- 2017年02月21日 19:38
「自己愛性パーソナリティ障害」という診断の意味を考える
2/2治療
精神療法 患者が前進するためには彼らの自己愛を捨てなければならないので、自己愛性パーソナリティ障害の治療は難しい。カーンバーグ(Kernberg)とコフート(Heinz Kohut)のような精神科医は精神分析的アプローチによって変化をもたらすと唱道した。しかし、診断を確認し最良の治療を決定するにはこれからの多くの研究が必要である。理想的な環境において分かち合いを学ぶ集団療法により、他者への共感的反応を促すことができると論ずる臨床医もいる。
薬物療法 リチウム(リーマス)が、臨床像の一部に気分変動を含む患者に使われている。自己愛性パーソナリティ障害の患者は拒絶にはほとんど耐性がなく、抑うつ的になりやすいので、抗うつ薬(特に、セロトニン作動薬)が有用な場合もある。
たったこれだけである。内容的にも、あまり研究が進んでいないことがうかがえる。
しかも悪いことに、この記載はひとつ前のバージョンの第二版と同じである。境界性パーソナリティ障害をはじめとする多くの精神疾患は、第三版になって内容がかなり書き換わっていた――つまり、それだけ診断や治療に進展があったわけだ――が、自己愛性パーソナリティ障害については、それほどの進展があったわけではない、ということである。
3.三つ目の理由は、これは私の推測混じりになるが、現代人は多かれ少なかれ自己愛性パーソナリティ障害に近い心性をもっていて、病的な自己愛と正常な自己愛の境目を議論するのが難しい、ということもあるだろう。
この疾患の第一人者の一人、カーンバーグは、自己愛性パーソナリティ障害の人は、正常な自己愛とは区別される異常な自己愛を持っていると論じた。他方、もう一人の第一人者、コフートは、自己愛性パーソナリティ障害を未熟な自己愛とみなし、成熟した自己愛と連続的なものとして論じた。
自己愛性パーソナリティ障害に該当する人のなかには、その心性に急き立てられて富や名声を求め、(一時的に、または永続的に)社会的成功をおさめる人も少なくない。病碩学の世界では、世界的指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンが自己愛性パーソナリティ障害の傾向を持つと論じられている*3が、私のみる限り、インターネットも含めたメディア上で名を成した人のなかには同じような心性を持った人が少なくないようにみえる。
もっと卑近な例として、自己顕示的なtwitterアカウントのたぐいなどは、多かれ少なかれ自己愛性パーソナリティ障害寄りだと言えるし、「意識高い系」と呼ばれるような人達、「自撮り棒」で写真を撮ることを好む人達、素晴らしい体験をInstagramにアップロードすることを生き甲斐にしている人達についても、近い心性を持っていると想定される。そういった、現代人の典型ともいえる人々にパーソナリティ障害というレッテルを貼ってまわることに意味はあるだろうか。
こうした1.2.3.を振り返るにつけても、精神医療の現場で自己愛性パーソナリティ障害という診断名があまり選ばれないのは当然のことだと私は思う。他に治すべき精神疾患が併存し、研究がそれほど進んでおらず、正常と異常の境目の曖昧な疾患概念を、第一の診断名として患者さんに伝えるのは容易ではない。
ちなみに私自身はコフートの自己愛理論を愛好しているので(→関連)、患者さんの自己愛の状態は必ず意識するようにしているけれども、それですら、第一の診断名として自己愛性パーソナリティ障害と付けたことはほとんど無い。医療というコンテキストで考えるなら、他につけるべき診断病名があり、他に優先すべき対処があることがほとんどである。
鑑定上の「自己愛性パーソナリティ障害」とは「重篤な精神病ではありません」ではないか
こうした実情を踏まえたうえで、冒頭の精神鑑定について考えると、鑑定を担当した先生が積極的に「自己愛性パーソナリティ障害」と診断したとは、私には思えないのだ。
統合失調症や双極性障害に該当せず、種々の発達障害にも該当せず、境界性パーソナリティ障害のようなクッキリとした人格障害にも該当しないがために、消去法的に自己愛性パーソナリティ障害という診断名が“残った”のではないか、と想像したくなる。
繰り返すが、報道されている範囲では、容疑者の振る舞いは自己愛性パーソナリティ障害の診断基準と矛盾しないようにみえる。むしろ、整合性があるように私には思われた。ただ、この診断名の精神医学における位置付けを考えると、積極的に付けたくなる診断名とは思えない。鑑定を担当した先生は、いろいろな精神疾患をさんざんに検討したうえで、ひねり出すような気持ちでこの診断名を付けたのではないだろうか。
重大事件の容疑者には、ときとして自己愛性パーソナリティ障害という鑑定結果が付けられることがある。さしあたって、責任能力があると判断する際には必要十分な診断名だと言えるだろう。しかし、ここまで述べたように、自己愛性パーソナリティ障害とは曖昧な疾患概念なので、この鑑定結果から容疑者の内実を深読みするのは難しいように私は思う。記事詳細で“複合的な人格障害”という表現を伴っていることを踏まえるにつけても、「重篤な精神病ではありません」以上の読みは、しないほうが良いのではないだろうか。
どうか、「自己愛」が嫌悪されませんように。
ところで、自己愛性パーソナリティ障害という言葉は、かなり悪いイメージを伴って巷に流通している。匿名掲示板やtwitterなどでも、この言葉が一種の罵倒文句のように用いられているのを何度も目にしてきた。尊大な態度や他者への無神経さが嫌われやすいことを思えば、それ自体は仕方のないことかもしれない。
ただ、こういった重大事件の鑑定結果として(積極的か、消極的かに関わらず)自己愛性パーソナリティ障害という病名が登場するたび、私は、この診断名のイメージがますます悪くなるのではないか、ひいては、自己愛そのものを否定する人が増えるのではないかと、私は心配になる。
これが他の精神疾患、たとえば種々の精神病や発達障害なら、疾患名に対するスティグマが広がらないよう注意を促す人々が現れるものだが、自己愛性パーソナリティ障害についてはどうだろうか。
自己愛の暴走がトラブルを生むこと自体は否定できないし、自己愛性パーソナリティ障害に該当し、現に苦しんでいる人がいるのも事実だ。だがそれだけでなく、自己愛は、自分自身のために切磋琢磨し、富や名声やスキルを掴むための原動力にもなり得るものだ。また、世間ではあまり知られていないが、自己愛の概念の範疇には、誰かに憧れたり応援したりする心性も含まれている。そういった部分も含めて、自己愛には健全な側面も多分にあるのだから、やたら否定せず、適切に付き合っていくべきだと思う。そして、例示したカラヤンをはじめ、自己愛性パーソナリティ障害に相当する心性を持っているけれども、否、ひょっとしたらそのおかげで社会的成功に至る人だっているのだから、ネットの巷で悪しざまに言われているほど、否定しないで欲しい、と願う。
*1:いわゆる躁うつ病のカテゴリ
*2:注:境界性パーソナリティ障害の心理療法的アプローチのなかには「急いで治そうと治療者が頑張り過ぎない」ことも含まれているので、やたらと一生懸命に治そうとするようなイメージを過度に持ち過ぎないようにご注意を。
*3:参考:中広全延『カラヤンはなぜ目を閉じるのか―精神科医から診た“自己愛”』、新潮社、2008
- シロクマ(はてなid;p_shirokuma)
- オタク精神科医がメディアや社会についての分析を語る



