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スコセッシ監督の映画『沈黙—サイレンス—』が問い掛けるもの



遠藤周作の原作との出会いから28年の時を経て完成したマーティン・スコセッシ監督の『沈黙—サイレンス—』。監督がこの映画に託した思いとは。

故・遠藤周作が『沈黙』を出版したのは1966年。17世紀江戸時代初期のキリスト教弾圧の下で苦しみ、棄教するポルトガル人宣教師を描いたこの小説は、発表当時、カトリック教会から糾弾される一方、文学作品として世界的に高い評価を得た。マーティン・スコセッシ監督がこの小説と出会ったのは刊行から22年後の88年、監督作の『最後の誘惑』が公開されて間もない頃だ。1人の人間として悩み苦しむイエス・キリストを描いたこの映画は、キリスト教団体から激しい非難を浴び、上映禁止運動が起きていた。『最後の誘惑』とは別の形で、信仰とは何かというテーマに迫った遠藤の小説にスコセッシ監督は深い感銘を受け、映画化を決意する。だがその実現には28年の歳月を要した。

◆映画化は「長い学びの旅」

スコセッシ監督は、なぜそれほど強く『沈黙』の映画化にこだわったのか。『沈黙—サイレンス—』日本公開(1月21日)を目前に控えた来日会見で、スコセッシ監督は原作、そして自分にとって特別なプロジェクトとなったこの映画に関する思いを語った。

「『最後の誘惑』は批判を浴びましたが、聖職者向けのある上映会の後で、エピスコパル派の大司教、ポール・ムーア氏がこの映画を気に入ったと言ってくれました。そして私に、ぜひ読んでみなさいとくださったのが遠藤周作の『沈黙』でした。この小説は、『最後の誘惑』とはまた違う形で信仰とは何なのかを問う作品だからと…」

熱心なカトリック教徒の家庭で生まれ育ち、神学校で学んだこともあるスコセッシ監督にとって、真の信仰とは何かという問いは常に大きなテーマだった。「『最後の誘惑』が激しい非難の的になっていた時期だったので、私自身、自らの信仰心を見失っていました。何か違和感を持っていたのです。遠藤の『沈黙』を読んで、自分自身の内面で、もっと深くこの問いを掘り下げ、探究しなければという気持ちになれたのです」

とはいうものの、映画化は一筋縄ではいかなかった。「映画化したいと思ったものの、どのように作るべきか、分からなかった。作品の解釈も、日本文化の理解も十分ではなかったし、当時の私自身の宗教観も揺らいでいました。(実際に映画が完成するまでは) 壮大な試行錯誤の旅、学びの旅でした」

◆「自分にとって特別な作品」

映画化の権利は取得したものの、実際に脚本(ジェイ・コックス氏との共同脚本)に着手するまでには時が必要だった。「『ギャング・オブ・ニューヨーク』を撮り終えた2003年ごろ、私の内面に変化が訪れ、やっと『沈黙』の脚本に取り組み始めたのです。私生活でも転機を迎えました。再婚して、娘も授かったのです」

長い歳月を経て人生経験を積み重ねながら作り上げていった作品だが、映画が完成しても、それで終わりではなく、これからこの映画を心に抱えて共に生きていくだろうと監督は言う。この作品は、制作の過程で、自らが人間存在に関する本質的な問い、信仰、疑念を突き詰めたという意味で、自分にとって、他の作品とは違う特別な作品になっているそうだ。

遠藤周作の原作は、宗教的ドグマを説くのではなく、信じることの苦しみ、疑いを描いているからこそ「包括的」なのだ、と監督。「われわれは全てを疑う存在なのです。どうして生まれてきたのか、人生の意味をも疑う。だからこそこの小説は私を強く引き付けたのです」

『沈黙』が描く信仰の世界は、父権的、権威的なキリスト教ではなく、弱者を受け入れる慈悲の心、母性的なものであり、だからこそ日本の土壌、隠れキリシタンたちに受け入れられたのだろうと監督は言う。

◆日本人キャストの個性、力を最大限に生かす演出

『沈黙』の物語で要となるのは、何度も踏み絵を踏んでは、宣教師ロドリゴに許しを請う「キチジロー」だ。「弱き者、醜い者」であるキチジローの存在によって、江戸時代の隠れキリシタンの物語が、現代人も共鳴できる普遍的な物語として迫ってくる。

『沈黙—サイレンス—』では、キチジロー役の窪塚洋介をはじめ、オーディションで選ばれた個性的な日本人俳優たちの存在が強烈な印象を残す。スコセッシ監督の会見に先立ち、外国人特派員協会で、窪塚、長崎奉行井上を演じたイッセー尾形、その通辞 (通訳) 役の浅野忠信が、役作りやスコセッシ監督の演出などについて語った。



「原作には弱き者とあるが、あまりにも何度も踏み絵を踏むので、弱いか強いか分からない。表裏一体という感じがした」と、窪塚は言う。「『転ぶ』ことと棄教とは違う。キチジローは転べば起き上がり、起き上がったときにはまた信じています。遠藤周作は、これは僕自身だと言ったそうですが、キチジローは自分の心の中に自然と湧き上がる気持ちに忠実で、踏み絵は踏むけれど神様は信じている。極めて欲張りで、人間臭い役です」

スコセッシ監督は、キチジローをこう演じるべきという説明や演出は一切せずに委ねてくれたそうだ。長崎奉行井上役のイッセー尾形も、「こちらが提出する演技をまず見てくれる。面白かった、もっとやろうよ、と。否定的な言葉は一回も聞いていない。そういう状況に置かれると、役者はアイデアや感性が研ぎ澄まされていきます。(相手役の)ロドリゴの雰囲気もキャッチできる」。だからこそ、終盤、ついに棄教して「空っぽ」となったロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)との対面の場面で、自らが成し遂げたことに半ば驚き、思わず彼に触れたいという思いに駆られて歩み寄るという自然な演技ができたのだと言う。

隠れキリシタンたちを拷問して殺害する場面を見せて、ロドリゴに棄教を迫る井上を、残酷に、時に滑稽さを織り交ぜて演じた尾形は、ロサンゼルス映画批評家協会賞で助演男優賞の次点に選ばれた。

『マイティ・ソー』『バトルシップ』などハリウッドの大作映画にも出演している浅野は、当初、キチジローの役でオーディションを受けたが、スコセッシ監督に通辞役として抜てきされた。「井上とロドリゴの間に挟まれて行き来するこの役は、単純な悪役ではない。彼はもともとクリスチャンだったのではないか、それを信じていたのに、信じられなくなって今はこの仕事についているのではないか」。そんな思いで、通辞を演じたと言う。

『沈黙』の舞台となったのは長崎市外海(そとめ)地区。映画では荒々しい海や自然の描写が印象的だが、ロケは台湾で行われた。窪塚によれば、撮影には京都の撮影所から時代劇に関わるベテランスタッフたちも多く参加していたが、スコセッシ監督は彼らの意見も取り入れながら、毎日撮影に臨み、時代考証もして、「何か違う物があればすぐに事実に合うように変えてくれた。だから台湾ロケには違和感がなかった」と言う。

映画は原作の精神に忠実に作られているが、窪塚はスコセッシ監督があえて最後の場面を変えていると言う。「スコセッシ監督が、この物語を世界に伝える時にキーになるカットです。原作の持っている力を最大限にアピールするために描いたのだと思う」

スコセッシ監督の『沈黙』は日本で、そして世界でどう受け止められるのだろうか。

取材・文:ニッポンドットコム編集部

写真①:『沈黙—サイレンス—』の日本公開を前に来日したマーティン・スコセッシ監督(2016年1月16日・東京都内)
写真②:1月12日、東京・外国人特派員協会での記者会見で。左から浅野忠信、窪塚洋介、イッセー尾形


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