- 2017年02月03日 21:00
中流は下流を対立化させタブー視する
■懲役5年
少し前に僕は当欄で、行政の生活保護担当はだいたい4年であり、それは内々では「懲役4年」とも言われているらしいと書いた(生活保護ワーカーは「懲役4年」か)。
生活保護担当のワーカーたちを僕は何人か知っているが、実際は市民サービスに奔走している。けれども本音では、「あと何年か我慢すれば別部署に移ることができる」と願っているいる人も珍しくないだろう。
それほど、生活保護担当は過酷だ。
上記の記事にも書いたとおり、生保窓口は「懲役4年」とは言われながらも、別のこの記事では5年らしい(精神的な疲弊も大きい生活保護担当の職員 異動を希望する人も多数)。
確かに、僕が不登校・ひきこもり支援で日常的に出入りする大阪市某区役所の某窓口でもよく怒鳴り声が聞こえる。生活保護受給者にとっては必死の攻防戦だからつい怒鳴るのだろうが、怒鳴られ慣れていない中流層出身窓口役人たちは、そりゃあ鬱になるだろう。
そう、階層社会化がはっきりしてきたここ数年の日本において、数としては少ないが「もっている」上流階層は別格として、その他2つのメジャー階層(おそらく5,000万人ずついると思われる)である中流と下流の区別と宥和を考えることは重要な案件になってきた。
だが、その2つの階層は、マスコミレベルではまだおおっぴらに語られてはおらず、また、そうした階層格差の議論に我々の社会が慣れていないため、妙な現象が起きているように僕に思える。
■「対立」と「タブー」
それは、「対立」と「タブー」という2つの現象だ。
対立は、役所の生活保護担当の窓口近くにいればすぐにわかる。僕は、行政の委託事業を担っている関係上、日常的に生活保護担当のカウンターの近くを通り過ぎるが、上にも書いたようにそこではよく怒鳴り声が聞こえる。
その怒鳴り内容までは聞き取ってはいないのだが、雰囲気的に生活保護受給金をゲットするために必死にアピールしているということはよくわかる。そのあと、役所側の冷静なボソボソ声が続き、再び受給者の熱い怒鳴り声が鳴り響く。
ここには生活保護のお金をゲットしたいための必死の訴えがあるが、まあ、基本的には「対立」している。行政は生活困窮する人々にとっては「対岸」であり、決して仲間になることはない。とはいっても、そうした対岸のサービスに乗らないことには日常が維持できない。
そんな人々が、階層社会になってしまった日本においては、数百万人規模で存在する。
それ自体は善悪を超えた、倫理を超えた「事実」として存在する。階層社会においては、時々役所の窓口で怒鳴る人が現れるのだ。
■偏差値40の隠蔽
階層社会においては、もうひとつ、妙に「遠慮」する人々がいる。それはたとえば、「偏差値40」という言葉に対して過剰反応する大学教員的な人々だ。
その大学教員は有名人だからここで名前を書いてもいいのだけれども、そうした名称の具体化が議論の中身を曖昧にさせるので書かないことにする。具体的な有名大学教員が「偏差値40」に遠慮する事象を云々してもあまり意味はない。ポイントは、偏差値とか40とかに「遠慮」や「配慮」してしまうその心理なのだ。
教育困難校や、偏差値40などは、事実として存在する。けれども、「それを言っちゃあダメだろう」的物言いは、高等教育の中では普通に存在する。それは人権的配慮なのだろうが、事実として偏差値40という基準はこの社会にはある。
それは差別云々というよりは(そしてそれを防ぐためのポリティカルコネクトネスというよりは)、人々の社会的配置として必要な意念なのかもしれない。
むしろ、偏差値に上下はなく、社会の中で人々を布置していく時にどうしても必要な基準であり、偏差値40にも美徳はある。
だから、偏差値40大学とその学生を活かす(布置する)ために、どうしても必要な言葉はある。それが「40」であり「偏差値」なのだが、大学知識人はその表現が失礼あるいは差別と捉えてしまう人々がいる。
その遠慮は、結局は偏差値40の「隠蔽」となる。偏差値40は「下流層」の言い換えでもあるから(その必要十分条件ではないだろうが)、下流層の隠蔽につながる。
つまりは、下流層への遠慮が、下流層を隠す、言い換えると「隠蔽」することになる。
■中流層以上の「正義」が、下流層を憎んだりタブー視する
また、下流層は、表現方法が狭くて紋切り型でもある。こうした下流層は、ピケティの分類によると日本では5,000万人規模存在する。
が、上に書いたように、下流層は皮肉にも憎しみの対象になったりタブーの対象になるようだ。下流層は役所の窓口で怒鳴り(憎しみ)、某大学教員のようにその存在をタブー視させ潜在化させる。大学教員はたぶん自らの倫理基準から(偏差値40に「失礼」だと思い)タブー視している。
大学教員は当然中流階層以上だ。
つまり、中流層以上の「正義」が、多数派の下流層を憎んだりタブー視する。
※Yahoo!ニュースからの転載