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2010年代とはどういう時代だった(である)のか

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「昭和の終わり」と「平成の爛熟」

 国内に目を移すと、00年代に準備された諸々がいよいよメインストリームとなって、80~90年代的な諸々がきっちり失効した、そんな風景にみえる。
 
 冷戦後ならリベラルと呼ばれていたであろう、当時のオピニオンリーダー達の信用は大きく低下した。また、政治面では与党が勝っている……というより対抗馬たり得るまとまった政治勢力が見当たらなくなった。この状態は、2010年代の残り3年間も継続する可能性が高い。「自民党か、対立政党か」ではなく「自民党の得票数を何%にするのか」が焦点となる選挙の構図は、一体どれぐらい続くのだろうか。
 
 メディアの世界では、テレビや新聞といったマスメディアはおよそ老人のものとなり、若者向けのメディアは実質としてインターネットに移った。これは、00年代から始まっていたことだったけれども、SNSやLINEやInstagramの浸透、なにより、メディア端末としてのスマホの台頭によって決定的、かつ盤石なものになった。
 
 旧来のマスメディアは老人の、老人による、老人のためのメディアとなった。
 テレビのゴールデンタイムに出てくる面々と、番組内容をみるがいい。
 新聞の社説が誰に向かって語り掛けているのか、新聞の広告欄にどんな品物が並んでいるのかを確かめるといい。
 
 新聞やテレビ、たいていの雑誌は、インターネットやスマホを常用していない年代にアッピールを繰り返している。年取ったタレントの定番演技。老人向けの広告。中年向け恋愛番組。流行りの曲よりも懐メロを流す音楽番組。それらは、従来の顧客にアッピールし続けている結果かもしれないし、マスボリュームが大きくてカネ払いの良さそうな層に訴えたいがためかもしれない。が、いずれにせよ、これではテレビのゴールデンタイムや新聞購読に若者を呼び込むのは不可能だし、たぶん、なかのひとも半ば諦めているのだろう。一部のプログラムを若者向けにチューンしつつも、基調としては、中高年をお客さんとすることを決め込んでしまったかにみえる。
 
 他方で、30代より下の世代にはネットメディアが浸透した。その結果のある部分は、あれこれのソーシャルゲームやアニメの大ヒットとなって現れ、また別のある部分は去年の暮れに「パクリサイト問題」として話題となったような、質の低い情報を大量生産・大量消費する構図となって現れた。全国的な規模のネット炎上の頻発も、ここでは、同じような原因に基づく類似現象とみて良いだろう。
 
 テレビや新聞が老人にモノを買わせているのとは別世界の出来事のように、ネットを介した情報伝達とビジネスはより若い世代に浸透し、インターネットは特別で面白いメディアというより、上下水道や電気と同じような当たり前で必要不可欠な存在になった。
 
 インターネットを上下水道や電気と同じように当たり前だと捉えている“本当の意味でデジタルネイティブ世代”にとって、インターネットとは、タップをするだけでできて然るべきものだし、呼吸するように情報収集と情報発信をするものだし、テレビや新聞では代替することのできない、これこそが正真正銘のメディアなのだろう。そういう人間がいよいよ一定の割合を占めるようになったのが2010年代で、その存在感は、世論やヒットチャートに陰に陽に浮かび上がるようになった。テレビや新聞や書籍で一次情報を得ようとするのでなく、とにかくもネットで第一報を得ようとする人の割合は、今後もしばらくは増えると想定される。なにせ、テレビやPCは無くてもスマホはみんな持っているし、たぶん、スマホに相当するような個人向け情報端末の必要度がテレビや新聞の必要度を下回る日はもう来ないだろうからだ。

 総じて、昭和時代には当然で、良いと思われていたはずの諸々がそうではなくなって、平成時代になってから芽吹いてきた諸々にいよいよ取ってかわられたのが2010年代だったのだと思う。昭和の栄華は遠のいて、平成が爛熟したのだなぁ、と。
 

なんでもいいから平和であって欲しい

 まあ、私としてはとにかく平和であって欲しい。
 
 冷戦が終わった80年代末~90年代初頭は「激動の時代」という表現がお似合いだった。それに比べれば10年代の変化はジリジリしているように感じられるが、時代の流速は加速しているようにも感じられる。その行く先には、90年代から、否、もっと昔から積もりに積もってきたモノが清算を待っていて、その瞬間に立ち会わなければならないことに怖さを感じる。経済成長とか自然災害とかそういった次元を超えたクライシスにならなければ良いのだが。自分や自分の知っている人達が、銃弾や爆発に巻き込まれて死ぬのは、あるいは飢餓と闘わなければならないのは、ぞっとしない。
 
 言うまでもなく、ここに書き散らかした方言は私自身の主観に基づいた、きっと自分自身の年齢だから考えてしまうものなのだろう。これらが良い意味で外れて、「ハハハ、2017年の俺は心配性だなぁ、空を見上げて空が降って来ると思い込んでいるよ、この人は。」と笑い飛ばせるような2020年が来て欲しい。世界が平和で、日本も平和で、「秩序」が思ったほど動揺しなくて、みんなが健康で、インターネットが楽しい、そんな未来が来て欲しい*2。だが、私の脳内に住んでいる小人達が「クライシスが来るという前提で行動せよ」とうるさくて仕方がないので、連中を黙らせるにはこういう事をインターネット上に公開して恥をかかなければならないように感じられたので、時期遅れの正月放談を垂れ流して、正気度を取り戻すことにした。
 

*1:ここでいう「オタク」とは、アニメーションやゲームやライトノベルといった、いわゆる“二次元”と呼ばれるコンテンツを消費する人々と捉えていただきたい。鉄道オタクなども含めると話がややこしくなるのでここでは含めない

*2:これは、完全に「秩序」の側の人間のポジショントーク丸出しな願いではあるが

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