記事

Vol.303 放射能トラウマ

亀田総合病院 小松秀樹
2011年10月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

朝日新聞記事


2011年10月25日付けの朝日新聞朝刊は、南相馬の小中学生の約半数から少量のセシウムが検出されたと報じました。
527人を調べて、199人から体重1キロあたり10ベクレル未満、65人から同10〜20ベクレル未満、3人から同20〜30ベクレル未満、1人から同30〜35ベクレル未満のセシウム137を検出した。

京都大原子炉実験所の今中哲司助教は「人体には1キロあたり50〜60ベクレルのカリウム40という放射能が自然にある。その変動の範囲の10や20なら、神経質になっても仕方がないだろう。30ベクレルあったら、少し気になるので減らしたほうがいい」と話している。

坪倉正治医師


南相馬市は、原発事故によって、警戒区域、屋内退避区域(後の緊急時避難準備区域)、計画的避難区域、避難指示のない区域に分断されました。東大医科研の坪倉正治医師は、4月以後、南相馬、相馬で、診療に加えて、ホールボディカウンターによる内部被ばくの検査、健診、健康相談、除染に携わっています。そして何より、地域の状況を科学的な形で世界に発信すべく、努力を重ねています。

科学的というのは、調査方法や調査対象を正確に示し、調査結果を体系的に表現し、さらに、結果が示すところの範囲を議論することです。これは、この地域の原発事故に対する対応策の基礎資料となります。定性的な議論は、感情論になり、別の被害をもたらします。被ばくがあったかどうかが問題なのではなく、量が問題なのです。

私が、友人から送られてきた情報を検討したり、ネット上で検索したりした限りでは、慢性被ばくによる大きな実被害の報告は、ほとんどありません。二世、三世に影響がでたという証拠はこれまで示されていないはずです。
慢性被ばくで、これまで報告された中で最大の被害は、チェルノブイリの小児の甲状腺がんです。放射性ヨウ素が原因だとされています。

10月12日、亀田総合病院で坪倉医師の講演を聴く機会がありました。坪倉医師は、環境中の放射線量と内部被ばくの測定結果から、被ばくによる健康障害はほんど起きないのではないかと予想しています。今後も継続的調査が必要だとしていますが、データによっては、予想を修正することもあります。

南相馬市立病院の及川友好副院長や坪倉医師たちによる内部被ばくの調査で、チェルノブイリの住民に比べて、福島の住民の内部被ばくが圧倒的に少ないことが分かりつつあります。放射性ヨウ素は半減期が短く、坪倉医師によると、南相馬でホールボディカウンターによる内部被ばく調査が始まった時点で、すでに観察できなくなっていました。

チェルノブイリでは、食糧不足、流通体制の不備などのため、食糧は自給自足でした。このため、事故後も、汚染地域で生産された食物を食べざるを得ませんでした。これによって、内部被ばくが継続した可能性があります。日本では、食品の検査と、出荷制限が比較的厳格に実施されています。放射性同位元素の体内への取り込みは、事故後の一時期に集中したと思われていますが、継続的調査が必要です。

データとして、チェルノブイリと福島の違いがきちんと検出できれば、状況を落ち着かせるのに役立ちます。
坪倉医師は4月から南相馬と相馬で活動していますが、9月段階で、本人には、内部被ばくはありません。現状では、南相馬市の原町区で生活しても、内部被ばくは生じません。

今回の原発事故による被ばくでがんが増えるとしても、ごくわずかで、実感できるような数ではないはずです。福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一氏が、年間100ミリシーベルトまで大丈夫だ、安心だと講演で語りました。山下氏の発言はおおむね正しいのだろうと思います。ただし、壮大な調査をしてやっと検出できる程度のごくわずかながんの増加はあるかもしれません。

福島の原発事故で、慢性被ばくによる明らかな被害は現在のところ認められていません。しかし、避難などによる生活の変化や、被災後の報道を含めた社会からの影響は、はるかに深刻な健康障害をもたらしています。

坪倉医師は、避難生活での偏った食事、運動不足、薬剤不足で、高齢者の多くに、健康被害が生じたと話していました。実際に、坪倉医師の調査では、避難によって、特別養護老人ホームの要介護者の単位日数当たりの死亡率が4倍に上昇したことが分かっています。

ちなみに、放射線量は、2011年10月、南相馬市立総合病院の玄関の外で、毎時0.2から0.3マイクロシーベルトです。24時間屋外にいても、被ばく量は年間1.7から、2.6ミリシーベルトです。自然界にはもともと放射線があり、日本は年間1ミリシーベルト程度です。

世界平均は年間2.4ミリシーベルトです。現状で、とるべき態度は、「過去の慢性被ばくのデータからは、大きな実被害は予想されない。しかし、予想外のものもあるかもしれないので、厳重に観察していきましょう」というところでしょう。

放射能トラウマ


坪倉医師は、健診や健康相談で、一人当たり30分の時間をかけて、生活の状況や心配事を丁寧に聴いています。これまで大勢から話を聴いて、原発事故による最大の被害は、子供の放射能トラウマだと確信するようになったそうです。多くは、大人の放射能トラウマによる二次的放射能トラウマだそうです。

年齢が低いほどトラウマの程度が強い印象があるとのことです。女子高校生が将来子供を産めないと話しているということまで伝わってきます。さらに、鬱状態になった大人がつらく当たって、子供に身体症状を伴うような深刻な影響が生じる事例が目に付くそうです。坪倉医師は、マスメディアの報道が、この地域に、放射能汚染そのものを超える大きな害をもたらしていると感じています。

医師でもある立谷秀清相馬市長も、子供の放射能トラウマが、地域の最大の問題だと考えています。放置すれば、子供たちが、社会に上手に適応できなくなるかもしれません。子供の教育に差し障りが生じるかもしれません。教育に差し障りが生じれば、一生、ハンディを背負うことになります。結果として、子供たちと地域社会の将来を奪うことになりかねません。科学的調査とそれに基づく対応策が求められます。それも、壮大な調査ではなく、調査目的を限定して、結果を早く出す必要があります。慢性被ばくより、はるかに深刻な被害が生じうるので、素早く対応しなければならないからです。

除染


除染の必要性が叫ばれていますが、除染について、経験のある専門家がこれまでいたわけではありません。表土を削る、草を刈る、堆積した枯れ葉を片づける、側溝の泥を片付けるといった対策を実施します。その前後で線量を計測し、作業の除染効果を確かめます。このような作業を繰り返しつつ、ノウハウが蓄積されてきたそうです。

南相馬市原町のよつば保育園の除染では800回線量を測定しました。(「よつば保育園の除染結果報告」 http://medg.jp/mt/2011/09/vol269.html#more )線量は一様ではなく、ちょっとした水たまりや、側溝などに高い線量のところがあります。坪倉医師は、完璧な除染が不可能なこと、現実的には日常生活の場を多少除染する程度しかできないこと、また、南相馬市の人が住んでいる地域では、それで十分であろうことを説明してくれました。

坪倉医師は、妊婦のいる家を除染し、「南側庭面の表土を5㎝除去し、庭の端に集め表面を土で覆った」とメーリングリストで知らせてくれました。この程度が、人の住んでいる地域の現実的な除染です。

原発に隣接した高度汚染地域で除染が可能とは思えません。少し離れた飯館村のような汚染の強めの地域での除染をどこまで実施するのかは、難しい問題だと思います。樹木と草を根こそぎ取り除き、山や河川敷を含めて表土をどけると、大量の汚染ごみが生じます。

文系の友人は、今後の研究に期待すると言っていましたが、私は、タイムマシーンを作ろうとするのと同じで、研究してどうかなるものではないと思いました。

東大の児玉龍彦教授が、国会で激しい演説を行い、注目されました。私は、児玉氏の言動には無理があると感じています。

「東大の27のいろんなセンターを動員して現在南相馬の支援を行っていますが、多くの施設はセシウムの使用権限など得ておりません。車で運搬するのも違反です。しかしながら、お母さんや先生方に高線量の物を渡してくる訳にもいきませんから、今の東大の除染ではすべてのものをドラム缶に詰めて東京に持って帰ってきております。受け入れも法律違反。全て法律違反です。」

東京に持ち込むことは、その後の土の処理に必要な政治コストを考えると、正気の沙汰ではありません。この延長上に問題の解決はありません。除染は他に移すことであって、なくすことができるわけではありません。

生活していく上でどの程度被ばくが生じるのか、どの程度の被害がでるのか、原発事故で汚染ごみ総量がどの程度になるのか、保管場所が確保できるのか、そもそも除染が可能なのか。さまざまな事を考える必要があります。税金が一部の企業に垂れ流しになるだけで、メリットがない可能性もあります。

病院倒産による健康リスク


生活上のリスクは、放射能以外にも、様々なところにあります。例えば、南相馬のすべての民間病院は、原発事故に伴い、大幅な減収になりました。しかし、減収分を補償されていないので、倒産する可能性が高いと考えられています。

南相馬市立総合病院も、医師や看護師が離職したため、震災前に比べて、稼働病床数が激減しました。もともと人口は、7万1千人でしたが、原発事故後、1万人まで減少しました。徐々に住民が戻り、8月段階で4万人になっています。入院診療サービスの提供が住民数に比して、圧倒的に足りていません。原町区の病床数は、震災前、4民間病院と市立病院会わせて816床だったものが、8月1日段階で使われているのは、96床(12%)だけでした。10月25日現在、原町区5病院中、2病院は病棟を閉鎖したままです。小高区にあった2病院は警戒区域にあって立ち入れないため、閉鎖されました。鹿島区には、もともと1病院しかありません。

東京電力は、民間病院に対し、粗利益の減少分を補償するとしています。しかし、医療法人は非営利法人です。利益を分配できないので、そもそも利益を大きくしようとしておりません。何をもって被害とするのか、難しいところがあります。誰を被害者とするのかも、簡単ではありません。私自身は、最大の被害者は住民だと思っています。損害を償うためには、住民のニーズを満たす医療提供体制を構築し、当面維持することです。実際に、原発事故後の南相馬市立総合病院の医業費用は、医業収益をはるかに上回るはずです。その分、総務庁・南相馬市が、補てんしているはずです。同じことを、民間病院に対しても行うべきです。

病院の減収分と、巷間伝えられている除染の費用は、けた違いに後者が大きいのです。少なくとも、現時点では、大規模な除染費用のごくわずかな部分を、病院につぎ込むだけで、住民の健康に関するリスクを減少させることができます。現状を見ると、期限付きで、資格を持った医療従事者の給与を50%上乗せするぐらいのことをしないと、必要な医療が提供できるようになりません。放射能ということばに惑わされずに、実在するリスクを冷静に比較して対応しなければなりません

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