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「飛虎将軍」と呼ばれる日本人

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◆飛虎将軍を慕う人々の「心」


では、人々はなぜ杉浦氏を慕うのだろうか。これには複数の要因が考えられる。まず、台湾の人々は物故者をいたわる気持ち、中でも戦没者を憐れむ気持ちが強い。たとえ他人であっても無念な死を遂げた者をいたわる気持ちは日本人が考える以上に強いと言っていい。同時に、日本人に対しては、日本統治時代という半世紀、環境の違いこそあれ、戦争という悲劇の下で苦楽をともにした仲間意識のようなものもある。さらに、年長者や先人・先輩を敬う心が強いという一面も大きく絡んでいるだろう。

さまざまな御利益を飛虎将軍廟が人々に与えてきたことも大きい。願い事をかなえてくれることや平安を保つこと以外にも、遺失物の方角を教えてくれたり、生きる指針を指示してくれたりする。また、最近は受験生が合格祈願に訪れ、受験票のコピーを置いていったりすることも多いという。このようにして、飛虎将軍と地元住民の間には親密な関係が日々、培われている。

また、戦後になって培われた対日感情というものも考慮する必要がある。戦後に統治者となった中国(中華民国)からの移住者は外省人と呼ばれ、自らは特権階級に収まりつつ、言論統制を敷いて人々を弾圧してきた。そういった中、隷属を強いられた台湾の人々は、冷静で、かつ客観的な判断において統治者を評価するようになった。日本に対しても、「親日感情」などと言った単純なものではなく、じっくりとその本質を見据えた上での評価であると考えれば、より深く台湾人の思いに触れられるのではないだろうか。

飛虎将軍廟では朝夕の2回、たばこを神像に供える。これは当時、たばこが唯一の慰みとなっていたことにちなんでいるのは言うまでもあるまい。当時、20歳だった杉浦氏も、戦時下の苦境の中、たばこを愛していたのだろうという人々の思いやりに胸を打たれる。

そして、朝には「君が代」、夕方には「海ゆかば」を祝詞として流す。この儀式は1993年から毎日欠かさずに行なわれており、筆者が初めてここを訪れた際も、直立不動で神像を見つめる信徒の姿が印象的だった。もはや、飛虎将軍はこの地に根付き、溶け込んだ存在であるという事実を思い知らされた。

さらに、飛虎将軍廟は地域の守護神としてだけでなく、地域文化の一部を担う存在にもなっている。近隣の安慶国民小学(小学校)では児童たちに飛虎将軍のエピソードを郷土史として教えており、学芸会では児童たちが杉浦氏の人生を演じている。このことについて、前出の呉進池会長は「飛虎将軍の心に触れ、子供たちにも他人を思いやる心を持ってほしい」と語っていた。

若くして絶命した杉浦氏は日本人や台湾人という区分を超越し、台湾という土地の上で暮らした一人の人間として扱われている。そして、人々の厚い信頼を得た存在になっているのである。

◆里帰りを果たした守護神


2016年9月21日、飛虎将軍こと杉浦氏の神像は26名の信徒とともに、生まれ故郷である茨城県水戸市に里帰りを果たした。水戸市在住の藤田和久氏の尽力によって計画が進められ、実現に至った。飛行機については誰もが神像が荷物として扱われることを危惧したというが、幸い、中華航空(チャイナエアライン)が席の手配に応じた。  

22日には茨城県護国神社で慰霊の儀式が行なわれた。この日はあいにくの雨模様だったが、儀式が始まると、途端に小降りになった。厳かな雰囲気の中で儀式は進められ、滞りなく終わった。

「 その後、神像は一行と共に市内へ移動。午後には有志が担ぐみこしに載せられて、近辺を練り歩いた。杉浦氏の生家のあった場所には茨城県信用組合農林水産部のビルが建っているが、ここには杉浦氏を紹介するパネルが設置された。

翌日は杉浦氏の出身校である水戸市五軒小学校と三の丸小学校を訪問し、児童と交流。さらに隣の那珂(なか)市も訪ねた。

里帰りを済ませた後は、静岡県の三島に寄って富士山を眺め、京都へ向かった。飛虎将軍廟の信徒であり、台南市で日升大飯店というホテルを経営する郭秋燕さんは「里帰りはもちろんですが、富士山だけはどうしても見せてあげたかった」と語る。このひと言にも信徒の思い、そして飛虎将軍を慕う気持ちが表れているように思えてならない。

日本滞在の最終日、一行は住吉大社の参拝を済ませた後、関西国際空港から帰途に就いた。郭秋燕さんは「祖国にとどまりたい気持ちはよくわかります。しかし、飛虎将軍には台南の人々も守ってもらわなければならないですから」と笑顔を見せた。

一週間にわたる飛虎将軍の日本滞在はここに終わった。

最後に小さなエピソードを記しておきたい。水戸での行程を終えた一行は特急「ひたち」6号に乗車し、東京へ向かっていた。誰もがそれなりに疲れを感じていたはずだが、皆、晴れやかな表情だったという。

列車は軽やかな走りを見せ、土浦駅を出発。荒川沖駅を通過する直前、列車は急停車したという。間もなくして走り出したが、緊急停車の理由には触れられず、なぜ停止信号が出たのかは知るよしもなかった。

この場所は杉浦氏が訓練を受けた旧霞ヶ浦海軍航空隊予科練習部のすぐ近くであった。まさに飛虎将軍ゆかりの地である。まさか飛虎将軍のために列車が緊急停車したなどとは考えられないが、郭秋燕さんは「飛虎将軍が思い出の地に1秒でも長く滞在できてよかった」と興奮気味にその瞬間を振り返る。その間、わずか1分30秒。もしかすると、これは飛虎将軍と一行の思いが起こした「奇跡」だったのかもしれない。

台湾の地に根付き、人々に慕われる一人の日本人。半世紀にわたって紡がれてきた日本と台湾の絆はこれからも多くの人々を引きつけていくに違いない。

片倉 佳史  KATAKURA Yoshifumi

台湾在住作家。1969年神奈川県生まれ。

早稲田大学教育学部在学中に初めて台湾を旅行する。大学卒業後は福武書店(現ベネッセ)に就職。1997年より本格的に台湾で生活。以来、台湾の文化や日本との関わりについての執筆や写真撮影を続けている。分野は、地理、歴史、言語、交通、温泉、トレンドなど多岐にわたるが、特に日本時代の遺構や鉄道への造詣が深い。主な著書に、『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895―1945』、『台湾に生きている「日本」』(祥伝社)、『台湾に残る日本鉄道遺産―今も息づく日本統治時代の遺構』(交通新聞社)等。オフィシャルサイト:台湾特捜百貨店。
https://gyazo.com/fdb49f6f6b1060f149b01636bc12ab9a

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