- 2017年01月19日 10:25
ジャカルタ州知事の宗教冒涜容疑と「イスラム擁護アクション」 - 中村昇平 / 社会学・エスニシティ研究
3/4「イスラム擁護アクション第3部」
こうして12月2日、「イスラム擁護アクション第3部」は行われた。正確な参加者数は分かっていないが、その数は20万とも40万とも言われている。参加者数が膨れ上がったために、独立記念塔公園の中に収まりきらず、周辺の道路にまで人が溢れ出すことになった。しかし、集会の主たる目的はデモではなく、あくまで昼の金曜礼拝と認識されていた。事実、礼拝が終わると参加者は速やかに会場を後にし、午後3時頃までには公園に残る人はほとんどいなくなっていた。また、昼の礼拝にジョコ大統領が参加したことも話題となった。
第3回アクション当日までの大統領の対応は一定の成功を収めたと言えるだろう。「アクション」の主たる目的はデモではなく礼拝となり、主たる開催場所も公道ではなく公園となった。集会の名目が礼拝となったことで参加者数は増加したが、それを考慮しても大統領にとっては利点の方が多かったと言える。一つには、昼の礼拝が主目的となったために、集会の終了後全ての参加者が速やかに帰途につくこととなり、第2回デモのように暴徒化するリスクが回避されたことである。
もう一つは、大統領が集会に参加することができたという点である。第2回デモで大統領が主催者と面会しなかったことに対して、民衆の声を無視しているという批判は強かった(注7)。それでも面会を避けたのは、強硬派支持者以外の市民も多数参加したとはいえ、運動が大規模化し始めた当初に強硬派組織から成るデモ主催者と面会することで、大統領が強硬派の主張に正当性を認めたという印象を与える危険性があったからだろう。しかし、数十万の市民が集まる礼拝に参加するとなると話は別である。結果を見れば、事前の政治的駆け引きによって集会の趣旨を公園における礼拝とさせるところまで追い込んだからこそ、大きな政治的リスクを負うことなく大統領が集会に参加することが可能になったとも言える。一連の対応によって大統領は、大衆感情の高まりに乗じた強硬派の勢いをある程度抑え込むと同時に、国民の声を無視しているという批判を抑え込むことにも成功した。
大規模化の要因
バスキ知事の退陣を求めるデモは強硬派組織によってこれまで何度も行われてきたが、これほど大規模になることはなかった。ではなぜ今回これほどまでに動員規模が拡大したのか。一連の「アクション」は、一貫した計画に基づいて行われたわけではない。このことは、第1回から第3回に至るまでのデモ・集会の呼称や形式の変遷にも見て取れる。多くの偶発的要素が重なって世論が過熱したことにより動員が大規模化したと見るのが妥当である。運動の趣旨が普段デモに参加しない一般市民にまで訴求力を持ったことを考えれば、様々な要因の中でも、バスキ氏に対して大衆が持っていたイメージは特に重要である。以下ではバスキ氏の政治家としてのイメージについて説明した後、動員の大規模化をさらに促進したその他の要因について述べる。
バスキ氏は、2012年のジャカルタ州知事選挙でジョコ・ウィドド氏とペアを組んで副知事として当選した(注8)。その後、2014年にジョコ氏が大統領に就任したことで、選挙を経ることなく州知事に昇格した。バスキ氏の州知事としてのイメージはなによりもまず、抵抗勢力に対して妥協を許さない強硬姿勢で臨み、行政の透明化と汚職の撲滅を推し進めるリベラルな改革者としての姿だった。直接選挙制の導入後に地方首長から大統領にまで上り詰めたジョコ氏と同じく、地方首長を経てジョコ氏の州知事時代に副知事を務めたバスキ氏もまた、民主主義の発展を体現する存在としてリベラルな中間層から熱烈な支持を得てきた。
しかし、バスキ州知事の政治家としてのイメージは、「対話」を何よりも重視するジョコ氏のそれとは、ある意味で対照的である。実際、彼の政策で問題視されてきたのは、数件の汚職疑惑を除けば、貧困層の強制退去に関わる政策において対話プロセスが極端に軽視されているということだった(注9)。ただし、強制退去の被害者や反対運動参加者をデモの大規模化の主な要因とする議論もあるが、これは適切とは言えない。そもそも、こうした問題への反対運動は直接の利害関係者や支援団体を除いてはさほど広がっていなかった(注10)。リベラルな中間層の間ではかえってこの政策を支持する声が大勢を占める上に、保守層の住民の間でも厳密な法の執行を支持する声は多い。実際、大半の住民は強制退去や汚職など個別の問題を批判的に見てはいても、州政全体としては肯定的に評価している(注11)。
バスキ州政への全体的評価の高さには、メディアの果たした役割も大きい。メディアを通して頻繁に流される、抵抗勢力に対する歯に衣着せぬ発言や州政府の役人を厳しく叱責する姿は、改革者としてのイメージ形成を大いに助けた。しかし、メディアを通した明快なイメージ形成は危険性も孕んでいた。明快で強烈な個性をもつ政治家としてのイメージを強めて政策への支持を高めることは、裏を返せば「対話の意思がない」、「口が悪い」といった負のイメージを増幅することも意味したからである。11月4日以降の動員拡大の背景には、メディアを通して形成された大衆感情があった。第2回デモへの自発的参加者の規模を考えると、その多くを占めていたのは、個別の政策に反発していたというよりも、バスキ氏のイメージに漠然と反発を覚えていた層の人々であったと考えられる。
その上に、強硬派勢力に属さない組織・個人による賛同の意思表明と金銭・物資の支援が市民のデモ参加を促進した。まず、強硬派以外のイスラム組織や著名なイスラム指導者や説教師がデモを支持した(注12)。加えて前節に述べたような、野党の政治家を中心とした政治アクターによるデモへの積極的参加やデモを強く肯定する声明も市民の参加を促した。第2回デモにおいては、こうした人々の参加をさらに容易にしたのが組織的・個人的な資金援助とボランティア団体の参加だった(注13)。
さらに、「(権力者である)州知事への公正な法的手続きの執行」がデモの目的として前面に押し出され、「コーランの擁護」「平和で民主的なアクション」といったスローガンが用いられたことは、強硬派支持層以外の参加を促した。第3回のアクションがさらに大規模化したのは、第2回デモが平和裡に行われたことに加えて、行動の内容がデモですらなくなり、「平和裡に礼拝を行うこと」となったことによって参加のハードルがさらに下がったことだろう。



