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早野龍五教授最終講義「CERNと20年福島と6年 ―311号室を去るにあたって」 - 早野龍五 / 物理学

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なぜ福島に行ったのか

福島でのことを、僕は職務としてはやる必要がありませんでした。ならばなぜやったのか、といろんな人に聞かれます。理由は2つあります。

1つは、CERNやその前のアメリカで、僕は役に立たない研究に、10億では利かない、もっとたくさんのお金を注ぎ込みました。だから、これをどこかで納税者に還元しなければなりません。もちろんノーベル賞とればOKだということはわかってるんですが。そして、原発事故があったとき、僕が納税者になにかお返しできるとすれば、それは今しかないと思いました。

2つ目の理由は、僕が2011年当時59歳だったことです。昔であれば東大の定年は60歳ですから、定年の1年前です。ここでもう1本論文を書くのとどっちが大事かということを考えました。僕はもし49歳だったらやらなかったと思います。自分の研究をやる方がもっと大事だ、と考えたと思う。でも僕は59歳だった。

しかし、これらの思いだけでは実現できません。何が必要か。まず、「学問の自由」。つまり、CERNに研究室も持っている東大の教授が、好き勝手やってよいのか、ということです。幸いなことに、僕は東大には学問の自由かなりあることを助教授に着任したときに知っていました。駒場にいたときに、「学生に歌舞伎鑑賞のゼミをやります」と言ったんです。理学部教務は、「駄目です」と言いました。「あなたは専門じゃない。そんなものを教えてはいかん」と。そのときに理学部長がなんと言ったか。「羨ましい」と言いました。「僕も俳句のゼミをやりたい。やらせなさい。」と、こういうことがあったので、東大の理学部には学問の自由が十分にあると知っていました。

そして、学問の自由だけでもできません。お金がなければできません。「経済的な自由」が必要です。CERNの経費を福島に横流しはできません。僕は、「自分のポケットマネーで給食の検査をやる」と宣言して、実際にやりはじめました。すると、Twitterのフォロワーが寄付を送ってくれるようになりました。それを受け取るために、東大が基金を作ってくれました。ワンクリックで1000円、15%は東大がピンハネして、85%が私の所に来る、という仕組みです。この基金は私が退職すると同時に閉じられます。

大学にいますと、こういうお金を手にすることはないのですが、それを手にすることができました。金額は、今まで言ったことがなかったのですが、今初めて言います。2016年までで、2200万円です。私の福島での活動は全額、この寄付でまかなわれました。

「はい。ちゃんと産めます」

この6年でやってよかったと思うのは、本を書いたことです。「知ろうとすること。」という本です。これは「高校生に読んでほしい50冊」にも入れていただきました。遠藤周作の「沈黙」の下に入っております。これは私にとっても、じんとくるものがあります。

この本で一番大事なページは、ここのセクションです。

糸井 もし早野先生の前に女の子がやってきて、「私は子どもを産めるんですか」って、質問してきたとしたら、どう答えますか?

早野 まずは、自信を持って「はい。ちゃんと産めます」と答えます。躊躇しないで。間髪を入れずに。

ここが、書いておいてよかったな、と思う部分です。

大きな問題があります。福島県で実施されている県民健康調査の結果があります。平成26年度で、「現在の放射線被曝によって、次世代の生まれてくる子供に健康影響はどのくらい起こると思いますか」という質問に、実に38%が、「可能性は非常に高い」と答えている。

「そんなことはありえない」ということを、皆さん知っていますね。だけれども、実際に38%もの人が、「ある」と答えている。事故直後は60%でしたから、それでも減ったんです。でも依然としてこんな状況にあることは、僕は非常に大変なことだと思っている。広島、長崎でもこういうことはありました。今、このことを払拭しておかないと、次の世代まで払拭できない。対策は教育しかない。

「ありがとうございました」。

さて残りですが、私は今後どうするのか。

CERNのチームリーダーは、あと2年くらい続けます。福島も、まだ少し続ける。少なくとも福島高校の原先生が退職されるまでは続けたいと思っています。

今大変に楽しんでやっているのは、国際物理オリンピックです。2022年の日本大会で、出題委員長を命じられました。とても楽しくやっています。そして、こんなことが起こるとはまったく予想していなかったのですが、2年前から放射線影響研究所の評議員に選ばれました。この6年で僕もずいぶん勉強しましたし、そのことが福島で活かされればいいと思っています。

そして去年の夏からは、スズキメソードの会長を任されました。子供の頃、創始者の鈴木先生にお世話になっていたので、「是非に」という声がたくさんあって。実は逃げ回っていた時期もあったのですが、最近はプロのバイオリニストと並んで、なんとなく弾いたふりをしております。

65年の人生を振り返ってみました。現在、2011年の1月から6年間、1日1枚、1日も欠かさずにとり続けた写真を、西麻布のビアクラブで展示しています。行ってたら、ちゃんとビールも注文してくださいね。どうもありがとうございました。

質疑応答

――先生が今もし20代だったら、こうしたいと思うことはありますか。また、若い人にこうした方が良いというアドバイスはありますか。

あまりそういうことを思わない人生でした。ですので、そうそう「昔こうしておけばよかった」というのを思わない人生を歩むことをお勧めします。

――廃炉についてのお考えをお聞かせください。

僕が答えるべきではないと思っております。

ただし、今現場でそれに取り組んでおられる方は、最後まで見届ける方々ではありません。最後まで見届ける方は次の世代ということになるかと思います。そういう方々がちゃんとモチベーションをもってやっていただける職場になること。実際に取り組まない人も、関心を持ち続けることがなければ、そして社会としてこれを支えていくことがなければ完了しない、難しい仕事です。

そういう思いを込めて、いろいろ批判もありましたが、昨年の11月福島高校の生徒さんを連れて福島第一に初めて入りました。生徒さんの大変に読み応えのあるレポートが、福島高校のホームページに掲載されておりますので、是非お読みいただきたいと思います。

――教育が大事とのお話でした。放射線の影響が次世代にも残るのでは、とありえない心配が残っています。これに対して、どのレベルで教育がおこなわれれば良いでしょうか。

ご存知のように、義務教育から放射線教育がなされない時代が30年ありました。そのために、カリウム40のスペクトルをお母さんに見せると、カリウム40の影響でこの子は危ないんじゃないか、ということを大変に心配される、ということが起こっております。自然放射線があるということをご存じないということは、今回様々な理解を進める上で大変に難しかった。ですから、そういう教育は広くなされるべきだと思います。

しかし喫緊なのは、やはり福島で育った子供が福島の外に出ていったとき、根拠のない偏見にさらされます。それに対して、きちんと「そうではない」ということを、自信を持って言える。そういう状態にして送り出してあげるということが、教育する対象人数が少ないということもありますが、今非常に大切なこと。福島県内の教育機関の方々は、それも最重要の課題として取り組んでいただければと思います。

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画像を見る早野龍五(はやの・りゅうご)
1952年生まれ。原子物理学者。東京大学理学部物理学科、同大学院理学系研究科を経て1979年より東大理学部付属中間子科学実験施設助手。高エネルギー物理学研究所助教授、東大理学部物理助教授を経て、1997年から、東京大学大学院理学系研究科教授。2000年肺がんが見つかり右肺上葉の摘出手術を受ける。1998年 第14回井上学術賞、2008年 仁科記念賞、2009年 第62回中日文化賞

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