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乙武氏、アンチ・コレクトネスでゲスな美しさ

■それを持って生きていく社会が害

プライベートで去年いろいろ騒がれた乙武洋匡さんが最近テレビに復帰しており、自虐的なネタで少し話題をよんでいるようだ(乙武氏「障害者というだけでいい人だと思われる」 テレビでの自虐発言に批判相次ぐ)。

いつもながらのネットからの大批判があり、そこには、障害者にも「ゲス」がいるといった皮肉が並べられているようだ。

これらに対して乙武氏は、「障害者というだけで、ものすごいいい人だとか真面目な人だと思われるんですよね」等、『五体不満足』でデビュー以来、注目を浴び続けてきた半生を振り返りつつ、これまでの人生はどうやらだいぶ「窮屈」だったと明かしている。

障害者に対して、主として「ことばの気遣い」をするのがポリティカル・コレクトネスの一義的な意味だが(「障害者」→「障がい者」等)、マイノリティ全般に対して過剰な気遣いをしてしまうことが、僕は「広義のポリティカル・コレクトネス」だと思っている。

まあ僕自身、最近まで、常識的ポリコレに則って、実は障害者を障がい者と記述してきた。

が、去年あったリオのパラリンピックで、障害を持つ選手自身から「障害は障害と記述してほしい」という記事(パラ水泳・一ノ瀬メイ「障がい者のひらがな表記が嫌い」その理由が共感を呼ぶ)を読んで以来、自分の安易さに気づいた。

そこでとりあげられた一ノ瀬メイ選手はこう言う。

「私からしたら、腕がないとかが障害なんじゃなくて、それを持って生きていく社会が害」

「腕が短い人を見かけた時、『うわ、あの人 腕がない』っていう一言が、『あの人 こないだテレビで見たメイちゃんみたい』に変わるだけで全然変わってくるんだろうなって」

■彼はやっと「自由」を得た

一ノ瀬選手は若いからかイギリス仕込みなのかは知らないが、また。たくさんの苦労を追加してきていることもあるだろうが、どことなく突き抜けている。

対して乙武氏は、早くから注目されたこともあり、その、自らがはめ込まれるコレクトネス(正しさ)の範疇から出るのに長い時間を要したようだ。

また、その正しさの範疇から出るために戦略的に振る舞うことは結局できず、スキャンダラスな私生活とともに従来のコレクトネスからやっと出ることができたようだ。

それだけ、人々が抱くマイノリティに対する気遣いと、人々が抱くイメージ通りにマイノリティの人々に振る舞ってほしい欲望の力は大きい。

僕は個人的には不倫は個人の自由だと思うが、規範社会日本の中の有名人には、多大なるリスクが現在伴う。それがわかっていながらそのリスクに飛び込んでいく人は、何かをオモテだって宣言できない人たちなんだろうと思っている。

乙武氏の場合、最近の自虐ネタを見ていると、『五体不満足』以来(あるいは思春期以来)、ずっと窮屈だったんだなあと想像する。

たぶんこれから彼はやっと「自由」を得て、多くの人々の顰蹙をかいながらも、コレクトネスの窮屈から飛び出た価値をその都度社会に提供していくだろう。

それこそが表現者/アーティストの宿命であり、マイノリティを「常識的マイノリティ」に押し込めてしまう「暴力」を常に発動させている現代社会のなかで、当事者が本当の情熱を傾けていくことの意味だ。

■ポリティカル・コレクトネスでは、乙武氏を窒息させる

そもそも人間はゲスであり天使であり涙であり混沌だと僕は思う。

「~者だから…」という思い込み(バイアス)に気づき社会に示していくには、最近の乙武氏のように、「変に」生きることが一つの戦略だ。

その変な生き方は、別名「クィア」ともいう。セクシャル・マイノリティの人々が意識的にとるクィア戦略を、僕はここでは広義に捉えている(ジュディス・バトラー『ジェンダートラブル』が元ネタジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱))。

哲学者のJ.デリダの「脱構築」が超元ネタであるこの「クィア」は、ひとことで言うと、「相手の懐に入って、相手(マジョリティ)の矛盾をユーモアをもって突き、かき乱す」手法だ。

正面から反対意見を述べてそこから出てくる「合」を採用する弁証法的手法とは違い、この「脱構築」的手法はいやらしいがかなりの効果はある。

だからこの手法は、マツコ・デラックスなども多用している(が、スポンサーを背負ってしまった彼女は最近だいぶ慎重になってしまった)。

これを、おそらく乙武氏は意識していないだろうが、採用している。去年までの乙武氏とは違い、現在の乙武氏はマジョリティ側が混乱してしまう(あるいは批判せざるをえない)暴走ぶり・自虐ぶりを示している。その暴走を、僕は美しいと思う。

その行為(パフォーマンス)そのものが、現代社会の矛盾をつく。

これは、ポリティカル・コレクトネスの手法ではなかなか難しい。それが狭義のことばの言い換えだろうが、広義の気遣いだろうが、当事者の持つ複雑な思いにはなかなか到達できない。

つまり、ポリティカル・コレクトネスでは、乙武氏を窒息させるだけなのだ。

ポリコレを超えた「ポスト・ポリコレ」を現代社会は獲得する必要があると思うが、そのひとつとして、最近の乙武氏的あるいはマツコ的「クィア」は有効だと思う。

が、ポスト・ポリコレは、人々がその内面で抱くバイアス(偏見・差別)も直撃するから結構辛い作業でもある。

だから現在、内面のバイアスを見なくて済む現状維持保守主義と、楽して外部を攻撃する排他主義に人々は流れている。

※Yahoo!ニュースからの転載

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