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ローマ帝国を滅ぼした難民と格差 - 井上文則(早稲田大学文学学術院教授)

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壮大なインフラ、都市文化が姿を消した。
帝国滅亡にとどまらない文明崩壊はなぜ起きたか

井上文則 早稲田大学文学学術院教授

 2015年、EU(欧州連合)にシリア、アフガニスタン、イラクなどから、100万を超えるイスラム系の難民が押し寄せた。

 大量の難民の受け入れを巡ってEU諸国は動揺し、難民受け入れを積極的に進めたドイツのメルケル首相は、内外から批判を浴び、苦境に立たされた。難民危機の中、フランスのパリでは11月13日に同時多発テロが起こり、12月31日にはドイツのケルンなどの都市で主に女性に対する大規模な略奪、暴行事件が起こった。いずれの事件にもイスラム系難民を装った者が関与していた。翌2016年の6月にはイギリスが国民投票の結果、EUから脱退することになったが、これには前年からEUを揺るがしていた難民危機も大きく影響したことは疑いないだろう。難民危機を前に、各国では排外主義が広まり、世論は右傾化している。離脱ドミノが起こることで、EUそのものが崩壊することが現実味を帯びてきた。

文藝春秋

 難民危機に直面するEUの姿は、ローマ帝国末期の姿を彷彿とさせる。ヨーロッパのみならず、中東、北アフリカにまで広がった巨大な領土を500年以上支配した帝国ローマも、「ゲルマン民族の大移動」と呼ばれる、ゲルマン系の大量難民の波に四世紀以後襲われ、排外主義が高まる中、五世紀に滅亡したからである(この点は現段階ではEUとは異なるが)。

 問題はEUという組織の崩壊だけには留まらない。フランス国民戦線のマリーヌ・ルペン党首は、2015年9月に「フランス国民の行動が皆無なら、私たちが被っている人口移動の侵略は四世紀のそれに何ら劣らず、同じ結果をもたらすだろう」と述べ(墓田桂『難民問題』中公新書)、フランスの文明の行く末に危機感を示した。ルペンの発言には扇動的であるとの批判も多い。しかし、難民問題に加えて、既存のイスラム系移民を多数抱えるEU諸国にとっては、文明のあり方そのものが四世紀以来の大きな変化を被る可能性は否定できないだろう。

 2050年には、イギリスやフランスなどの西欧諸国では、イスラム教徒の増加で、キリスト教徒の人口が半数を割り込むという予測もある。これからのEU、あるいはEU諸国の文明の行く末を考える際に、ローマ帝国末期の事情を知ることは無駄ではないだろう。

滅亡は難民問題から始まった

 ローマ帝国の滅亡は、難民問題から始まった。ローマ帝国の国境の一つであったドナウ川の北方には、ゲルマン系のゴート族が広く居住していたが、ゴート族は370年頃から遊牧騎馬民族フン族の攻撃を受け、一部は征服され、一部は征服を免れたものの、フン族の攻勢を支えることはできず、郷里を捨ててローマ帝国内への移住を求めてきた。376年夏のことである。時の皇帝ウァレンスは、ゴート族の求めに応じ、彼らを帝国領内に受け入れた。

 ウァレンス帝には、折からの帝国の兵力不足を新来のゴート族で補おうという魂胆があった。現在のドイツが難民を受け入れた思惑に労働力の確保があったと指摘されていることが想起される。正確な数字は分からないが、こうして二〇万とも言われる膨大なゴート族がドナウ川を渡った。これがローマ帝国を滅ぼすことになる「ゲルマン民族の大移動」の始まりとなった事件であり、今日の言葉で言えば、難民、それも部族単位を維持した大量難民の到来に他ならなかった。当時のローマ帝国の人口は、五〇〇〇万から六〇〇〇万程度。EUの人口が2015年で五億八二〇万人であるので、ゴート族のインパクトは現在のイスラム系難民の比ではなかったのである。

 大規模な難民の受け入れは現代の国家をしても至難の業である。案の定、ローマ帝国政府によって杜撰な扱いを受けたゴート族は、翌年には蜂起し、バルカン半島を荒らし始めた。鎮圧に向かったウァレンス帝は、378年八月にアドリアノープル(現トルコのエディルネ)で、ゴート族と会戦し、戦死してしまうという事態に至った。

 ローマ帝国には、ゴート族が大挙して押し寄せてくる以前から、移民として多くのゲルマン系の人々が入っており、特に軍内では高位高官に上る者も少なくなかった。しかし、アドリアノープルの戦いの後、帝国内では、こうした平和裏に移民として入ってきていたゲルマン系の人々をも排撃すべきであるという考えが広まっていく。京都大学の南川高志は、この現象を「排他的ローマ主義」と呼び、これがローマ帝国を滅ぼすことになったと主張している。

 ウァレンス帝の後継者となったテオドシウス帝は、ゴート族と一進一退の戦いを長く続けたが、結局、ゴート族を帝国領外に追い出すことも、殲滅することもできずに、三八二年には彼らにバルカン半島の土地を与えて、帝国内での居住を認めざるをえなくなった。ローマ側にとっては苦渋の選択によって、ゴート族の難民問題は一旦解決したかのように見え、実際ゴート族はテオドシウス帝一代の間は落ち着いていた。

 しかし、テオドシウス帝が395年に没した後、帝国は東西に分裂。さらに東西帝国の対立が鮮明になると、この機に乗じて、ゴート族は再び動き始めた。ゴート族は、その矛先を脆弱な西ローマ帝国に向けた。なお、ここでのローマ帝国の滅亡とは、西ローマ帝国の滅亡を指す。

領土を次々と奪われる

 テオドシウス帝の後を継ぎ、西ローマの皇帝となったホノリウスは幼少であったため、後見役の将軍であったスティリコがゴート族に対処した。スティリコの母親はローマ人であったが、父親はゲルマン系のヴァンダル族で、移民出身のローマ帝国の軍人であった。ゲルマン民族の移民の子孫がゲルマン民族の難民に立ち向かったのである。

 ゴート族は、たびたびイタリアを脅かしたため、スティリコはイタリアの防衛を強化すべく、ローマ帝国のもう一つの国境であったライン川に配備されていた軍をイタリアへ移した。このスティリコの処置は、帝国にとって致命的な結果をもたらした。406年の大晦日に、ヴァンダル、アラン、スエビの諸族が、手薄になっていたライン川の防衛線を突破したのである。ヴァンダル族らも背後でフン族の攻撃を受けていたのであり、彼らもまた難民であった。ヴァンダル族らは、ガリア(主に現フランス)を二年間、荒らしまわり、409年にはイベリア半島に入った。ヴァンダル族らに続いて、ブルグンド族やフランク族、さらにはアラマンニ族なども、ローマの国境が崩壊したのを目にし、徐々に帝国領内に進出し始めた。この間の408年、スティリコは宮廷内の陰謀で殺害された。スティリコという重しのとれたゴート族は、その動きを一層活発にし、410年にはついにローマ市を占領、略奪した。

 結局、ローマ帝国は、これら大量の難民を「同盟部族」として帝国領内に受け入れることで、事態の最終的な解決を図った。「同盟部族」とは軍役を条件に、土地と部族の自治権を与えられて帝国領内に居住を認められた部族のことである。

 例えば、ゴート族は、418年にガリア南西部のアクイタニア地方に土地を与えられ、同盟部族として定住した。一方で、ヴァンダル族のように、ヒスパニア(イベリア半島)から429年に北アフリカに渡り、武力で制圧した後、同盟部族と認めるよう帝国に迫り、不法占領を正当化させた場合もあった。北アフリカに渡ったヴァンダル族は、八万人であったと推計されている。

「同盟部族」というのは、聞こえはいいかもしれないが、この立場になった部族は事実上、帝国から領土割譲を受けたに等しかった。その上、彼らが帝国に従順であったのはほんのわずかの期間でしかなく、ヴァンダル族はもちろんのこと、ゴート族もやがて居住を認められた領域を越えて、その勢力を拡大させていった。こうしてローマ帝国は、その領土を「同盟部族」となったゲルマン系の難民部族に次々と奪われていったのである。テオドシウス帝の子孫の王朝は、四五五年に滅びたが、この段階でローマ帝国はその領土のほとんどを失っており、イタリアの地方政権と化していた。

 そして、風前の灯火のようになっていたローマ帝国は、最後の皇帝ロムルスがゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって廃位されたことで、476年に滅んだ。奇しくも、ゴート族の難民がドナウ川を渡って、ちょうど一〇〇年目のことであった。

 興味深いのはこの一〇〇年間、ローマ帝国の中央政府はほとんど無力であったが、ガリアやブリタンニアといった地方は中央から分離独立していく傾向を示さなかったことである。仮にEUが崩壊するとすれば、加盟国の漸次離脱という形で起こり、元の国民国家の分立状態に戻ることになるだろう。これと比較して考えるならば、ローマ帝国の地方には、独立の核となる、戻るべき帝国以前の国家のようなものがそもそも存在しなかったのである。

 一方で、排外主義の広まりにもかかわらず、帝国民のローマ帝国への愛国心も強くはなかった。反ゲルマンを掲げて、ローマのために積極的に抵抗するような勢力もみられなかったのである。

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