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オランダ、64年前の虐殺の賠償に踏み切る インドネシア

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オランダNetherlandのハーグThe Hagueの裁判所 Dutch court は 2011年9月14日、オランダ軍が1947年にインドネシアのラワジード村Rawagedeh villageで起こした虐殺事件について、オランダの非を認め、犠牲者の遺族に賠償金を支払うよう政府に命じる 判決を言い渡した。

今回オランダ政府は虐殺の事実を認め、遺憾の意を表明しているが、今日まで賠償については時効だとして拒否していた。 欧州メディアによると、判決は 「時効を理由に賠償を拒否するのは受け入れられない」と批判。原告側弁護士は、今後は賠償金額を詰める作業に入るとしている。ここに至るまでの経緯は以下。(写真は当時のラワジード村のオランダ軍兵士)

1942年の侵攻からオランダ軍を駆逐して軍政を敷いていた日本は、1945年8月 15日の敗戦で撤退し、日本の占領から解放されたインドネシアはスカルノらが中心に1945年8月17日独立を宣言した。その後、再植民地化を狙う旧宗主国オランダと紛争状態になり、その際には旧日本軍兵士2千人も参加した。闘争とその後の外交努力で、インドネシアは1949年12月、オランダに独立を承認させた。

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事件はオランダと紛争中の1947年12月9日に起こった。当時 ラワジードRawagedeh(現在 Balongsari village, in Rawamerta, Karawangジャワ島西部)という村で、オランダ軍が独立派の兵士 Lukas Kustarioを匿ったとする村の男性や子供を集め、銃で皆殺しにした。実際には、村民の誰も彼の所在は知らなかった。かろうじて数人が生き延びたが、殺されたのは150人(オランダ側主張)から430人(インドネシア側主張)となっている。生き残った女性たちは、泣きながら素手で墓を掘ったと言われている。

この大虐殺については、調査した国連が1948年、計画的活残忍だと報告したがオランダ政府は無視し、1968年に「過度な残虐」が有ったと認めながらも、それらはテロやゲリラに対抗した警察行為だったと主張した。その後事件のTVのドキュメント番組などが製作され、オランダ政府は1995年に事件の概要を是認したが、責任者の起訴などには程遠かった。2005年になって初めて、オランダ軍のインドネシアでの各地での蛮行の一つとして、当時の外務大臣 Ben Botが遺憾の意を表明したが、それでも賠償は一切されなかった。2008年、8人の未亡人、被害者遺族が賠償請求を提出し、それをThe Hague civil court が受理した事で、今回の政府方針につながった。  参照記事 参照記事

今回原告となったのは、殺された男性たちの7人の遺族や未亡人(当初8人だったが審理中に1名死亡)たちで、彼女たちはもう90を超えている。原告の弁護士は「正義がなされた。60年間沈黙し、原告たちが死んで行くのを待つという国のやりかたがだめだということが証明された」と述べた。この事件で、オランダ側将兵の誰もまだ起訴されていない。

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