記事

【読書感想】清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実

2/2

「稲葉は、僕があんなに打たれて、大観衆の前でみじめな姿をさらすのを初めて見たと思うんです。だから、ぶつけた。褒められたことではないかもしれません。でも、僕は、あいつの気持ちがうれしかった」

 そして、稲葉は今でも覚えている。PLの4番が2人の意地をどっしりと受け止め、黙って一塁に歩いてくれた様を。

 最終回にまわってきた6打席目、吹っ切れた稲葉投手は、清原に最後の真っ向勝負を挑みます。結果は、この日3本目になる、特大のホームラン。

「悔しくないんですか?」

 試合後、涙を流していない稲葉を見て、新聞記者が聞いてきた。1試合3本塁打という新記録を許した右腕はこう答えた。

「全く悔しくないです。彼のおかげで、僕らの名前が残るわけですから」

 その記者は不思議そうな顔をしていたという。村田と稲葉がともに戦った最後の試合、怪物は2人の意地を弾き返し、そして、受け止めてくれた。

 僕が子どもの頃、『がんばれ!タブチくん』という、いちいひさいちさんのアニメ映画のなかで、王選手がホームランの世界新記録をつくった756号を打たれた鈴木康二郎投手が、周囲から、「王選手に756号を打たれた鈴木さん」とずっと言われ続ける、というネタがありました。

 僕は笑いながらも、「これって、残酷なことだよなあ」とも感じていたのです。

 ただ、打たれた側にとっては、もちろん勝負師としての「悔しさ」はありつつも、伝説のヒーローに打たれて、歴史に名前が残ってしまったことは、自身の「存在証明」でもあるのかもしれません。その勝負から、時間が経てば、そして、彼自身が人生において「ヒーロー」になれなかった場合には、なおさら。

 彼自身がそれなりの所にたどり着けなければ、甲子園で清原と真剣勝負はできなかったわけですし。

 清原に打たれたことによって、野球をあきらめて新しい人生を摸索した投手がいる。

 清原にしか打たれていないというのが誇りとなり、「だから、他の連中には打たれるわけにはいかない」という強迫観念にとらわれて、苦しみ続けた選手がいる。

 清原と勝負するはずだった試合に投げることができず、ずっと、そのことを悔いている選手がいる。

 打席では神々しかった清原も、プライベートでは「普通の高校生」だったことを、多くの対戦相手が証言しています。

 甲西高校は偶然、PL学園と宿舎が同じだった。夕刻、金岡たちがロビーにいると、あの清原が言い出した。

「おい、今度は卓球で勝負しようや」

”卓球大会”が始まった。両校が打ち解ける中、1人、イヤホンをして、握ったボールを見つめている男がいた。桑田だった。

「ごめんな。メンタルトレーニングなんや。あいつのことは構わんでおいてくれ」

 清原が少し、申し訳なさそうに言った。

 金岡はむしろ、そっちに驚いた。

「僕にとっては桑田のあの姿がPLのイメージでした。みんなが常に野球のことを考えているんだろうなって。特に清原なんか天狗やろうなって(笑)。でも、清原こそ、普通の高校生だった。うれしかった」

 他愛もない話で笑い合った。現実味がないほどの特大ホームランより、少年のような笑顔が胸に強く残った。

 同じ高校生にとって、「PLの4番・清原」は「甲子園の神」であるのと同時に、ものすごく魅力的な「野球というスポーツをやっている仲間」でもあったのです。

 その一方で、こういう「付き合いの良さ」みたいなのが、その後の清原の人生を狂わせてしまったのかもしれない、という気もするんですよね。

 彼らが、今どん底にいる清原に「何かできることがあればしてやりたい」と言っているのを読んで、僕は感傷的にならずにはいられませんでした。

 高校球児としてスポットライトを浴びた彼らのなかには、その代償を払うかのように、その後の人生をうまく乗り切れていない者もいるのです。

 うまくいかなかったのは、清原だけじゃない。

 高校野球の聖地から清原和博の痕跡が消えていた。

 2016年7月、甲子園球場を訪れた。右翼スタンド後方には、第1回大会から100年を振り返ることのできる歴史館がある。だが、そこに歴代最多13本の本塁打を放った打者の記録はなかった。かつては飾ってあったユニフォームも、バットも、今はない。踏み入れてはいけない領域に、手を染めてしまったヒーローは、あれほど愛された甲子園からも抹消されていた。

 彼らに会ったのは、そんな時だった。

 今だからこそ、清原を語ってほしい。そう願いながらも、正直、記憶の扉を開けることは難しいと思っていた。

 だが、彼らはためらうことなく語った。世の中から「清原」という名前が消えていく中で、彼らの心には、驚くほどはっきりとその男がいた。投げたボールがバットに弾かれて、空の青に吸い込まれていく。そのわずか数秒間は、彼らの中で”永遠”になっていた。

 なぜ、清原のホームランは痛みにならないのか。

 なぜ、清原の記憶は消えないのか。

 取材は、その答えを探す旅だった。

 自分を打ち砕いたのが「甲子園の神様」だったことが、彼らの小さなプライドになっていた。

 ところが、その「神様」は、のちに、「堕ちた神」として、世間から大バッシングされる存在になってしまった。

「あの」清原に甲子園でホームランを打たれた、の「あの」のニュアンスが、清原の逮捕で、大きく変わってしまった。

 あの甲子園での清原の活躍は、彼のその後の転落を理由に「黒歴史」として、お蔵入りにすべきものなのだろうか?

 少なくとも、高校時代の清原は薬物には縁のない、「甲子園の神様」だったのに。

 「あの頃の清原」のこと、同世代の僕は、あまり好きじゃありませんでした。

 シンプルに言えば、同じくらいの年齢のヤツが、あれほどスポーツの世界で活躍し、みんなにチヤホヤされていることに嫉妬していたのです。

 あまりにも、当時の(今もですが)僕の人生とは無縁のものだったから。

 スポーツの世界、勝負の世界というのは、基本的に勝者の「総取り」で、敗者は多くのものを失ってしまう。

 負けるのは、つらい。

 でも、勝ち続けている側も、「自分の力によって、多くの人の思いや努力の積み重ねを打ち砕いていくこと」に疲れたり、消耗していくのではなかろうか。

 誰かにとっての「神」であり続けるというのは、凡人には想像しえない苦しみを伴うのではなかろうか。

「だから、清原さんの弱さを許してあげたい」と言えるほど、今の僕は純粋ではありません。

彼のような「カリスマ」は、社会的な責任も大きいというのも、「社会的制裁」によって、覚せい剤を抑止しようというのも理解できる。

「清原だから、覚せい剤も大目にみよう」なんて世の中は、間違っている。

 しかしながら、「高校時代の清原和博の凄さを語ること」「清原のファンだったり、彼に勇気をもらったこと」まで、みんなが口をつぐんで「なかったこと」にする必要があるのだろうか?

 僕は「少なくとも、高校時代の清原和博を『なかったこと』にしてはいけないのではないか」と思っています。

 じゃあ、同じ清原和博という人間のなかで、いつまでが「あり」で、いつからが「なし」なのか、というのは、とても難しい問題なのだけれど。

あわせて読みたい

「清原和博」の記事一覧へ

トピックス

  1. 一覧を見る

ランキング

  1. 1

    BLOGOSサービス終了のお知らせ

    BLOGOS編集部

    03月31日 16:00

  2. 2

    なぜ日本からは韓国の姿が理解しにくいのか 識者が語る日韓関係の行方

    島村優

    03月31日 15:41

  3. 3

    「いまの正義」だけが語られるネット社会とウェブ言論の未来

    御田寺圭

    03月31日 10:09

  4. 4

    カーオーディオの文化史 〜ドライブミュージックを支えた、技術の結晶たち〜

    速水健朗

    03月30日 16:30

  5. 5

    BLOGOS執筆を通じて垣間見たリーマンショック後10年の企業経営

    大関暁夫

    03月31日 08:27

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。