山田詠美
『キャピタル』。その多くは男の作家によって書かれたものだが、時折、ある種の小説世界の中には不思議な男性登場人物が棲息している。彼らは、たいていホテルのチェックインカウンターでこうのたまうのである。「予約していた○○だ」……ぷ、そんな横柄な物言いってあり? と読むたびに私などは吹き出してしまうのだが、この作品にもそういう「何様!?」な男が登場する訳よ。かぎかっこの中では口語体で喋ってよ、お願い。上から目線の面倒臭い人たちにうんざり。
宮本輝
今回は拮抗していた。ドングリの背比べという拮抗の仕方で、私はどれも芥川賞として強く推せなかった。
(中略)
加藤秀行さんの「キャピタル」は委員たちの点数が最も低かった。上手下手ではなく、小説全体に鼻持ちならないエリート意識が滲み出ていて、最後まで読み切るのは苦行だった。
堀江敏幸
(『しんせかい』について)
【先生】に対する微妙な違和感と、共同生活のなかで薄い膜をまとっている語り手スミトの言動には、自分を自分が眺めている離人症的な場面もふくめて、ただの青春回顧に収まらない。はみ出したものへの、またその結果欠落したものへの凝視がある。使っているうちに濁ってくる感情を縫う糸が、ところどころで切れている。にもかかわらず、読後、一瞬の間を置いてこちらの心がざわつきはじめる。「しんせかい」は、読者の胸にある。そこに惹かれた。
島田雅彦
(『カブールの園』について)
宮内悠介が構築する作品はどれもプログラムとしては極めてウェルメイドにできている。作中人物はAIを搭載したアンドロイドのようにバグの少ないメカニズムによって動いているように見える。だが、ノイズだらけの古い人間の中には宮内と人間観を共有できない人も出てくるだろう。折しも、社会の分断と市民同士の敵対という問題が世界を覆い始めた。「同じ人間」という前提も根本から疑ってかからねばならない時代は、人間観のリニューアルに最もチャレンジしやすい時代ともいえる。彼は少しだけ早過ぎたのだ。
川上弘美今回の候補作は、あまり選考委員のお気に召さなかったようで、選評にも厳しい言葉が並んでいました。
その小説のよろしさを、言葉ではうまく説明できない小説、というものが、わたしにはあるのです。でも、「なんだかいいんですが、それをうまく説明できないんです」などと、選考の場で言っても、たぶん誰も聞いてくれません。わたしだって、よそのひとがそんなことをもごもご言っていたら、「もっとちゃんと説明してくれよ」と、そのひとを揺すぶりたくなってしまうに違いありません。ところが、今回の選考の場で、わたしは山下澄人さんの「しんせかい」について、「なんだかいいんですが、うまく説明できないんです」と、そのままのまぬけな言葉で推し、あんのじょう、選考委員のひとたちは、わたしの「推した言葉」については、その後の論議の中でも、さりげなく知らないふりをしてくれたのでありました。
僕も『しんせかい』を読んでみて、「面白くないなこれ……」と思ったのですけど、小川洋子さんの選評の「主人公の心を一切描こうとしない、という独自の世界観」というのを読んで、「そういう読み方もあるのか」と驚かされました。プロの作家というのは「書かれなかったこと」に意味を見いだすものなのだなあ、って。
その一方で、村上龍さんの「つまらない」や高樹のぶ子さんの「物足りないし薄味」という選評のほうが「僕の実感に近い」のは確かなんですよね。
そして、こういう「個々の作品について、語るべきことが少ない回」こそ、選考委員の「選考芸」みたいなのが発動しやすいところはあります。
『キャピタル』への山田詠美さんの「ハードボイルドっぽい男性登場人物への嘲笑」や、宮本輝さんの「作品以前に、作者のエリート意識が気に入らないんだよ!お前が最低点!」という「そんなにこの作家が憎いんですか……?」と言いたくなるくらいの罵倒など、選評フリークにはたまりません。
いや、こんなこと『文藝春秋』の「芥川賞の選評」に書かれたら、筆を折る人も出るんじゃないかなあ。羽田圭介さんみたいな「不屈の人」ばっかりじゃないだろうし。
『カブールの園』への島田雅彦さんの「他の選考委員はさておき、オレだけは、わかってるぜ感」も、もう恒例になってきました。
島田さんと宮本輝さんとか、選考会でいったいどんな会話をしているのだろうか。
川上弘美さんの「新井素子憑依」も健在です。
「過半数ギリギリ」とはいえ、受賞作であることには変わりないので、山下さんにとっては、4回目のノミネートで、日頃とは違う作風での悲願達成、ということになりました。
とりあえず、「こういう回もあるよね」という、第156回の芥川賞、という印象です。
それでも、「受賞作なし」にならなくて、良かったのではないかな。
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