- 2017年03月01日 17:37
「ふつうに食べる」ってなんだろう?――拒食と過食がうつす私たちの食べ方 『なぜふつうに食べられないのか』著者、磯野真穂氏インタビュー
2/2母親に責任を押し付ける「家族モデル」
――本のなかでは「家族が悪いから発症した」という「家族モデル」の問題点を指摘していますよね。
はい。日本ではいまだに摂食障害の原因を家族に、特に母親に求める傾向がみられ、私はこれを「家族モデル」と名付けました。家族モデルの源流は20世紀の中後半に摂食障害の治療で大変著名になったアメリカの精神分析家ヒルデ・ブルックに端を発します。
この母親原因説は、父親の役割が無視されているとか、摂食障害の親子関係に特徴的と思われていたものは、実は発症後につくられたものといった報告がでるなかで欧米では収束していきます。しかし、日本の場合は、摂食障害が増え始めた80年代後半から90年代にかけて、母親と当事者のゆがんだ関係性に摂食障害の原因があるという説を後押しするような論文が大量にでています。さらに、この説の賛否について社会学者をまきこんだ論争にまで発展しています。
これは私がフィールドワークをおこなったシンガポールと対照的です。シンガポールでは、もちろん家族の果たす役割は大きいとされますが、母親に原因を求める「家族モデル」はほとんど広がりを見せていません。むしろシンガポールでは欧米化の影響と摂食障害の関連性を重要視する研究が多く発表されています。
――社会状況で「原因」が変わっているのですね。
はい。日本の場合、摂食障害が増え始めた時期と、子どものありとあらゆる問題を女性の社会進出に求める論調が盛んであった時期が並行していることに目を向ける必要があるでしょう。
「母原病」とは、アトピー性皮膚炎、家庭内暴力、不登校など20世紀の中後半に出始めた子どもの問題の原因を、女性の脳に生物学的にインプットされているとされる「母性」の狂いに求める見方です。内科医の久徳重森さんにより広められました。女が男の真似をして会社でバリバリ働いたりしようとするから、母性に狂いが生じ子どもに問題が起こるという理論です。
いまではトンデモ理論だと多くの人に思われていますが、この時期の摂食障害はこの流れで良く語られています。母親が母性に反して男のようになろうとするから、娘が成熟した大人になることを拒否して摂食障害になるという流れです。
シンガポールの場合、女性は主婦として家事・子育てを一気に引き受け、男性は外で働くという構造がもともとありませんから、家族モデルが根付く土壌自体がもともとなかったのでしょう。
また拙著で注目したのが、当事者の方の語りが「家族モデル」に沿うような形で変化していくことです。お話を聞いていると「夫婦の問題を子どもに愚痴る親」「成績がよいときだけほめるといった子どものありのままを認めない親」といった親の態度が彼女たちの摂食障害を形作った原因としてご本人から語られることがあります。
これらは摂食障害にありがちな親の姿勢として専門書などでまさに指摘されていることなのですが、お話を長期間にわたって聞いていると、そのような語りが専門書を読みこんだり、親子関係をそのような形で重視する医療者と出会ったりするなかであらわれてくることがわかります。
つまり家族が自らの拒食や過食の原因であるという「家族モデル」を自分の物語として読み込んでいるのです。ですから、家族モデルが摂食障害の原因を説明しているかどうかという正誤の検証よりも、家族モデルを当事者がどう読み取り、それを用いてどう人生の物語を再構築していったかに注目しました。
「ふつうに食べる」ってなんだろう?
――「ふつうに食べる」と「ふつうに食べられない」をわけるものはなんでしょうか?
私たちにとって「ふつうに食べる」ことは、日常生活に自らの食の軸足を置くということだと思います。たとえば、ケーキであってもそれが誕生日ケーキなのか、コンビニで買ってきて一人で食べるケーキなのかで意味が変わります。食べものにはその文脈でしか現れえない意味があり、私たちは知らず知らずのうちにその意味を読み取りながら食べているのです。
一方で、「ふつうに食べられない」女性たちは、食の軸足を栄養素やカロリーといった科学の分野にうつしている傾向があります。たとえば、ケーキを見たら「炭水化物だ」「300キロカロリーだ」というように意味を固定させてしまい、その食べ物が置かれた文脈でしか現れえない食べ物の意味――たとえばこれは大事な人が自分のお祝いのためにつくってくれたケーキ――といったことに目がむかなくなっているのです。
インタビューに協力してくれた皆さんが「おいしさ」を感じにくくなっているのは、その文脈でしかあらわれない食べ物の意味を身体全体で感じ取ることができず、頭で栄養素や数字に変換してしまうところに一因がある場合があると思いました。
ですが、ある栄養素に着目したり、カロリーが気になったりすることは、私たちも同様にやっている行為ですし、むしろそのような食べ方はむしろ推奨されています。つまり彼女たちの食べ方はいっけんすると大変奇妙なおかしなものにみえますが、その食べ方は実は私たちの社会としっかり接合しており、そこで推奨される食べ方を先鋭化させていると私は思います。その点で彼女たちの食べ方は実に人間的なのです。
摂食障害は紛れもなく食べることにかかわる病気でありながら、そこでどのような食が展開されているかについてはほとんど注目されてきませんでした。拒食や過食は本質的な問題のあらわれに過ぎず、それを取り払ったところに本当の問題はある、というのが主流の見方であるからです。
しかし摂食障害に限らず、人間が抱える問題とは、ミカンの皮をむいたら実があらわれるといったようなものなのでしょうか? 私たちが抱える問題はもっと入り組んでいて、本質と表層というような形にわけられるものではないのではないでしょうか。その疑問を突き詰めてみたのが拙著になります。
――最後に一言、読者に向けて何かメッセージはありますか?
よく「こんな研究をしていたら、自分もまきこまれない?」なんて言われることがあるのですが、この調査に4年近く協力してくださった6名のみなさんは、とても素晴らしい方たちで、私の方が励まされることもよくありました。
ずっとインタビューを続けさせて思ったことは、人間って弱いけど強いなということです。彼女たちは、大変な状況になって、ときには家からでられなくなったり、入院をしたりしているのですが、社会から完全に撤退することはなく、それがたとえ周りからみたら格好の悪い形だったとしてもちゃんと這い上がってきます。自分の人生の物語を閉じた世界のなかで終わらせることなく、外に開き、描き続けることの力強さを、インタビューを通じて教えてもらった気がします。
「自分にとって食べるってなんだろう」、「身体って何だろう」、そんな疑問を感じたことのある方たちに、自分の人生の物語と共鳴させながら読んでもらえれば嬉しいです。
なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学
著者/訳者:磯野 真穂
出版社:春秋社( 2015-01-22 )
定価:
Amazon価格:¥ 2,700
単行本 ( 312 ページ )
ISBN-10 : 4393333365
ISBN-13 : 9784393333365
画像を見る磯野真穂(いその・まほ)
文化人類学
国際医療福祉大学大学院講師(博士【文学】)。文化人類学者。1999年、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。2003年、オレゴン州立大学応用人類学修士課程修了(修士【応用人類学】)。2010年、早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。早稲田大学文化構想学部助教を経て現職。2000年より拒食・過食についての研究をはじめ、シンガポールと日本でフィールドワークをおこなう。現在は主に現役の医療者に向け文化人類学を教える傍ら、医療現場でのフィールドワークを続けている。一般に向けた企画である、「一億総やせたい社会を考える人類学ワークショップ・からだのシューレ」の主催者の一人。著書に『なぜふつうに食べられないのか―拒食と過食の文化人類学』(2015、春秋社)




