- 2017年02月14日 08:09
感情の理屈を言語化する――漫画の何が私たちを泣かせたり笑わせたりするのか / 漫画史・表象文化論、宮本大人氏インタビュー
2/2『のらくろ』は手塚治虫よりも文学的?
――先生が主に研究しているのは戦前・戦中の漫画ということですが、なぜ昔の漫画について注目しているのでしょうか?
手塚治虫以前の漫画について語っている人がほとんどいなかったからですね。一般的には漫画は手塚治虫から始まったという感覚がありますが、戦前にも『のらくろ』や『冒険ダン吉』など、人気を博した漫画はありましたから。
問題は、戦前の漫画と戦後の漫画を具体的に比較した研究がほとんどなかったことですね。なぜなかったのかというと、手塚先生自身がさまざまな媒体で、「自分の以前にはこんな漫画はなかった」といっていたからなんです。それを多くの人が鵜呑みにしていたんですね。「ああ、手塚先生がそういうのならきっとそうなんだろう」と(笑)。
実際に研究してみると、『のらくろ』は手塚先生がいっているよりもずっと深い表現をしているわけです。たとえば手塚先生は、漫画で悲劇を描いたのは自分が最初だといっているわけですが、戦前の漫画にも悲しい別れを描いた作品など、そこに段階的につながってくる様子があって、手塚先生が突然一人で始めたとは言えない。繊細な心理描写も戦前から描かれている。スピード感の表現とかもかなり蓄積があった。べつにすべてにおいて手塚先生が発明したというわけではないんですよね。
――なぜそこまで手塚治虫は過剰評価されているのでしょうか?
手塚治虫の神格化の典型例の一つが藤子不二雄Aの自伝漫画『まんが道』です。手塚治虫の『新宝島』を読んで感動した時の有名な場面があって、いろんなところで引用されています。
しかし、そもそも藤子不二雄世代の子供時代は、ちょうど戦時中で、子供漫画に対する統制も行われていたころで、あまり多くの漫画に触れられていないんじゃないかと考えられるんですよ。だから手塚漫画の印象が、過度に持ち上げられている可能性があるんです。
手塚治虫の直撃世代が「手塚先生すごい」といっているのを鵜呑みにしているだけでは正確な評価はできないはずです。手塚治虫もとっくに亡くなっているし、学問的に漫画史のなかでの彼の位置づけを探ることが、彼にとってもいいはずです。
――手塚治虫を正当に評価するためには、もっと昔にさかのぼって考える必要もあるということですね。戦前・戦中の漫画はどういったところがすごいんですか?
主人公が精神的に成長する漫画って、手塚治虫から始まったように思われていました。でもたとえば『のらくろ』の主人公は軍隊のなかで徐々に出世しているわけですよ。最初はいろいろ失敗もするんですけど、成長していく。そして地位が上がっていくたびに失敗することも減っていき、落ち着いたキャラクターになっていくんです。
心理描写に関してはあまり深くないのですが、心理を表象するシーンはあります。のらくろはみなし子なので帰る家がないんですね。だから正月には、まわりのみんなが帰郷していくなか、自分ひとりだけ軍隊でしょんぼりと人知れず涙を流すんです。
普段はユーモラスなキャラクターなんですが、その内側では家族がいないことを寂しく思っている。人間らしい二面性をもっているということが、簡単ではありますが描かれているんですね。
『のらくろ』は終盤になると、軍隊が資源確保のために大陸に進出するという地味な展開になっていくんですが、そのころにはのらくろも、地味なおじさんに成熟しているんです(笑)。じつにゆるやかで地味な成長の描き方なんですが、それは見方によっては、手塚治虫のような何かの大きなイベントによって主人公の価値観が変化するといった思春期的な成長の描き方よりも、リアルで文学的といえるかもしれません。
――それは面白いですね。では逆に、戦後の漫画が戦前の漫画より優れているところは何ですか?
単純に絵の描き方が向上したり、物語が複雑化したりしています。戦前の漫画は、基本的には主人公はひとりで、主人公の動きを描き続けていたわけです。しかし戦後から、主人公級のキャラクターが複数現れ、それぞれの思惑で行動し、群像劇的に交錯するといった物語が増えてきました。手塚の初期作品では『来るべき世界』(1951年)が典型的な群像劇で、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季監督も影響を受けたと言っています。
心理描写に関しては、手塚治虫がやはり頭一つ飛び抜けています。それは人間のトラウマを描いたという点においてです。『来るべき世界』では、人の精神が壊されていく過程を描いています。主人公級のキャラクターの一人が働かされていた工場から脱走しようとして捕らえられて、「かごの鳥の刑」という罰を受けます。檻の中でひたすら放置されるんです。時計もなく、看守も喋ってくれない。何日経ったかもわからなくなっていく中、ただひたすらご飯だけを与えられて放置される。そうして次第に狂っていく様子を4ページぐらいに渡って描いたんです。このような描写は戦前にはなかったと思います。
戦前の漫画は大人向けと子供向けでジャンルがはっきりとわかれていました。でも戦後、手塚治虫がこうした人間のトラウマを扱う漫画を描いてから、大人向けと子供向けの境界があいまいになっていきました。もともと『来るべき世界』も子供向けだったんですけれどね。それから青年層、中高生や中卒労働者などをターゲットとした劇画やスポーツ漫画が新たな市場を拡大していったんです。
――漫画はわりと誰でも読むと思うのですが、先生のように大学で学問として研究対象にするというのはかなり特殊ですよね。どのようなきっかけがあったのでしょうか?
手塚治虫全集の『ジャングル大帝』がきっかけです。全集版の『ジャングル大帝』全3巻なんですが、じつは1巻と2巻は発表当時の原稿が紛失していて、後年に手塚治虫がもう一度描いた……という話があとがきに書かれていたんです。当時の原稿が使われている3巻では、このページのこのコマは若き日の藤子不二雄に手伝いで書いてもらった、とか。こういうところから、漫画が描かれた経緯を知るのは面白いなと思ったんです。
でも本格的に批評に興味をもったのは、ラジオの音楽番組でした。音楽雑誌の『ロッキング・オン』初代編集長の渋谷陽一がラジオをやっていたんですね。中高生の時それが好きで、まず音楽の批評に興味を持つようになりました。
そうしたら、ある日、渋谷陽一が他の番組で手塚治虫をゲストに迎えてインタビューしていたんです。その話が、本で読む手塚治虫のどの話よりも格段に面白かったんです。つまり、聞き手や解釈する側の人間が違うだけで、こんなにもべつのおもしろさを引き出すことができるんだ、と思ったわけです。
そうして大学の卒論では手塚治虫論を書きました。当時はまだ漫画評論があまり充実していなかったんです。評論雑誌は存在していたんですが、自分から見て深い議論はあまりされていなかった。たとえば当時の漫画史研究は、手塚治虫から始まるとする見方と、鳥獣戯画から始まるとする見方にわかれていたんです。
――鳥獣戯画って平安時代ですよね!?
そうです。おかしいですよね(笑)。あれが元祖日本の漫画だという歴史観もあるんです。冷静に考えて、鳥獣戯画からいまの漫画にはつながらないだろうと。師匠から弟子への技術の継承関係もなかったし、そもそも当時は漫画という概念が存在していなかった。
じゃあいまのようにコマと台詞と絵の三要素が構成する漫画が成立したのはいつかというと、明治時代の半ばなんですね。西洋の風刺漫画という文化が輸入されたんです。じゃあそこからの歴史を研究するべきじゃないかと思って修士課程から研究を始めました。
――最後に高校生へのメッセージをお願いします。
何かひとつ時間を忘れて没頭できることを見つけられるといいですね。高校生はもちろん、大学生もほとんどの人はまだ自分が何に没頭できるのか、自分は何が好きなのか、わかっていません。ですが就職活動するとき、あるいは大学院で研究するときに、自分が熱中できるものがないときついですよね。
たとえば少女漫画の『ちはやふる』が面白いのは、男女問わずかるたという競技に熱中しているからです。男性キャラクターも主人公級の活躍をしていますよね。描写に関しても、スポーツ漫画と同じようなスピード感のある描き方がされている。
そこから考えると、主人公とは何かということを考えさせられます。主人公は千早ですが、それ以外のキャラクターの出番も千早と同じぐらい多いですよね。それはコミックスを並べて表紙を見ればよくわかります。『ちはやふる』の表紙は毎巻表紙のキャラクターが変わるので、千早が表紙に出ないことも多い。そのぐらい他のキャラクターが重視されている。
神話などを研究する物語論では、主人公というのは世界から旅に出て、成長し、帰還する存在であると定義されています。つまり世界を越境する存在ですよね。では『ちはやふる』で世界を越境する存在とは何かと考えると、それは夢だった全国大会に出られるようになるとかが、それに当てはまるかなと。
でもそうすると、それができているのは千早だけじゃないわけで、太一や新、その他のキャラクターたちも主人公の資格があることになる。少なくとも『ちはやふる』においてはこういう観点からも主人公が一人じゃないってことが見えてくる。
このように自分が少しでも興味のあるものから考え始めると、意外と熱中するかもしれませんね。僕のように漫画を好きで読んでいたらそれが仕事になるというような、ありえないようなことも世の中にはありますから、好きなことを突き詰めていってほしいです。
高校生におすすめの3冊
手塚治虫の冒険―戦後マンガの神々 (小学館文庫)著者/訳者:夏目 房之介
出版社:小学館( 1998-06 )
定価:
文庫 ( 414 ページ )
ISBN-10 : 4094025219
ISBN-13 : 9784094025217
手塚以前に関しては修正が必要なんですが、手塚以後の漫画史を勉強するのにいいですね。まずはここから始めてみましょう。
教養としての〈まんが・アニメ〉 講談社現代新書著者/訳者:大塚 英志 ササキバラ ゴウ
出版社:講談社( 2001-05 )
定価:
新書 ( 265 ページ )
ISBN-10 : 4061495534
ISBN-13 : 9784061495531
大塚英志さんとササキバラ・ゴウさんの共著です。大塚さんは漫画史、ササキバラさんはアニメ史を、それぞれ代表的な作家を挙げて論じていて読みやすいです。
マンガの居場所著者/訳者:夏目 房之介 宮本 大人 鈴賀 れに 瓜生 吉則 ヤマダトモコ
出版社:NTT出版( 2003-04-30 )
定価:
Amazon価格:¥ 1,728
単行本 ( 286 ページ )
ISBN-10 : 4757150393
ISBN-13 : 9784757150393
僕を含めた5人の評論家が毎日新聞に交代で連載していたコラム集です。新刊レビューもあれば、そのときその人が論じたい話題を取り上げた回もあります。ひとつひとつはとても短い文章なので、適当に開いたページを読むのでも面白いと思います。
画像を見る 宮本大人(みやもと・ひろひと)
漫画史・表象文化論
1970年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程単位取得退学。明治大学国際日本学部准教授。専門は漫画史・表象文化論。共著に『マンガの居場所』(NTT出版、2003年)、編著に『江口寿史 KING OF POP side B』(青土社、2016年)などがある。



