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「有名・無名」の物差しにとらわれずにいたい

 ちょっと仕事が一段落したので、ココアを飲みつつ。

 少し前に、『文春オンライン』がスマートニュースの藤村厚夫氏のインタビューを出していて、内容自体も興味深かったし、『週刊文春』が「文春砲」として存在感を発揮している中でユーザーへの「伝え方」をテーマにした記事を出している、という事自体も面白いな〜と思っていたのだけど、一点だけ気になった箇所があった。
 誰が書いたかが、重要な時代になってくる  おしえて、ウェブのセンパイ! (文春オンライン)

 書き手の価値はむしろ高まっていくんじゃないですかね。もちろんソーシャルな空間で、詠み人知らずで書かれたがゆえのおもしろさもあるんだろうとは思いますが、信頼性という意味でも「誰」が書いたかは重要な指標であり続けるだろうと思います。ネット空間の匿名の書き手も、プライベートな個人情報は開示しなくてもヴァーチャルな人格は同定されていきますし。
 私自身もネットのコンテンツの信頼性の拠り所として「誰が」というものが問われるようになっているように感じるし、そんな中でブロガーからライターになったという「何者でもない」自分の居場所はどこにあるのかな、ということはずっと考えているわけなのだけど。私のことよりも気になるのは、「有名人でないひと」≒「匿名・ハンドルネームのひと」の発言や声は、どこに行くのか、ということだ。

 現状は『Twitter』があるし、『はてな匿名ダイアリー』からは昨年「保育園落ちた日本死ね!!!」が流行語大賞トップテン入りするといったこともあって、無名の人の声が、その人自身の言葉として発信される場というのは存在している。

 一方で、友人しか見れない『Facebook』や、『LINE』メッセージアプリのグループなど、非公開の場で発信される事象も今後増えていくだろうし、そういったものは不可知のまま流れていくこともあるだろう。

 こういった「無名の声」を受信して、必要があれば取材してオピニオンにするというのもメディアの役割だと個人的には思っている(藤村氏のいうところの「ゼロ次情報」という概念に近いかもしれない)のだけど、近年のネットメディアは、有名人≒テレビの情報をネットに流す、ということでPVを稼ぎ出していて、むしろ新聞社や雑誌社の方が、そういったオピニオン化するということに意識的なような気がしてならない。まぁ、ネットメディアといっても千差万別だけど。

 私自身は、ネットがあったおかげで物書き仕事ができるようになった身でもあるし、ずっとブログをやってきた身でもあるから、有名無名といった物差しに頼らずに、「何を言っているのか」ということに敏感であり続けたいし、そういった感受性を武器にして、これからも仕事が出来ればいいな、と思っていたりする。

 仕事が一段落したと書いたものの、終わっているわけではないので、まとまりがないけれど今夜はこの辺で。

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