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早野龍五教授最終講義「CERNと20年福島と6年 ―311号室を去るにあたって」 - 早野龍五 / 物理学

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黙らなかった

テレビが壊れてしまって見られなかったので、翌日、ネットのストリーミング放送でニュースを見ていましたら、「セシウム」という声が聞こえました。それで最初のツイートをしました。その後、東電が正門付近のガンマ線量を数字で公表しました。我々は、数字を見ると、「グラフにしなくてはいけない」という強迫観念があるので、これをグラフにしました。それもまたツイートしました。そんなことをやっていましたら、3月に3000人から15万人にフォロワーが増えました(グラフを示す)。東北大の調査によると、日本で7番目に影響力があったそうです。2014年には、「Science」で、Twitterをやっている科学者100人が載りまして、そこでは22番目でした。

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3月14日の月曜日、東大本部から使者が来まして、「黙れ」と言われました。本日いらしている鈴木寛さんのご尽力もあり、おかげさまでこれまで黙らずにやっております。

給食の検査からはじめよう

私がアクティブに動き始めたのは、給食の検査でした。放射線による内部被曝と外部被曝、もう皆さんご存知かとは思いますが、復習をします。原発事故があり、福島の地面が放射性物質で汚染されました。体の外の物質から影響を受けるのが外部被曝、放射性物質を食べて体の中に取り込むのを内部被曝と言います。

さて、いかに人々の内部被曝に対する心配が大きかったのかということを示すデータがあります。Googleで「内部被曝」と「外部被曝」というキーワードが、いつ、どれだけ検索されたのかというグラフです。圧倒的に、常に内部被曝が上になります。最初のピークは東京の水道から放射性ヨウ素が出たときです。2番目のピークは、牛肉から放射性セシウムが出たとき。

お母さん方は、ご自分のお子さんが安全なものを食べているのかということを、大変に心配された。そこで、給食で内部被曝の状況を調べるために、ミキサーですりつぶしてゲルマニウム半導体検出器で測るということを提案するために、文科省に行きました。文科省の担当者は「やりたくありません」と言いました。もし出てしまったらパニックになるだろうということがあったのだろうと思います。

そこで文科省の副大臣を説得しまして、2012年から予算をつけていただけることになりました。現在でも、国の委託で給食の検査は続いています。検査のスケールが重要で、1kgあたり1ベクレルの基準で検査をしています。国の基準は100ベクレル、EUの基準は1250ベクレルです。そして、福島市の給食では1ベクレルを超えたものはありません。2013年の1月からは地元福島のお米を給食に使うようになりましたが、それでも出ませんでした。

自分にしかできないことをやる

さて、僕はいずれ近いうちに「餅屋さんが来るだろう」と思っていました。つまり、放射線の専門家が出てきて、僕のような素人がやっている時代はたちまち終わるだろうと信じていました。ところが、終わらなかった。

「やっぱり僕がやった方がいいかな」と思うようになる出来事が、2011年8月にありました。ネット上で、驚愕すべき測定結果が私の目に触れました。東京の人が、内部被曝を心配されて、わざわざ北海道まで飛行機で行って、北海道のがんセンターにあったホールボディカウンターを受けられたという、その測定結果です。

人間の体の中にはもともと、4000ベクレルくらいのカリウム40があります。その測定結果を見ると、それが16000。もっとひどかったのが、誤差です。誤差が、なんと70000以上。「世の中にはひどい機械があるものだなあ」と思いました。また、その機械を放置するばかりか、そんな結果をそのまま本人に伝えてしまうという病院というのはいったいなんなんだ、とっても変だなあ、ということをネット上で議論しておりました。

すると、10日ほど後、1通のメールをいただきました。福島県立医大の宮崎真先生からのメールでありました。そこには、「北海道にあるものと同じメーカーのホールボディカウンターが福島県の南相馬にもあり、これが非常に問題である」とありました。この機械は、東海村JCO臨界事故の際全国に配置されたものだが、実は実際に人を測ったことはないものだ、と。

そのとき、大変に苦労をされていた南相馬市立総合病院のホールボディカウンターには、遮蔽がありませんでした。2011年7月の実測データを見ると、当時まだあった空気中の放射性物質が遮蔽されませんから、人が座っていないときの方が、被曝リスクが高そうな人に座ってもらったときよりも、線量が高い。「なんだこれは」ということで、2011年の秋に南相馬に行き、私がデータをお預かりしました。そのときに、初めて坪倉正治先生とも会いました。

南相馬の先生方との出会いは、私にとって福島と向き合うきっかけになりました。まず、「人がやっていないことをやる」、という観点。ほかの人はやらないだろうと思われることで、かつ僕にならできること。その優先順位を、総合的に判断する。なるべく俯瞰的なこと、全体像が見える仕事をするようにしました。そして、英語の査読付き論文を書いて、皆さんに広く知っていただくこと。しかしこれは、別に福島ではなくても、全ての研究者がやっていることです。振り返ってみると、「私の福島とのつきあい方は研究者だったなあ」と思います。

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