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- 2011年09月04日 09:11
財界にとっての法科大学院
法科大学院制度創設を提言した司法制度改革審議会では、財界からもメンバーが出ていました。東京電力(株)取締役副社長(当時)山本勝氏です。
もともと、今時の司法「改悪」は、日米財界からの新自由主義の立場からの「改悪」でしたが、その中核になるのは、弁護士人口の激増でした。
あくまで弁護士人口の激増です。法曹人口ではありません。
民事訴訟において、特許訴訟、税務訴訟等、財界にとって迅速に決着をつけなければならない問題についての迅速化を求め、そのための裁判所の体制の強化は求めてはいますが、それ以上のものではありません。
弁護士人口が激増すれば訴訟が増える、だから裁判所の容量も大きくする、というのではなく、訴訟の増加を抑えるというのが司法審の立場です。
司法審意見書では、
①年間3000人にまで司法試験合格者数を増やせば、裁判官、検察官への採用がなければ必然的に残りは弁護士ということになるが、裁判官、検察官の増員については、それぞれ最高裁、検察庁が述べた数字を付記するに止まっていること。
②ADRにより、民間への委譲を想定していること。
③何よりも弁護士費用敗訴者負担を導入しようとしたこと。
です。
③については、日弁連の反対運動により頓挫しましたが、これは司法審の思想を見事なまでに表していました。
訴訟等に関わる機会の多い財界であれば、そのリスクは計算に織り込むことができますが、庶民の場合にはそれが不可能です。その訴訟自体に人生を掛けることも少なくなく、また消費者事件などでは敗訴の可能性も十分にありうる中での訴訟提起ですから、敗訴になり相手方の弁護士費用の負担があるということになれば、訴訟提起に二の足を踏むのは当然のことです。
司法審意見書では、その逆の主旨のことが書かれていますが(敗訴者負担の方が訴訟に踏み切りやすい)、それが虚偽の根拠であることは十分に承知してのことです。
新自由主義の立場からは、大きな政府は求めていません。庶民の裁判のために手厚くするような裁判官の増員は、コストもかかることですから、そのような視点に立っていなかったことは、ある意味当然なのです。
弁護士会、弁護士の中には、「裁判官、検察官の増員も求めていくべきだ。」という主張がありますが、それ自体が明らかに誤りというわけではありませんが、司法審路線の批判という視点からは、はっきりとずれたものということになります。
ちなみに司法予算としては法律扶助の予算は増額になっています。これは司法「改悪」が新自由主義の立場から事前規制から事後「救済」に以降する際に、庶民が切り捨てられるのではないか、ということに対する手当としての「改悪」の側面です。
法律扶助の増額自体は、裁判を受ける権利(憲法32条)の具体化ですから、それ自体に問題があるわけではありませんが、このような手当としての視点を看過すると、今時の「改悪」があたかも庶民のための改革であるかのような幻想を抱き、この「改悪」全体を肯定的に評価してしまうことになり、要注意です。
(これを「改革」だと主張する勢力は、「改悪」ということをわかっていながら、あたかも庶民(「市民」という言葉を多用する。)のための改革だと主張するところが悪質なのです。)
さて、そのような司法「改悪」について、財界は、法科大学院制度をどのように見ているのでしょうか。
弁護士人口の激増が、財界の思い描いていたような国際化の要請に応えうるものであれば、法科大学院に注ぎ込む補助金などは「安い」ものです。これまで、各企業が養成していた人材を一括して法科大学院で養成してくれるのであれば、まさに「効率的」です。
小さな政府を志向する財界にとっても法科大学院制度はメリットがあるということになります。
しかし、現実は、どうでしょうか。一部、渉外事務所の中でお花が咲いてしまっている人達は別にしても(過去のブログ参照)、どうみても法科大学院制度がそのような役割を担っているとは言えない状況です。
もともと法科大学院制度の設立した目的は大きく分けで2つです。
①司法試験合格者数を激増させると質の担保が困難になるため、法科大学院制度により、質を担保する(後藤昭一橋大学教授の論考はこの視点です。過去のブログ)。
②経済の国際化の流れ中で、それを担う人材を育成する。
司法試験合格者数を激増させると、試験でのふるい分けが困難になりますので、その質の担保としての法科大学院制度は、その意味では「必然」でした。
②の根拠は、グローバル化の流れの中で、財界もそのような人材の育成であればということで期待したのでしょう。それ故に、小さいな政府を目指す新自由主義の立場であるにも関わらず、巨額の補助金の支出にゴーサインを出した、ということです。
しかし、実際には、①にもおぼつかない状況となっており、とても②を実現できるような状況にはありません。
現在、国では、「法曹の養成に関するフォーラム」が行われていますが、財界からのメンバーとして、萩原敏孝氏 株式会社小松製作所特別顧問が参加されていますが、萩原氏の発言は、現状に対する批判を適確に述べられています。
過去のブログ 法曹養成フォーラム第2回議事録
経済界において、これ以上に法科大学院制度に期待する向きはなく、また上記フォーラムとは別に総務省において、法曹人口問題ひいては法科大学院制度についての調査を行っていますが、法科大学院制度が壮大な無駄遣いという結論は出さざるを得なくなるでしょう。
法科大学院協会や日弁連の指導者たちが、「法科大学院制度こそが法曹養成の中核だ!」などとほざいてみても、現実の状況からは、法科大学院制度の内部崩壊は間近であるし(志望者の激減がその象徴)、財界側からも廃止の声が出てくるのも時間の問題でしょう。
もともと、今時の司法「改悪」は、日米財界からの新自由主義の立場からの「改悪」でしたが、その中核になるのは、弁護士人口の激増でした。
あくまで弁護士人口の激増です。法曹人口ではありません。
民事訴訟において、特許訴訟、税務訴訟等、財界にとって迅速に決着をつけなければならない問題についての迅速化を求め、そのための裁判所の体制の強化は求めてはいますが、それ以上のものではありません。
弁護士人口が激増すれば訴訟が増える、だから裁判所の容量も大きくする、というのではなく、訴訟の増加を抑えるというのが司法審の立場です。
司法審意見書では、
①年間3000人にまで司法試験合格者数を増やせば、裁判官、検察官への採用がなければ必然的に残りは弁護士ということになるが、裁判官、検察官の増員については、それぞれ最高裁、検察庁が述べた数字を付記するに止まっていること。
②ADRにより、民間への委譲を想定していること。
③何よりも弁護士費用敗訴者負担を導入しようとしたこと。
です。
③については、日弁連の反対運動により頓挫しましたが、これは司法審の思想を見事なまでに表していました。
訴訟等に関わる機会の多い財界であれば、そのリスクは計算に織り込むことができますが、庶民の場合にはそれが不可能です。その訴訟自体に人生を掛けることも少なくなく、また消費者事件などでは敗訴の可能性も十分にありうる中での訴訟提起ですから、敗訴になり相手方の弁護士費用の負担があるということになれば、訴訟提起に二の足を踏むのは当然のことです。
司法審意見書では、その逆の主旨のことが書かれていますが(敗訴者負担の方が訴訟に踏み切りやすい)、それが虚偽の根拠であることは十分に承知してのことです。
新自由主義の立場からは、大きな政府は求めていません。庶民の裁判のために手厚くするような裁判官の増員は、コストもかかることですから、そのような視点に立っていなかったことは、ある意味当然なのです。
弁護士会、弁護士の中には、「裁判官、検察官の増員も求めていくべきだ。」という主張がありますが、それ自体が明らかに誤りというわけではありませんが、司法審路線の批判という視点からは、はっきりとずれたものということになります。
ちなみに司法予算としては法律扶助の予算は増額になっています。これは司法「改悪」が新自由主義の立場から事前規制から事後「救済」に以降する際に、庶民が切り捨てられるのではないか、ということに対する手当としての「改悪」の側面です。
法律扶助の増額自体は、裁判を受ける権利(憲法32条)の具体化ですから、それ自体に問題があるわけではありませんが、このような手当としての視点を看過すると、今時の「改悪」があたかも庶民のための改革であるかのような幻想を抱き、この「改悪」全体を肯定的に評価してしまうことになり、要注意です。
(これを「改革」だと主張する勢力は、「改悪」ということをわかっていながら、あたかも庶民(「市民」という言葉を多用する。)のための改革だと主張するところが悪質なのです。)
さて、そのような司法「改悪」について、財界は、法科大学院制度をどのように見ているのでしょうか。
弁護士人口の激増が、財界の思い描いていたような国際化の要請に応えうるものであれば、法科大学院に注ぎ込む補助金などは「安い」ものです。これまで、各企業が養成していた人材を一括して法科大学院で養成してくれるのであれば、まさに「効率的」です。
小さな政府を志向する財界にとっても法科大学院制度はメリットがあるということになります。
しかし、現実は、どうでしょうか。一部、渉外事務所の中でお花が咲いてしまっている人達は別にしても(過去のブログ参照)、どうみても法科大学院制度がそのような役割を担っているとは言えない状況です。
もともと法科大学院制度の設立した目的は大きく分けで2つです。
①司法試験合格者数を激増させると質の担保が困難になるため、法科大学院制度により、質を担保する(後藤昭一橋大学教授の論考はこの視点です。過去のブログ)。
②経済の国際化の流れ中で、それを担う人材を育成する。
司法試験合格者数を激増させると、試験でのふるい分けが困難になりますので、その質の担保としての法科大学院制度は、その意味では「必然」でした。
②の根拠は、グローバル化の流れの中で、財界もそのような人材の育成であればということで期待したのでしょう。それ故に、小さいな政府を目指す新自由主義の立場であるにも関わらず、巨額の補助金の支出にゴーサインを出した、ということです。
しかし、実際には、①にもおぼつかない状況となっており、とても②を実現できるような状況にはありません。
現在、国では、「法曹の養成に関するフォーラム」が行われていますが、財界からのメンバーとして、萩原敏孝氏 株式会社小松製作所特別顧問が参加されていますが、萩原氏の発言は、現状に対する批判を適確に述べられています。
過去のブログ 法曹養成フォーラム第2回議事録
経済界において、これ以上に法科大学院制度に期待する向きはなく、また上記フォーラムとは別に総務省において、法曹人口問題ひいては法科大学院制度についての調査を行っていますが、法科大学院制度が壮大な無駄遣いという結論は出さざるを得なくなるでしょう。
法科大学院協会や日弁連の指導者たちが、「法科大学院制度こそが法曹養成の中核だ!」などとほざいてみても、現実の状況からは、法科大学院制度の内部崩壊は間近であるし(志望者の激減がその象徴)、財界側からも廃止の声が出てくるのも時間の問題でしょう。



