- 2017年03月21日 19:59
早野龍五教授最終講義「CERNと20年福島と6年 ―311号室を去るにあたって」 - 早野龍五 / 物理学
1/62017年3月、物理学界・福島において、数々の功績を残した早野龍五・東京大学教授が退官を迎える。早野教授の最終講義が行われた3月15日夕刻、東京大学の小柴ホールには、大勢の人々が集った。福島の人々は「物理学者・早野龍五」を、物理学界の人々は「福島に力を注ぐ早野先生」を、それぞれ初めて見ることになった。講義後のカクテルパーティでは、福島から酒樽を担いできた人と、世界的な物理学者とが、和気藹々と盃を交わす光景が見られた。(構成/服部美咲)
311号室を去るにあたって
CERNで20年、福島で6年というタイトルでお話をいたします。
たまたま私の大学の居室は311号室です。この数字には何か因縁を感じます。大勢の方々、恩師、学生、同僚、そして本日は女性の比率が多い。物理の最終講義でこれほど女性が多いことはありません。
「数式を使うな」と多くの方に言われましたが、これだけは知っていていただきたい。まずは物性物理学、次に物は原子からできているということで、原子物理学。原子の中には原子核があります。そこを研究するのが原子核物理学。原子核は中性子と陽子からできていますが、もっと基本的な粒子としてクォークなどの素粒子があり、それを研究するのが素粒子物理学。そしてこれら各々に実験と理論がある。私は主に実験をやってまいりました。
大学以前から2011年3月11日以降の話までを、全部通して聞いたことのある方は1人か2人しかおられません。今日のスライドは222枚。果たして本当に終わるのか。やってみます。
研究者への道を選ぶ
生まれは1952年1月3日、出身は岐阜県の大垣市です。生家は岐阜大に寄付いたしまして、現在はセミナーハウスとして使っていただいております。父が信州大医学部の眼科学の助教授として松本に赴任し、私も高校を出るまでは松本で暮らしました。
バイオリンを弾く子でありました。子供に音楽を教えて人を育てる「スズキメソード」創始者の鈴木先生の愛弟子でした。1964年、仲間とともに10人で全米ツアーに行きました。スズキメソードが世界に広まるきっかけになったツアーです。
高校は松本深志高校、将来何をやろうかと真剣に悩みました。「音楽で一生食べていくのか?」とも考えてみました。僕の答えは「NO」でした。父、母、祖父も医者でしたから、「医学かなあ」なんて思いつつ、「二重らせん(ジェームズ・D・ワトソン)」を読んでいました。そして高校3年になると「物理の散歩道(ロゲルギスト)」が愛読書になり、「研究に惹かれるなあ」と思いました。どの大学に願書を出すか迷っているときに、「研究者になるなら医師免許状いらない。2年早く大学を卒業できる」と、これは父が言いました。そうか、と妙に納得しまして、東大理科一類に1970年に入りました。
1973年夏の事件
大学では、山崎敏光先生にお世話になりました。卒業論文はないのですが、大学4年生で研究室に配属になり、特別実験をやります。山崎先生の研究室紹介はこの通りでした。まず、「バークレーで実験準備をしている」。それから、「研究室は本郷にない」。ただし、「夜はサイクロトロン(円型の加速器)を使える」。そして最後に、「僕はとても忙しいから、あなたがたの面倒は見られない」と言い放ちました。それをとても楽しそうに言っておられたのが印象的でした。
白金の医科研の隅に、サイクロトロンはありました。そこで1973年の夏、事件が起こります。女性技官がサイクロトロンの部屋から出ようとすると、警報が鳴り響きました。体をサーベイメータ(放射線測定器)で調べたら、全部が汚染されている。技官はたちまちシャワー室に行き、残った皆で辺りをサーベイします。すると、実験室の中は汚染されていない。汚染は廊下で見つかりました。足跡です。技官は外から歩いてきた。どうも外が汚染されている。外は雨でした。葉っぱに黒い付着物がありました。「ゲルマニウム半導体検出器を持ってらっしゃい」ということで、これを測りました。そこで先生が「これはフォールアウトに違いない」と仰った。あとで新聞の縮刷版をみると、中国が核実験したものをみていたようです。



