地震が起きた時に人災を誘発するのが自主避難者を「逃げた」といってバッシングすることだ。
これは2011年の東日本大震災でも起きたが2016年の熊本地震でも同様のことが起こっていた。
熊本市内で被災した家族。家は無事だが電気、ガス、水道はストップし、揺れも続いているので家族4人で避難所には行かずに車中泊を続けていた。しかし何日も過ぎるとだんだんとしんどくなってくる。
そこでお母さんのみ一度福岡の知り合いのところに身を寄せ、自身の気分転換と必要な物資の調達をしてこようと思ったところ、こう言われたという。
「みんながんばってるのに熊本から逃げるのか?」
この話を先日熊本で聞いた時がっくりきた。東日本大震災の教訓がまったく活かされていない。東日本大震災の時とまるで同じ。自主避難者を逃げたといって避難する風潮は九州でも起こっていた。
自主避難者をバッシングするのはまったくの無意味だ。逃げれる人は逃げた方がいい。なぜならその方が自主避難できない人のためになるからだ。
災害直後は物資も少なく避難所にも十分なスペースがない。そんな時、無理に避難所や被災地にとどまるより逃げられる人は逃げたらいい。
被災地で物資がなくても少し遠くにいけばそこには何不自由なく普通の生活ができる場所がある。自主避難するには金銭的負担がかかるが逃げられる人は逃げてもらえればその分、自主避難できない被災者に物資も行き渡るし十分な避難所スペースも確保できる。
自主避難した人が被災地と被災地外との橋渡しとなり被災地支援に回った方がいい。
ところがだ。地方に行くとそうはいかない。玉砕ニッポンよろしく苦しいところから逃げるのは悪とされ合理的な行動ではなくみんなと同じ沈む船に残ることが求められる風潮が根強くある。
東日本大震災でも自主避難者が「逃げた」といってバッシングされる話をいやというほど何人からも聞いた。自主避難者が被災地に残ればあんたたちの物資は減るし場所も減るけどいいんですか?逃げられる人は逃げてもらえばいいじゃないですか。そしたらその分、逃げられず被災地にとどまっている人に支援がいきやすくなる。
というか被災地に避難所を作って支援するより被災者を一時的に安全な場所に全部移してそこで支援した方がよっぽどよいのではないか。
すぐ復旧できる災害ならともかく長い時間かかるのであれば被災者ごと移動させてしまえばいい。たとえば熊本の被災者を福岡にとか。
そしたら支援ボランティアもわざわざ危険をおかして大量の物資を持ってずたずたな道路の中物資を配り歩くといった非効率的なことをしなくていい。
たとえば東日本大震災では絶対に起こらないとウソをつきでもとんでもない事故が起き放射能汚染によって死の町と化した福島の町は埼玉に町ごと移動し埼玉の避難所ぐらしをしていた。
原発事故のせいで二度と住めない死の町になったからこうした措置がとられたわけだけど何も原発事故ではなくても帰還見込みのある被災地でも復旧に時間がかかるなら県外避難所に住民を移す方法はもっとポピュラーになってもいいのではないか。
その間、被災地は自衛隊が仕切り一般人は立入禁止にしプロのみ復旧作業に没頭すればいい。
とはいえなかなかそこまでの判断は原発事故で死の町になったところでない限りは難しいとは思うのでだからこそ被災地外に自主避難できる人を「逃げるな」といって批判するんじゃなくどんどん逃げてもらえばいい。
そしたら被災地の負担が軽くなる。自主避難者も心休まる。自主避難者が被災地支援の窓口になれる。
でも。そんな東日本大震災の教訓は活かされることなく2016年の熊本地震でも自主避難者をバッシングしていた。
次なる未来の被災地ではぜひこのような無意味なバッシングはやめた方がいい。危ないところから逃げられるのであれば逃げるべきだ。逃げられるのにとどまられたら逆に多くの人に迷惑になるぐらいの感覚が当たり前になってほしい。
そして自主避難できない人たちのために手厚い支援がなされれば支援もうまくいくのではと思う。
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- 2017年03月06日 23:27