記事
- 2017年03月19日 14:59
安心が主。安全はあくまでも従。その現実を直視せよ
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もちろん、これは周回遅れの話である。
そもそも築地市場移転の話は高度経済成長の頃から出ている。
都市周辺の人口の急増により築地が手狭になり、トラックの渋滞なども問題になった頃、現在の大田市場に移転する話が出たが、反対運動などによって頓挫した。
次に市場の建て替えが試みられたが、建築費の高騰などから計画は大幅に縮小された。
そして今回、豊洲市場への移転が試みられているが、権力闘争ファースト都知事の出現により、これまでの都政を否定する世論が高まり、こうして大きく揺れている。(*3)
そうした30年、40年の間、議会が安全の話をしなかったはずはないのだ。ただ東京都民は「築地は今日も稼働しているから」という理由で、そうした議論に特に興味をもたなかっただけのことである。
そうした意味で小池都知事の「築地は安心である」という指摘はとてもおかしなものだが、その間違った指摘が都民に受け入れられる理由もよく分かる。結局はどこまでいっても事実ということに対しては関心がないのだ。
いくら社会的に「安全安心が大切」と言われようとも、私達の社会は概ね「現状が変わらなければ安全安心」であると思いこんでいる。たとえそのすぐ横に危険性が潜んでいたとしても、私たちはそのことに気づきもしないし、気づいた人が大声で叫んでいても聞こえないのである。
そして現実に問題が発生した時にはじめて大声で「そんなこと聞いてなかった!」と騒ぎ出すのである。しかしそれでもまた喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう。こうして、私たちは事実よりも感情によって、自らの安心を自覚しているのである。
『菜果フォーラム』という「一般社団法人 日本青果物輸出入安全推進協会」が作っている広報誌に掲載された「「安全」よりも「安心」を重視しよう」という記事を紹介したい。(*4)
この記事はネットで「毎日変態新聞の記者が、安全を軽視するトンデモ記事を書いているぞー」という晒しあげの文脈で紹介されていたものだ。
しかし、ちゃんと内容を読めば、この記事が安全を軽視する内容でないことは明白である。市民が安全よりも安心を重視してしまうことを前提に、安心重視のリスクコミュニケーションをしていく必要があるという論旨である。
そしてこの記事を批判的に取り上げる人の中に「安心>安全」であることを批判している人がいた。今回のぼくの記事で問題視しているのは、こうした「安心が安全よりも重要であるという意見に対して、ゲンナリしてしまう」ような人たちである。
残念ながら、そうした人たちは「安全よりも安心を重視する人がいるという現実」を直視できていないに過ぎない。いちいちこの程度の現実を見てゲンナリするという姿勢を見せつけられる方が、ぼくにとってはゲンナリである。
そんなことはこれまでだって「食品添加物」とか「体感治安」とか「外国人差別」の問題で、さんざん見せつけられ続けてきた現実である。その現実を重視せず、いつまでたっても「安全という現実を伝えれば、安心という感情が産まれるはず。そうでない輩はどこかおかしな連中なのだ」という傲慢さに逃げ込むことは、果たしてリスクコミュニケーションの役に立っているのだろうか?
そう考えた時に、僕が思い出したのが、東京大学大学院の早野龍五教授が開発した「BABY SCAN」である。これは乳幼児用の内部被曝測定装置なのだが、実は乳幼児が内部被曝しているか否かという事実を見るためには、この装置は全く必要のないものなのである。なぜかと言えば、子供の食生活は親の食生活と紐付いているので、親の計測をして親が大丈夫であれば、子供も大丈夫だという事実がすでに明らかであるからだ。
しかし、どうしても子供も測ってほしいという親たちの感情に対して「親が大丈夫なら子供もですよ」と現実を示すのではなく、わざわざ乳幼児用の測定器を作り、実際に測って、感情を満足させることに成功したのである。その結果として、親たちは安心して「子供の内部被曝は問題ない」という現実を受け入れる事ができるようになったのである。
このように、ただ事実を示して「正しいのだから従え」という傲慢な姿勢を店入るのではなく、安心を軸としたリスクコミュニケーションを生み出すことが、結果として安全という現実を受け入れられる社会を形作ることに役に立つ。僕はそう考えている。
*1:豊洲市場 消費者の信頼得られず安心とは言えない 小池知事(NHKニュース)
*2:小池都知事は権力闘争ファースト(BLOGOS 赤木智弘)
*3:【築地市場・移転延期】進むも地獄、戻るも地獄 その揺れ続けた80年(ハフィントンポスト)
*4:広報誌・菜果フォーラム vol.25(一般社団法人 日本青果物輸出入安全推進協会)
そもそも築地市場移転の話は高度経済成長の頃から出ている。
都市周辺の人口の急増により築地が手狭になり、トラックの渋滞なども問題になった頃、現在の大田市場に移転する話が出たが、反対運動などによって頓挫した。
次に市場の建て替えが試みられたが、建築費の高騰などから計画は大幅に縮小された。
そして今回、豊洲市場への移転が試みられているが、権力闘争ファースト都知事の出現により、これまでの都政を否定する世論が高まり、こうして大きく揺れている。(*3)
そうした30年、40年の間、議会が安全の話をしなかったはずはないのだ。ただ東京都民は「築地は今日も稼働しているから」という理由で、そうした議論に特に興味をもたなかっただけのことである。
そうした意味で小池都知事の「築地は安心である」という指摘はとてもおかしなものだが、その間違った指摘が都民に受け入れられる理由もよく分かる。結局はどこまでいっても事実ということに対しては関心がないのだ。
いくら社会的に「安全安心が大切」と言われようとも、私達の社会は概ね「現状が変わらなければ安全安心」であると思いこんでいる。たとえそのすぐ横に危険性が潜んでいたとしても、私たちはそのことに気づきもしないし、気づいた人が大声で叫んでいても聞こえないのである。
そして現実に問題が発生した時にはじめて大声で「そんなこと聞いてなかった!」と騒ぎ出すのである。しかしそれでもまた喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう。こうして、私たちは事実よりも感情によって、自らの安心を自覚しているのである。
『菜果フォーラム』という「一般社団法人 日本青果物輸出入安全推進協会」が作っている広報誌に掲載された「「安全」よりも「安心」を重視しよう」という記事を紹介したい。(*4)
この記事はネットで「毎日変態新聞の記者が、安全を軽視するトンデモ記事を書いているぞー」という晒しあげの文脈で紹介されていたものだ。
しかし、ちゃんと内容を読めば、この記事が安全を軽視する内容でないことは明白である。市民が安全よりも安心を重視してしまうことを前提に、安心重視のリスクコミュニケーションをしていく必要があるという論旨である。
そしてこの記事を批判的に取り上げる人の中に「安心>安全」であることを批判している人がいた。今回のぼくの記事で問題視しているのは、こうした「安心が安全よりも重要であるという意見に対して、ゲンナリしてしまう」ような人たちである。
残念ながら、そうした人たちは「安全よりも安心を重視する人がいるという現実」を直視できていないに過ぎない。いちいちこの程度の現実を見てゲンナリするという姿勢を見せつけられる方が、ぼくにとってはゲンナリである。
そんなことはこれまでだって「食品添加物」とか「体感治安」とか「外国人差別」の問題で、さんざん見せつけられ続けてきた現実である。その現実を重視せず、いつまでたっても「安全という現実を伝えれば、安心という感情が産まれるはず。そうでない輩はどこかおかしな連中なのだ」という傲慢さに逃げ込むことは、果たしてリスクコミュニケーションの役に立っているのだろうか?
そう考えた時に、僕が思い出したのが、東京大学大学院の早野龍五教授が開発した「BABY SCAN」である。これは乳幼児用の内部被曝測定装置なのだが、実は乳幼児が内部被曝しているか否かという事実を見るためには、この装置は全く必要のないものなのである。なぜかと言えば、子供の食生活は親の食生活と紐付いているので、親の計測をして親が大丈夫であれば、子供も大丈夫だという事実がすでに明らかであるからだ。
しかし、どうしても子供も測ってほしいという親たちの感情に対して「親が大丈夫なら子供もですよ」と現実を示すのではなく、わざわざ乳幼児用の測定器を作り、実際に測って、感情を満足させることに成功したのである。その結果として、親たちは安心して「子供の内部被曝は問題ない」という現実を受け入れる事ができるようになったのである。
このように、ただ事実を示して「正しいのだから従え」という傲慢な姿勢を店入るのではなく、安心を軸としたリスクコミュニケーションを生み出すことが、結果として安全という現実を受け入れられる社会を形作ることに役に立つ。僕はそう考えている。
*1:豊洲市場 消費者の信頼得られず安心とは言えない 小池知事(NHKニュース)
*2:小池都知事は権力闘争ファースト(BLOGOS 赤木智弘)
*3:【築地市場・移転延期】進むも地獄、戻るも地獄 その揺れ続けた80年(ハフィントンポスト)
*4:広報誌・菜果フォーラム vol.25(一般社団法人 日本青果物輸出入安全推進協会)



