- 2017年02月10日 10:05
社会保障改革と言ったって経済成長を望めない中で、弱者救済や富の再分配は難しいと言わざるをえない―「賢人論。」第31回(後編)安田洋祐氏
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前編、中編と、主にミクロ経済学の観点から話を伺ってきた。経済政策などの「マクロ経済学」は安田氏の専門外ではあるが、現代では経済成長への否定的な見方があったり、指標をGDPに置くことに懐疑的なスタンスを取る経済学者も少なくなかったりする。そんな世の中の流れを、安田氏はどのような思いで見ているのか。率直に語ってもらった。
取材・文/猪俣ゆみ子(編集部) 撮影/鈴木智博
GDPが成長しない世界での“格差解消”は今以上に難しくなっていく
みんなの介護 後編では、日本の経済政策について伺わせてください。経済政策や経済成長に関してはさまざまなご意見があるかと思いますが、先生ご自身はどのように考えますか?
安田 まず、経済成長が完全に止まってしまう、特に一人あたりのGDPの成長が止まるというのは、異常事態だと思います。もちろん、歴史を紐解くと、産業革命以前というのはむしろ成長しないことが当たり前でした。しかし産業革命以降は、文字通りのゼロ成長や一人あたりのGDPが下がっていく、ということはなかったのです。
なぜこれが異常なのか、理由は単純です。全く進歩してなくても実現してしまうのがゼロ成長の世界なんです。例えば先輩社員が今までやっていた仕事とまったく同じことをやっても、一人あたりで見るとゼロ成長は達成できてしまう。でも、現実には、研究開発によって技術も進みますし、試行錯誤の結果として何か新しいノウハウが蓄積されれば、プロセスが改善するわけじゃないですか。放っておいても、生産性って少しは上がるものなんですよ。
成長が一切起こらないというゼロ成長の世界というのは、経済だけでなくさまざまな意味で社会が停滞してしまっている、異常な事態なんだと思います。
みんなの介護 日本が“人口減少社会”を迎えた今なお、経済成長するべき、と言った場合「それは無理だ」という声も聞こえてきそうですが…。
安田 さきほどは一人あたりの経済成長についてお話しましたが、国全体のGDPに関しては確かに減る可能性はあります。人口がどんどん減っているというのは、労働者の数も減っていることを意味しますよね。一人ひとりがどれだけ頑張って、例えば1.5倍の生産性で働いたとしても、働く人が半分になれば、トータルで見た生産性は減ってしまいます。
そういう意味で、急激に労働人口が減っていくような社会であれば、GDP自体がゼロ成長というのはある意味仕方のないことかもしれませんが…。
みんなの介護 でも、一人あたりのGDPが減っていくようになると国全体としては危機であるということですね。
安田 そう思います。GDPの話に関して付け加えると、「GDPでは人々の幸福を適切にはかることはできない」「そもそもどうしてGDPに注目する必要があるのか」「我々は経済的な指標にとらわれすぎではないか」といった批判はよく耳にします。どれも一理あるとは思うんです。現に、経済学者の間でもGDPの限界を指摘している人は少なくありません。ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ・米コロンビア大学教授たちが中心になって新しい幸福度に関する指標を作ったように、いろいろな試みがあるのは事実です。
そういう事情はありつつも、GDPという指標で測った経済成長に関しては諦めるべきではない、むしろ積極的に追求すべきターゲットだと、ぼくは考えています。
少子高齢化で人口が減っていく中で、「暮らしぶりを豊かにすればいい」とか「これからは再分配の時代なので格差を減らしていこう」とか、「成長はよろしくないから、格差解消に注力するべき」とおっしゃる方は少なくありません。この議論の一番の問題点は、そういった意見をおっしゃっている方たちが目指している“格差解消”というゴールが、国全体のパイが大きくならない、つまりGDPが成長しない世界では、今以上に難しくなってしまうということです。

政治的に再分配を進めて、格差を解消して、より暮らしの質を高めていくには、最低限の経済成長がなければ厳しい
安田 “格差を解消すべきだ”と言うのは簡単ですが、性善説に従うような、国のことや恵まれない人のことを考えて行動する人ばかりではないんです。個人の損得勘定というのは、本人が思っている以上に、意思決定を大きく左右しているからです。
例えば、「格差は良くない」と主張している人に、じゃあ「いくら寄付しましたか?」と尋ねても、ほとんど「寄付はしていない」という答えが返ってくるんじゃないでしょうか。
みんなの介護 特に、日本においてはその傾向が強いでしょうね。
安田 寄付に関する慣習や制度の影響もあって、かなり稼ぎがあっても、実際に寄付している人の割合は多くありません。こう言ってしまうとドライに聞こえるかもしれませんが、要は自分事なんですよね。
経済が全体として成長していて、個人の給料も毎年少しずつ上がっていくような状況ですら、再分配や恵まれない人への寄付ができていないというのに、ゼロ成長のもとで格差を解消することなどできるのでしょうか。ゼロ成長になると、国全体は伸びないわけです。非常にざっくり言うと、給料が増える人と減る人が半々になる。平均では変わらなくても、お給料が減っていく、つまり経済的に余裕がない人が半数を占めるような中で、再分配がうまくできるかということなんですよね。
全体が伸びていれば、その中から税金を払ったり、人によっては積極的に寄付をしたり、ということにも抵抗感が出にくいかもしれませんが、全体が減りだしたらどうでしょうか…。
みんなの介護 しかも今後は、AIによって一部の仕事が奪われてしまうとも言われています。
安田 そうですね。自分の仕事がいつまで安定しているかわからないような先行きが不透明な時代に、再分配できますか?ということなんですよね。“経済成長を目指す時代は終わった”とか、“これからは再分配だ、量ではなく暮らしの質を豊かに”とか言っている人たちは、そこの問題を甘く見ているように感じます。
社会保障ひとつ取ってみてもなかなか改革が進まない中で、さらに弱者を救済するようなことが政治的にできるのか、個人的には大いに疑問です。政治的に再分配を進めて、格差を解消して、国民の暮らしの質をより高めていくには、最低限の経済成長がなければ厳しいと思うんですね。だから、成長と再分配というのは矛盾するものではなくて、むしろ政治的に再分配を進めるために成長こそが鍵を握っていると言えるのではないでしょうか。少なくとも、国としては経済成長を諦めるようなことをアナウンスすべきではないと思います。
とは言っても、もちろん個々の家計は別ですよ。生き方だって人それぞれなので、お給料や金銭的な資産だけを重視する必要はありません。これからはむしろ、人と人とのコネクションやノウハウといった無形資産が重要になるとおっしゃっている方もいます。個人としては、お金や成長にとらわれる必要はまったくありません。そうした、個人の嗜好としての脱成長や、暮らしの質の追求は大いに結構なわけです。ただ、国全体の舵取りを考えた時には、GDPによる経済成長を諦めるような方向転換をせよ、とは言うべきではないと思います。この意味で、安倍政権の舵取りは、方向性としては正しいように感じます。



