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『日本解凍法案大綱』6章 社団法人 その1

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牛島信(弁護士)

高野から大木に電話がかかってきた。固定電話だから先ず秘書がでる。高野なりのこだわりなのだ。携帯に、あるいはスマホに電話することは簡単だ。大木とはそうしても当然の仲だ。しかし、相手がなにをしているか分からないのに傍若無人に邪魔立てするのは紳士のすることではないと思っている。だから、昼間の時間には秘書の出る固定電話にかけてくる。そして用件を言う。できるだけ急いで会いたいというのがその用件だった。確かに、本人をむりやり呼びださなければならないという話ではない。それに、大木はそのとき自分の部屋にはいなかった。

高野という男は、いつでも自分の言葉をきちんと整理している男だ。火急のときは火急と、急ぎだがそれほどではないときには、できるだけ急いでと言う。そうでないときには?そもそも電話などしてこない。

(できるだけ急いで、か。そもそもこの世の中でできないことは誰にもできないことなのだから、そんな表現はどれだけ中身のある言葉なのか)

大木は独り心のなかで思いながら、秘書の手書きのメモを机の上において電話を返す。

「わかった。

今日は輿水信一郎先生の励ます会があってな。6時半から東京プリンスだ。7時には事務所に戻っているようにはできる。それでいいか?」

「ああ、輿水信介の息子さんだろう。俺も行かなきゃいかんのだが、今日は止めとく」

「俺のほうは彼の親父さんの代からの付き合いだからな。行かんわけにはいかん」

「輿水信介も惜しかったな。あの人は世の中を変える力のある人だった」

「息子の輿水信一郎もいいよ。売り出し中のイケメン議員だ。なにより飲み込みが早い。決断力がある。実行に手間ひまかけない。

俺は総理大臣になる器の男だと期待している。

その先生の顔を拝んだらすぐに事務所に戻って来る。あの世界では、顔を見せているかどうか、つまり、身体を動かしたかどうかが重要なんだ。それで誠意は測られる。参加者は1000人近い。金屏風の前の本人にあいさつすれば、それでその日は会場で話をするチャンスはない。だから、すぐにいなくなっても構わない」

「わかった。7時だな」

(できるだけ急いで。でも、できないことはどうにもできません、と)

大木はスマホを切ると、独り呟いた。

高野の母親が墨田のおばちゃんに、息子が買取りを承知したと告げると、あっという間に同じような非上場の少数株主からの依頼が高野のもとに次々と舞いこんできた。墨田のおばちゃんが、高野が買ってくれるという返事を聞いたとたん、嬉しさと安心のあまり自分の手元にあった古い紙切れが500万円で売れることになったと年寄り友だちにしゃべらずにはおれなかったのだ。

「川野純代さんて子どものころからそういう人なのよ」

なかば言い訳のように高野の母親は息子に言った。

友は類をもって集まる。

川野純代なる老女の周囲にいた女性の多くが、同族会社の株主になっていた。中小企業を創業し、成功して死んでしまった男の妻だった老女たち。相続したのだ。戦後の復興とともに会社を興し、その後にやってきた日本の高度成長を支えた中小企業のオヤジさんたちが、妻や子どもを残して死んでしまった。1910年代に生まれ、多くは1980年から90年にかけて死んでいった男たち。鉄工所を創った男もいた。その鉄工所の荷物を運ぶ運送会社を創った男もいた。そんな男たちが運転するオート三輪が、部品に加工された鉄を載せて忙しくバタバタと音を立てながら狭い路地を走り回っていた。

路地は子どもたちの遊び場でもある。子どもたちが紙芝居に夢中になっていて、オート三輪が来るとそのときだけ道の端に寄る。かつて存在したそうした街が、時の経過とともに、土がむき出しで雨が降ると決まってぬかるみになったのが舗装道路に替わり、子供たちはそんな道路から追い出されて塾にかようようになり、誰もいない乾いた道路を大型の車両が我が物顔に走るようになっていった。そのうち、いつのまにか街全体が年老いてすっかりしぼんでしまった。

相続があればその度に会社の株は分散していく。そうやって同族会社の少数株主になった人たちが墨田のおばちゃんの話を聞いて我がことと高揚したのだ。

それだけではない。創業者の下には、いっしょに会社を支え、株を分けてもらった男がいた。いわば番頭格の、創業者にとって右腕とも称すべき男たちだ。その男が死んで、遺族にはなにがなんだか事情がよくわからないままに、とにかく株が財産のなかに紛れ込んでいたというケースもあったのだ。

おばあさんには子どもがいる、孫がいる。なんのことはない、そうした人々を相手に墨田のおばちゃんは、高野のきわめて効果絶大かつ無料の広告塔になっていた。ネットでもSNSでも、情報は伝わる。しかし、決め手になるのはいつも口コミだった。その口が現代では電波に乗っている。それだけではない。年寄り同士、ことに女の年寄りは顔を合わせて、とりとめのないおしゃべりに熱中する。その機会に、ねえ聞いて聞いて、こんなことがあったのよ、といった調子で話す。年寄り同士と言ったが、少女たちの集まりだったころと心は少しも変わらない。小学校の同級生だった女の子たちは80年経ってもお友だちでいる。男にはないことだが、女では珍しくもない。下町の少女たちは生まれた同じ場所に住み続け、そのうちに下町の幼女が下町の老女になっていくのだ。

その数が10社を超えていると聞いて、高野は驚いた。高野は、改めて大木に相談に行かねばならないぞと自分に言い聞かせた。その自分の心のなかに、なぜか驚きだけではなく同時に安ど感のようなものが存在していることに高野が気づいていたからだ。

高野は説明しがたいなにかを感じて安どしたのだった。我ながら不思議な気がした。

外の力にわけもわからないままに突然に掴まれ、抵抗することのできない強い力で一方的に引きずられる。運命が有無を言わせない力で高野の体を締めつけて自由を奪い、高野の体を道具のように使ってその意志を遮二無二実現していく。運命に人生を支配されている者の倒錯した快感に似たものが高野にあった。思えば、高野はこれまでの人生をいつもそうやって、外部のなにかに拘束されて生きてきたのではなかったか。

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