないからです。一夫多妻制も、多くの人々からすればありえないことかもしれないけれども、彼らは自由意志でやっているから問題ないじゃないかと。そう言って擁護するんですね。これをミルは「他者危害の原則」と言っています。他者に危害を加えていなければ、どんなことでも認めるべきであると。たとえイギリス人全員が批判したとしても。

 

――なるほど。そう考えると、カジノも他者危害の原則から認めることができそうですね。ところで先生は法学部出身ということですが、法学部に入学する時からこのような哲学的なことを勉強しようと思っていたんですか?

いえ、入学した時は弁護士になろうと思っていました。映画でいうと『12人の怒れる男』、テレビだと『弁護士プレストン』『ペリー・メイスン』という作品があって、それに影響を受けました。法廷弁論に惹かれたんです。弁護士と検察が陪審員の前で言い合うでしょう?あれが格好良くて、自分も陪審員の前で喋りたいと思ったんですよ。しかし大学に入学して気がついたのは、日本には陪審員がいないということです(笑)。

それで結局弁護士の道は諦めてしまいました。そこでふつうであれば就職するかなと思うわけですが、私は絶対に就職できないと思った。朝起きられないからです(笑)。高校時代には朝、家を出て山手線を一周して学校に行かずに帰る、ということもよくやっていました。

弁護士も就職も向いていないと思ったので大学院に入学したわけですが、研究者として残れるとは思っていませんでした。当時、新宿御苑の前に私の親が経営している料理屋があったんですが、私はその近くでカレー屋をやろうと思っていたんです。親しいお客さんに「安く土地を貸すよ」と唆されて。そこで「新宿カレー」という名前まで考えて、新宿に50件ぐらいのチェーン店を華麗(カレー)に展開して、日本のカレー王になろうと思っていたんです(笑)。

――ものすごい人生設計ですね。

当時は研究よりもそっちのほうが楽しそうだと思ったんです。カレーは工場でレトルトを大量生産すれば同じ味を再現できるし、コストもかからない。「これは儲かる!」と思ったんですが、どういうわけかその矢先に明治大学のポストが空いたわけです(笑)。そういう意味で、学問の道に進んでいったことにあまり明確な理由はありませんでした。

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