- 2017年03月04日 08:30
【読書感想】清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実
2/2「稲葉は、僕があんなに打たれて、大観衆の前でみじめな姿をさらすのを初めて見たと思うんです。だから、ぶつけた。褒められたことではないかもしれません。でも、僕は、あいつの気持ちがうれしかった」
そして、稲葉は今でも覚えている。PLの4番が2人の意地をどっしりと受け止め、黙って一塁に歩いてくれた様を。最終回にまわってきた6打席目、吹っ切れた稲葉投手は、清原に最後の真っ向勝負を挑みます。結果は、この日3本目になる、特大のホームラン。
「悔しくないんですか?」
試合後、涙を流していない稲葉を見て、新聞記者が聞いてきた。1試合3本塁打という新記録を許した右腕はこう答えた。
「全く悔しくないです。彼のおかげで、僕らの名前が残るわけですから」
その記者は不思議そうな顔をしていたという。村田と稲葉がともに戦った最後の試合、怪物は2人の意地を弾き返し、そして、受け止めてくれた。
僕が子どもの頃、『がんばれ!タブチくん』という、いちいひさいちさんのアニメ映画のなかで、王選手がホームランの世界新記録をつくった756号を打たれた鈴木康二郎投手が、周囲から、「王選手に756号を打たれた鈴木さん」とずっと言われ続ける、というネタがありました。
僕は笑いながらも、「これって、残酷なことだよなあ」とも感じていたのです。
ただ、打たれた側にとっては、もちろん勝負師としての「悔しさ」はありつつも、伝説のヒーローに打たれて、歴史に名前が残ってしまったことは、自身の「存在証明」でもあるのかもしれません。その勝負から、時間が経てば、そして、彼自身が人生において「ヒーロー」になれなかった場合には、なおさら。
彼自身がそれなりの所にたどり着けなければ、甲子園で清原と真剣勝負はできなかったわけですし。
清原に打たれたことによって、野球をあきらめて新しい人生を摸索した投手がいる。
清原にしか打たれていないというのが誇りとなり、「だから、他の連中には打たれるわけにはいかない」という強迫観念にとらわれて、苦しみ続けた選手がいる。
清原と勝負するはずだった試合に投げることができず、ずっと、そのことを悔いている選手がいる。
打席では神々しかった清原も、プライベートでは「普通の高校生」だったことを、多くの対戦相手が証言しています。
甲西高校は偶然、PL学園と宿舎が同じだった。夕刻、金岡たちがロビーにいると、あの清原が言い出した。
「おい、今度は卓球で勝負しようや」
”卓球大会”が始まった。両校が打ち解ける中、1人、イヤホンをして、握ったボールを見つめている男がいた。桑田だった。
「ごめんな。メンタルトレーニングなんや。あいつのことは構わんでおいてくれ」
清原が少し、申し訳なさそうに言った。
金岡はむしろ、そっちに驚いた。
「僕にとっては桑田のあの姿がPLのイメージでした。みんなが常に野球のことを考えているんだろうなって。特に清原なんか天狗やろうなって(笑)。でも、清原こそ、普通の高校生だった。うれしかった」
他愛もない話で笑い合った。現実味がないほどの特大ホームランより、少年のような笑顔が胸に強く残った。
同じ高校生にとって、「PLの4番・清原」は「甲子園の神」であるのと同時に、ものすごく魅力的な「野球というスポーツをやっている仲間」でもあったのです。
その一方で、こういう「付き合いの良さ」みたいなのが、その後の清原の人生を狂わせてしまったのかもしれない、という気もするんですよね。
彼らが、今どん底にいる清原に「何かできることがあればしてやりたい」と言っているのを読んで、僕は感傷的にならずにはいられませんでした。
高校球児としてスポットライトを浴びた彼らのなかには、その代償を払うかのように、その後の人生をうまく乗り切れていない者もいるのです。
うまくいかなかったのは、清原だけじゃない。
高校野球の聖地から清原和博の痕跡が消えていた。
2016年7月、甲子園球場を訪れた。右翼スタンド後方には、第1回大会から100年を振り返ることのできる歴史館がある。だが、そこに歴代最多13本の本塁打を放った打者の記録はなかった。かつては飾ってあったユニフォームも、バットも、今はない。踏み入れてはいけない領域に、手を染めてしまったヒーローは、あれほど愛された甲子園からも抹消されていた。
彼らに会ったのは、そんな時だった。
今だからこそ、清原を語ってほしい。そう願いながらも、正直、記憶の扉を開けることは難しいと思っていた。
だが、彼らはためらうことなく語った。世の中から「清原」という名前が消えていく中で、彼らの心には、驚くほどはっきりとその男がいた。投げたボールがバットに弾かれて、空の青に吸い込まれていく。そのわずか数秒間は、彼らの中で”永遠”になっていた。
なぜ、清原のホームランは痛みにならないのか。
なぜ、清原の記憶は消えないのか。
取材は、その答えを探す旅だった。
自分を打ち砕いたのが「甲子園の神様」だったことが、彼らの小さなプライドになっていた。
ところが、その「神様」は、のちに、「堕ちた神」として、世間から大バッシングされる存在になってしまった。
「あの」清原に甲子園でホームランを打たれた、の「あの」のニュアンスが、清原の逮捕で、大きく変わってしまった。
あの甲子園での清原の活躍は、彼のその後の転落を理由に「黒歴史」として、お蔵入りにすべきものなのだろうか?
少なくとも、高校時代の清原は薬物には縁のない、「甲子園の神様」だったのに。
「あの頃の清原」のこと、同世代の僕は、あまり好きじゃありませんでした。
シンプルに言えば、同じくらいの年齢のヤツが、あれほどスポーツの世界で活躍し、みんなにチヤホヤされていることに嫉妬していたのです。
あまりにも、当時の(今もですが)僕の人生とは無縁のものだったから。
スポーツの世界、勝負の世界というのは、基本的に勝者の「総取り」で、敗者は多くのものを失ってしまう。
負けるのは、つらい。
でも、勝ち続けている側も、「自分の力によって、多くの人の思いや努力の積み重ねを打ち砕いていくこと」に疲れたり、消耗していくのではなかろうか。
誰かにとっての「神」であり続けるというのは、凡人には想像しえない苦しみを伴うのではなかろうか。
「だから、清原さんの弱さを許してあげたい」と言えるほど、今の僕は純粋ではありません。
彼のような「カリスマ」は、社会的な責任も大きいというのも、「社会的制裁」によって、覚せい剤を抑止しようというのも理解できる。
「清原だから、覚せい剤も大目にみよう」なんて世の中は、間違っている。
しかしながら、「高校時代の清原和博の凄さを語ること」「清原のファンだったり、彼に勇気をもらったこと」まで、みんなが口をつぐんで「なかったこと」にする必要があるのだろうか?
僕は「少なくとも、高校時代の清原和博を『なかったこと』にしてはいけないのではないか」と思っています。
じゃあ、同じ清原和博という人間のなかで、いつまでが「あり」で、いつからが「なし」なのか、というのは、とても難しい問題なのだけれど。



