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「差別してしまう側の人」を踏みとどまらせるために――いつから同性愛は異常視されるようになったのか? / アメリカ文化史・兼子歩氏インタビュー

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「差別してしまう側の人」を踏みとどまらせるために

――今年8月、一橋大学のロースクールの学生が、自身が同性愛者であることを友人にばらされたことをきっかけに自殺した事件が報道されました。他人が人のプライベートな部分を暴露するというのは繊細な問題ですが、先生はどのようにお考えですか?

この事件に関しては現在裁判中ということもあり気軽なことは言えないため、まずは一般論からお話ししたいと思います。まず、「カムアウト」は自身の性的アイデンティティを公に知らせることですが、「アウティング」は、本人は隠しているのに、周囲が「彼はゲイだ」というように公に暴露してしまうことですね。つぎに、なぜ性的なアイデンティティを隠す人がいるのかということを考えなければなりません。

一般に、人がなんらかのかたちで本当の自分を隠す理由は2つあります。ひとつは、人には知られていない行為や考えが、不道徳であるとか異常であると見られている場合です。そしてもうひとつは、それが本来不道徳でも異常でもないのに、本当のアイデンティティが明らかになることで差別され迫害されるおそれがあるから、という場合です。いわれのない差別であるけれども、自由に安全に生きることができないので本当の自分を隠さざるを得ない、ということですよね。

今回の場合は後者です。自殺してしまった彼は、公に向けてカムアウトしたわけではなくて、恋愛感情を伝えるために友人にカムアウトすることになったということだそうです。つまり彼は、自分の恋愛感情を告白する際に性的アイデンティティも共にカムアウトしたということですよね。

今回の問題は、告白された側の友人がそれを周りにばらしてしまったところにあります。なぜばらしてしまうのか。なぜなら、それが隠されているからですね。そこには「隠されているものは不道徳で異常で逸脱しており、暴露するべきだ」という先入観が潜んでいる可能性があります。そうでなければ、わざわざ他人に暴露するという行為に意味はありません。

同性愛が単にいろいろな正当な性のあり方のひとつでしかないという見方ではなく、「正常」ではないという見方があるからこそ、暴露することに意味が出てしまうのです。そしてその暴露は、カムアウトした人を、同性愛は異常だとみなす差別のまなざしにさらし、差別の言動にさらすことを意味するんですね。もっともそうした暴露を共有する側には「自分が差別している」という意識がなく、隠された悪が暴露された瞬間に居合わせたかのような感覚があるのかもしれませんが。

――異性愛の場合、異性から告白された際に「返事を待ってほしい」と告げ、別の友達に「じつは○○から告白されたんだけど」と相談することがあると思うんです。しかしこれが同性愛だった場合、そのことについて別の友達に相談するのはまずい行為なのでしょうか?

とても難しい問題です。相談相手の友達が同性愛に差別的な感情を抱いていた場合、告白した人への差別のきっかけを増やしてしまうことになります。ですので相談する相手が友人である場合、その人が同性愛について誠実に考えてくれるのかどうかがポイントになってしまいます。つまり、告白した人を窮地に陥れてしまうおそれがあるかどうかを慎重に判断する必要があるわけです。

しかしだからといって誰にも相談できず、一人で抱え込むことができず、暴露に向かってしまうことは望ましいことではありません。そこで少しでも逡巡や躊躇が生まれるのであれば、カウンセラーなどの守秘義務のある人や、LGBT権利問題などに詳しい専門家のような人に相談するという選択はありだと思います。

――同性愛の人に告白された場合、その瞬間に告白された側には守秘義務が発生するのではないかという考えがあると思うんです。その時に、告白された側の戸惑いをうまく解消できるような相談相手がいるといいですよね。

よく考えてみれば、女性が男性から、男性が女性から告白されたとしても、それはプライバシーの領域のことですよね。異性愛者にとっても自分が告白したことを周囲の人にばらされるのは相当に傷つくことですから、ばらすのはよくないことだということは理解できるはずです。同性愛者からの告白に対してどうするかという場合、その延長線上に差別という問題がもう一枚絡んでいるというわけです。

そういう意味で考えると、何も同性愛者から告白された場合にのみ、極端な守秘義務が発生するというわけではないですよね? そこも、同性愛者だけを特別視するべきではないと考えてほしいです。ただプライバシーや尊厳という観点のみにおいて、同性愛者も異性愛者も同じように尊重すると考えるべきなんですね。そのうえで、同性愛者の場合には同性愛者への差別という社会問題があり、その中に相手がいるのだということを理解することが必要だということなのではないでしょうか。

――最後に高校生へのメッセージをお願いします。

私は高校生時代、いけてない高校生の典型でした。勉強はそれなりで飛び抜けていたわけではなかったし、運動もできず、ファッションも無頓着でした。つまり男性として男らしいわけではない、つまり支配的な男らしさの基準に照らして高い価値を持っているわけじゃないんだという鬱屈がありました。そのような自分を変えたいと思って、大学ではESSという英語サークルに入り、英語のディベートに明け暮れていました。

そうしていたら、授業をさぼったり予習復習も怠ったりして、なんと指導教員の授業で「C」評価をもらってしまいまして(笑)、結局まじめに勉強し始めたのは卒論を書く時になってからでした。それまでは歴史が面白い、と思っていただけでしたが、卒論を書く時に研究の面白さに気づきました。同じ人間のはずなのに、時代によってまったく違う価値観をもっている。それで、将来のことを考えずに大学院に入りました。

ジェンダー論を専門にし始めたのは、修士論文がきっかけです。100年ほど前のアメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトについて研究していたところ、奇妙なことに気づいたんです。「男らしい」「男らしく」といった言葉を彼は演説や著作のなかで、ものすごく多用していたんです。これはいわゆる「ジェンダー」というやつではないかと思い、そこでジェンダー論について調べていたところ、男らしさの概念も時代によって変わっているということが分かったんですね。

そのなかで、高校のころから抱いていた、自分が男らしいとされるところから離れているんじゃないかというコンプレックスについても徐々に分かってきたんですね。また、そのコンプレックスを自分に抱かせるのは、じつは社会の仕組みとか、ある時期につくられた文化であって、何か万古不変のものではないということも思ってきたんです。

そして無理につくられた男らしさの基準に自分を合わせようと追求することは、反転すれば女性に特定のあり方を強制することにも当然つながるわけですよね。それは多くの場合、女性を対等に見なかったり、女性の希望を否定したりすることを肯定することにもなります。

それに、基準に合わせようとしても合わせられないとき、埋め合わせに誰かの存在を否定するという行為に走ることも、よくあります。そう考えると、そのような考え方からは少しは自由になったほうが、自分にとっても他人にとってもよいことかもしれないな、という気持ちも芽生えてきますよね。

だから高校生のみなさんに言いたいのは、自分が悩み苦しんだりしているとき、それは自分の本質がおかしいからではなく、社会がそうさせているからかもしれないよ、ということ。その社会というのは万古不変のものでもないのだと。そして社会は人間がつくってきたものなのだから、少しずつでも変わりうる、変えられるものかもしれないよ、ということです。

さらに、そうしたことを気づかせてくれ、変わり方のヒントをもらえるのが学問なんだよ、と。学問はお金になるかならないか、より偏差値の高い学校に進学できるための手段というより(そういう側面があるのは現実ですが)、自分のことを考え直し、社会のことを考え直し、そうしてもっと自分が生きやすくなる。そして、みんなにとって生きやすい社会をつくる、そのための手がかりを追求するということなんです。政治学や経済学や法学はもちろんそうですが、歴史学も文学も人類学もジェンダー論も、みんなそうなんです。

高校生におすすめの3冊

ぼくはアメリカを学んだ (岩波ジュニア新書)
著者/訳者:鎌田 遵
出版社:岩波書店( 2007-01-19 )
定価:
Amazon価格:¥ 886
新書 ( 209 ページ )
ISBN-10 : 400500556X
ISBN-13 : 9784005005567

この本を読んだ人は、みんな衝撃を受けますね。この著者は高校を卒業してアメリカに渡り、貧しい先住民たちと一緒に暮らしたんです。そういった人々の側から、みんなが知っているアメリカとは全く違う側面を知ることができ、そしてそれが実はアメリカの本質をついているということも分かる、とても面白い本です。難しい学術書とは違い自伝のような形ですので、気軽に楽しめると思います。

同性愛と異性愛 (岩波新書)
著者/訳者:風間 孝 河口 和也
出版社:岩波書店( 2010-03-20 )
定価:
Amazon価格:¥ 842
新書 ( 240 ページ )
ISBN-10 : 4004312353
ISBN-13 : 9784004312352

そもそも同性愛とは何か、異性愛とは何かということを解きほぐしてくれる本です。セクシュアリティについての見方が変わる本ですので、異性愛者の人にもおすすめしたいです。

フェミニズムはみんなのもの―情熱の政治学 (ウイメンズブックス (2-1))
著者/訳者:ベル フックス
出版社:新水社( 2003-04 )
定価:
Amazon価格:¥ 1,728
単行本 ( 213 ページ )
ISBN-10 : 4883850501
ISBN-13 : 9784883850501

フェミニズムというとヒステリックに男を攻撃するようなイメージがありますが、そういった誤解を解く本です。タイトルが示唆的で、「みんな」のなかには男性も含まれるんですね。フェミニズムが解放するのは女性だけでなく、男性も含むという視点で書かれた名著です。

画像を見る 兼子歩(かねこ・あゆむ)
アメリカ社会文化史・ジェンダー論

明治大学政治経済学部専任講師。北海道大学大学院文学研究科博士後期課程単位習得退学。専門はアメリカ社会文化史・ジェンダー論・セクシュアリティ論。共著に『〈近代規範〉の社会史』(彩流社、2013年)、『アメリカ・ジェンダー史研究入門』(青木書店、2010年)、訳書に『南北戦争のなかの女と男』(岩波書店、2016年)などがある。

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