- 2017年02月02日 14:00
ポピュリズムを嗤ってはいけない――ポピュリズム化する時代の民主主義の希望について考える――
2/2さらに、見えてくるのが、ポピュリズムという形で本来の姿を現す民主主義の危うさである。すでに指摘したとおり、ポピュリストは自分こそ「普通の人びと」の真の代表であることを主張しつつ、その一方で、「普通の人びと」とは異なる集団に対する敵意を扇動することで自らの勢力の拡大を図る。ここには、剥き出しの民主主義の危うさを見て取ることができる。民主主義のそのような危うさとは何か。人民主権についての学理上の面倒な話はさておき、単純化して言えば、こういうことだ。主権者である「人民」は、理念的にはすべての人びとを包括する普遍的概念であるが、現実には、ある政治社会のすべての人びとから構成されるのではなく、その社会の特定の人びと、せいぜい、多数者から構成されているに過ぎない――この事態は、複雑化した現代社会においてより顕著だ――。このため、「人民の人民による人民のための政治」としての民主主義は、現実には、「多数者の多数者による多数者のための政治」となる。ここから、剥き出しの民主主義の危うさとして、「人民」から排除される少数者の抑圧や迫害の可能性が出てくるのである。ポピュリズムが国内あるいは国家間に内在する敵意を扇動することを自らの養分とする以上、民主主義のこの危うさを現実のものにする可能性が大いにある。
このようにポピュリズムを民主主義から切り離して蔑むのではなく、それに真剣に向き合うなら、私たちが今、目の当たりにしている世界の激震は民主主義それ自体に内在する赤裸々な力によるものであることが分かる。とするなら、この恐るべき力は、世界をより民主的にすることで民主主義の勝利を導くのか、それとも、憎悪によって世界を分断することで自らを崩壊させてしまうのか、これが問題だ。つまり、ポピュリズムに希望はあるのか、これが問われねばならい。
ポピュリズムに希望はあるのか?
この問いに対して答えるには、アメリカやヨーロッパにおけるポピュリズム化した民主主義の動向をしばらく冷静に観察せねばならない。ただ、現時点で指摘できることがあるとすれば、それは短期的な情勢に対して楽観的な予測をすることは難しいということだ。敵意を扇動するポピュリストの戦術は、社会を修復不可能なまでに分断し、暴力を伴う苛烈な対立を数多く生み出す可能性は大いにある。また、少数派の権利が理不尽に蹂躙されることも起こり得るだろう。これらは、近代の民主主義がその発展の過程において築き上げてきた社会の多様性や個人の尊重といった規範的価値を否定することである。したがって、民主主義の危機を意味すると言えよう。
しかしその一方で、長期的な視点に立つなら、ポピュリズムに希望がまったく無いかと言えば、必ずしもそうではない。先に指摘したとおり、ポピュリズムは民主主義の本来的な姿を喚起させることで、現行の民主主義の制度のエリート主義的に偏向した歪みを是正する機会とその方向性を与えてくれている。有権者の参加の質の向上と量の拡大をとおして、政治により多くの民主的正統性を付与できる制度を再構想する好機である。例えば、イギリスのEU離脱の原因の一つがEUの民主主義の赤字――民主的な決定手続きの不十分さとそこから生じる民主的正統性の欠如――にあったが、EUは自らの解体を防ごうとするなら、この赤字の清算に取り組まざるを得ないであろう。要するに、ポピュリズムは民主的な社会を内部から崩壊させる毒にもなるが、民主主義の理想へと立ち返らせることでより民主的な制度の創造を促す薬にもなり得るのである。
また、ポピュリズムがもたらす好機というよりはポピュリズムそれ自体に希望があるかどうかを検討するとしよう。その場合、ポピュリズムには様々な形態があることを念頭に置いておく必要があるだろう。例えば、こんな類型化が可能だ。現在のアメリカやヨーロッパを席巻しているのは、人種や民族の排斥を掲げた右派的なポピュリズムである。他方で、伝統的には労働者階級の連帯を基盤にする左派的ポピュリズムもある。左派ポピュリズムについては、階級的対立が少なくとも表面的には見えにくくなっている現代にその可能性があるかどうか詳細な議論が必要だ。とはいえ、確かに、アメリカ大統領予備選でのサンダース現象は左派ポピュリズムと考えることができる。また、右派左派といった対立軸に対して、トランプ大統領のようなポピュリスト政治家が主導するような上からのポピュリズムと下からの草の根的なポピュリズムとを区別することもできる。このような類型化は、今後の民主主義のポピュリズム化の変遷を追う上で有益であろうし、どのようなタイプのポピュリズムが現代の民主主義の規範的価値と両立し得るのか、あるいは、さらに深める可能性があるのか検討する上で示唆的であるように思われる。
いずれにしても、ポピュリズムに希望があるとするなら、民主主義がポピュリズム化する現代の条件に真摯に向き合ったその後に初めて見出せるのではないだろうか。



